如月キララ
彼女のコメント欄は荒れに荒れた。
特定班が公表した本名で謗るユーザーも居た。一線を越えたコメントも散見——いや、多数見られた。
今夜の配信は謝罪と言うより、まるで処刑だった。
VTuber如月キララの公開処刑。
僕が彼女を知ったのは長めの夏休みのまま、年末を迎えた頃だった。見たい年越し番組も無かった僕は、退屈と虚無を抱えたまま部屋に籠っていた。
僕はいつものように動画配信サイトのMyTubeを開いた。おすすめにVTuberのサムネがあった。僕はこんなものには興味が無い。いったい、どんなアルゴリズムで表示されているのだろうか。
VTuberなんてものは、ただゲーム実況を垂れ流したり、ダラダラと話をしたり、歌ってみたりして投げ銭を貰うネットの乞食だろう。中身だってオッサンかもしれないし、BBAかもしれない。
こんなものに金が出せる奴らの気が知れない。
本当に「——くだらない」思わず声が出た。一緒に噛み砕いたポテトチップスのカスが机に落ちた。
年が明け、そんな感情も忘れた頃。
再びおすすめに現れた彼女のサムネは、以前と少し違っていた。
ドフトエフスキーの肖像の隣に、如月キララが居た。
気がつくと、指先が導かれるようにカーソルを動かしてクリックしていた。
最初の数分はドフトエフスキーの面白エピソードを語っていた。
正直な話、ドフトエフスキーに限らずロシア文学は気が滅入る。それは内容であったり、そもそもの文化圏の違いだったり様々だが、気が滅入る。
だが、彼がギャンブル狂だった話や、出版社との“賭け”で書いた作品の賭博者——
彼女の立て板に水を流すような人物紹介に、チャンネルのコメント欄は大いに盛り上がっていた。
(なんなんだ、この人)
それから僕は時間を忘れて彼女の動画に夢中になった。
森鴎外、アガサ・クリスティ、遠藤周作、フランソワーズ・サガン——
国内外、ジャンルを問わず彼女の解説動画は配信されていた。
僕は引きこもってはいたけれど、週に一度の図書館通いは欠かさない程度に、読書が好きだった。六冊借りて六冊返すというルーティンだ。
動画を見て以来、既に読んだ小説であっても彼女が動画を上げたら読むようになっていた。
小説の舞台の聖地巡礼動画が上がれば、行ける場所は行くようになった。
見知らぬ人に道を尋ねようと、何度も吃った。旅先で出会った同好のキラリスたちと連絡先の交換なんかもした。
いつしか僕にとって、部屋の外は辛い場所ではなくなっていた。
結局大学は留年してしまったけれど、通学を再開した。
本や聖地巡礼の為にアルバイトをするようにもなった。もちろん彼女のグッズやライブにも行った。
そうして卒業を控えた二月末——
僕は彼女の謝罪動画を見ていた。
『ネットで言われていることは事実で、私は昨年一月に入籍をして、夏には第一子を出産していました』
ああ、七月は体調不良で配信を休み日が多かったな。僕はぼんやりとそう思っていた。でもコメント欄は違った。
判で押したような『辞めろ』の弾幕。
本名を暴露するコメント。
彼女を推していた多くがアンチに変貌していった。
僕は少し時間を置いてからキーボードを叩いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私はあなたを愛していました。
愛は私の魂の中で、消えてしまったわけではないのだと思います。
でも、私の愛であなたを悩ませたくはないのです。
あなたを悲しませたくありません。
私は心密かに、望みの無い愛を捧げました。
嫉妬と弱さに悶えながら。
私はあなたを心から、優しく愛していました。
私があなたを愛したように、彼女が愛されますように。
神よ——
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
以前、彼女が教えてくれたプーシキンの愛の詩を書き込んだ。
僕の拙い日本語訳に、原文のAI翻訳を付けられた。どこかの翻訳のコピペや僕への悪口に場は加速したが、コメント欄はやがて落ち着いていった。
僕はその後、食品加工場の営業マンになった。地場のスーパーに卸す中小企業だ。
「田中くん、何この早退届けは?」
山下課長が怪訝な顔で僕を見ていた。
「定時は17時だぞ。17時早退って何だ?」
「いやぁ」
僕は頭を掻きながら「推しの育休明け配信があるんで、残業出来ないんです」と言って笑った。




