鼓々①
「でね、その女の人から受け取ることが出来ると幸せになれるんだって」
十分だけの気怠い休み時間、教室のどこかからそんな声が聞こえた。
「ニコ、今の話聞いた?」私の椅子の半分を占拠しながらユミが声をひそめた。
「なんか都市伝説みたいな話?」
「そう、都市伝説。その女の人がくれるものって何か分かってないのよ」
「あのさぁ」私は呆れ声で続けた。「具体的なものが何ひとつ無いのよね」
「チッチッチ」そう言う私にユミは人差し指顔の前で振ると「スギさんが二十年くらい前に受け取ったらしいよ」と言った。
「えっ、だって幸せになるんでしょ。スギさんって橋の下のホームレスのことだよね」ホームレスと幸せが結びつかなくて、私は首を傾げた。
「そう、あの人。ママがJKの頃からの筋金入りのホームレス」
「えっ、ヤバっ」
そこで授業開始のチャイムが鳴って、私はお尻の領土の全てを回復した。
その日の放課後。
夕陽が赤く染め上げた土手を歩いた。
ビルの影も私の影も長く長く伸びて、異界の住人のように見えた。
アスファルトとコンクリートに囲まれたこの街で、土と草花の匂いのするこの通学路が私のお気に入りだった。
視線の先にスギさんの橋を見つけた。最初から橋の影に呑まれていたスギさんの影は、さらに濃く落書きだらけの欄干に伸びていた。
「幸せの女性と何かかぁ」
夕餉の支度だろうか、鍋を火にかけるスギさんを見ながら独りごちた。
幸せという言葉は実に主観的で、共有するには曖昧だと思った。
私の目には幸せに見えないスギさんは、本当に幸せなのだろうか。
じゃぁ満員電車のサラリーマンは?
数学の授業中の私は?
パフェを食べてる私は?
頭がグルグルしてきた。
「あまり変なことに首を突っ込むじゃないぞ」
夕飯を囲む食卓でパパに釘を刺された。
「都市伝説?スギさん?」
「スギさんだ」
「でも、あの人がトラブルを起こしたことって聞いたことないよ」
「そうだな。スギさん自身は無害かもしれない。でもな、スギさんのような人はトラブルを呼んでしまうことがあるんだ」
パパは夕刊を置くと私に向き直った。
「スギさんの居る場所、他の欄干よりも落書きが多いだろ」
私は右上に視線を移すといつもの通学路を思い浮かべた。
「そうだね。多いかも」
「あれはスギさんをからかいに来ている連中の落書きだよ。それにスギさんは何度か襲われて怪我をしている」
私は言葉に詰まった。
何もしていないし、財産だって無いのに何故襲われるんだろう?
「いいね」パパはそれだけ言うと食卓の青椒肉絲に箸を伸ばした。




