第87話:野田同盟の絆 vs 天女の氷結 ― 闇に染まる鳴門の海 ―
2029年5月12日、水曜日。徳島・ボートレース鳴門で開催されているSGレース『衆望万魂祭』は、魔の三日目を迎えていた。
会場中央に鎮座する「万魂石」は、昨日までの七色の輝きから一変し、脈動するように紫黒色の光を放っている。この特異な環境下で、マブイ石の出力が臨界点を超えた機体が存在する場合、その影響は実戦中のコースのみならず、待機水域やピットにまで伝播する。
遠隔共鳴:
出走していない機体のマブイ石が、レース中の他艇と「同期」してしまう現象。フィールド内のエネルギーバランスを破壊し、物理法則を無視した事象を引き起こす。
負の衆望の集積:
速水誠の『黒影のマブイ石』は、期待だけでなく、ネット上の誹謗中傷、アンチの憎悪、選手自身の焦燥といった「負の感情」を燃料とする。それは周囲の光を吸い込むブラックホールに等しい。
「野田同盟」の絆:
山口の野田あかりと、佐賀の野田真理子。誠を支える二人の整備士兼レーサーは、誠を禁忌に走らせた責任を感じ、この三日目のレースを「誠を救うための儀式」として位置づけていた。
「……誠師匠に、光を取り戻すきっかけを見せるっす!」
第2レース。1号艇、野田あかりの瞳には悲壮な決意が宿っていた。彼女の駆る「超精密エンジン」は一ミクロンの狂いもなく、マブイの変換効率を極限まで高めている。
隣の2号艇には、ベテランの野田真理子。二人はピットアウト直後から鏡合わせの動きを見せ、マブイを糸のように繋ぎ合わせて強固な陣形を構築した。
対する3号艇は、守屋あおい。
彼女の氷のマブイは鋭さを増しているが、その根源は誠への狂おしい「嫉妬」だった。
大時計が回る。あかりが鉄壁の壁となり、真理子が守屋の懐へ飛び込む。
「今っす、真理子さん!!」
「了解たい! あかりちゃん、あんたは前だけ見て走りなさい!」
二人の誠への想いが共鳴し、巨大な光の盾――**『野田家・双子星』**が形成された。守屋の強襲を物理的に遮断する、献身のフォーメーション。
だが、守屋は冷徹に笑った。
「その程度の『絆』で、私を止められると思っているの?」
爆発的な冷気が放出され、鳴門の渦潮が瞬時に凍結する。守屋は氷の斜面をレールとして滑走し、光の盾のわずかな隙間に、鋭利な氷の楔を打ち込んだ。
その時だった。ピットで出走を待つはずの速水誠の39号機から、禍々しい漆黒のマブイが溢れ出した。
実戦中でないにも関わらず、『黒影』が守屋の嫉妬と野田同盟の焦燥に反応し、時空を超えてレースフィールドを侵食し始めたのだ。
「(あかり……真理子さん……苦しいなら、俺が全部飲み込んであげるから……)」
誠の無意識の呟きが、黒く染まったシロの遠吠えと共に鳴門の海面に響く。
「ウォォォォォォォォン!!」
突如、水面から「黒い霧」が噴き出した。守屋の氷も、野田同盟の光の盾も、圧倒的な「負の密度」によって一瞬で黒く染まり、その力を吸い取られていく。
「何これ……誠くんの気配!? なのに、どうしてこんなに冷たくて暗いの!?」
守屋が戦慄する。彼女の嫉妬さえも、誠の闇にとっては単なる栄養価の高い「糧」に過ぎなかった。
ピットにいる誠の意識は、黒影を通じて万魂石に集まる全人間のエゴと繋がっていた。第2レースは、もはやスポーツの体を成していない。黒い霧の中、三艇は互いのマブイの残響のみを頼りに激突する。
【第2レース 1マーク通過後:形勢】
1位争い:野田あかり vs 守屋あおい
「乱反射の死闘」。誠の闇が両者の出力を中和し、出力計はエラーを吐き続ける。
サポート:野田真理子
「肉身の盾」。あかりを護るため、守屋の氷翼の突進を至近距離でブロック。
根源:速水 誠
「遠隔干渉」。ピットにいながらフィールドを支配。本人はトランス状態。
「誠さんを、奪わせないっす!!」
あかりがマブイを燃やし、闇を切り裂く。隣では守屋が狂気的な加速を見せ、霧の向こうの誠へと手を伸ばす。
誠の引力に引かれ、鳴門の潮位が異常上昇。1マークに誕生した「影の渦」に吸い込まれながら、三艇はゴールへと突っ込んだ。
結果は、あかりが守屋を僅差で抑えて1着となった。だが、帰還した彼女たちに祝福はなかった。あかりの機体のカウルは黒ずみ、真理子のボートにはヒビが入っていた。
守屋あおいは無言で誠の整備室を凝視し、その瞳に深い絶望を浮かべている。
(……誠。これでいいんだな? 守ってやれたのか、それとも傷つけたのか……)
漆黒のシロが誠の足元で瞳を閉じる。誠の右腕の震えは止まっていた。だが代わりに、彼の心臓は『黒影』と同じリズムで、ドクン、ドクンと冷たい拍動を刻んでいる。
「誠……お前は、もう引き返せんぞ」
整備室の入り口で、黒田瑛人がその光景を苦い顔で見つめていた。救おうとする者さえも「負の力」に変えてしまう、若き弟子の変貌に。




