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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3部:誠の試練編

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捕食の楕円

二〇二九年、五月。SG「衆望万魂祭オールスター」、予選三日目。

 予選最終日の朝。一号艇のインコースに鎮座した大内胤賢が、神速の全速スリットから、科学的に導き出された最短の旋回軌道で第一ターンマークへと鋭く侵入した。しかし、その最内の絶対的な懐へ、まるで音もなく滑り込んできた漆黒の影があった。四コースから進入した瓜生俊樹だ。


 大内の展開する精密極まる科学のロジックを、瓜生がその身に宿す「水の記憶」が接触の瞬間に滑らかに相殺し、中和していく。ホームストレッチの直線戦。二艇のフロントノーズは、一ミクロンの狂いもなく完全に並んだまま、時速二百キロの極限で滑り抜けた。


「――一着、同着ッッッ!!!!」


 大屋根にそびえる大型電光掲示板に並んだ、二つの「一」の赤い点灯ランプ。科学と経験、二つの異なる勝負師の質量密度が極限の死線で完全に鏡合わせになったその瞬間、関門海峡から流れ込む下関の修羅の水面上に、神聖なまでの静寂が訪れた。


 そして予選三日目最終、第十一レース。

 三コースから牙を剥いた大峰幸太郎さんが、そのカウルから狂暴な発進ボルテックスを見せつけた。


「誠、今日のこの水上でおいが見せるのは、佐賀の龍が天へ昇り、この激流のすべてを力ずくで喰らう本物の王者の姿たい――ッッッ!!!!」


 全速スリットの直後、大峰さんは【剛属性】の龍神マブイパルスをカウル外殻から全開放。強制発生させた流体渦による電算の檻に、後続の五艇を冷酷に閉じ込めた。


「独走ッッ!! 三号艇・大峰幸太郎、異次元の大逃げェェェッッッ!!!!」


 十艇身以上も後方を引き離したその航跡は、一人の勝負師が水上の神へと捧げる厳格な演武の領域へと昇華していた。昨日の死線で全力を出し切った愛弟子・宮地明への応答として、SGウイナーとしての絶対の誇りを背負った黄金のマブイが、下関の激流を極純の滑走道へと力ずくでハッキング書き換えてみせたのだ。


 第三整備室の作戦モニターで、その黄金の波形データをじっと凝視していた俺――速水誠の瞳には、重く、深く湿った暗黒の影が、不気味なほど不穏に宿っていた。


「……大峰さん。あの水上を支配する、黄金の龍の質量密度。……もし俺のこの胸の「黒影」が、内側から丸ごと吸い尽くして飲み込んだら……一体どんな最速の味がするんだろうね……」


 俺はこんなことを言いたかったわけじゃなかった。でも口から出た。それが一番怖かった。

 スーの紅い瞳が怪しく明滅し、低く唸り続けた。その唸りが、俺の中の飢餓感と重なった。「もっと強いマブイを喰らいたい」という渇望が、スーのものなのか俺のものなのか、もう区別がつかない。


 俺は右腕の皮膚をじっと見つめた。ナノ端子の血管が、黒影コアの冷酷な拍動に合わせて、どす黒く不気味に浮き上がっていることに気づく。山口支部の秘匿遺物はもはや、俺の肉体の一部として冷酷かつ完全な同化を始めていたのだ。 


 静まり返った整備室の奥底。黒影のコアを剥き出しにした三十九号機をじっと見つめながら、俺は呟いた。


「明日は、準優勝戦の死線だ」


 カウルの奥の超伝導フレームから、バチバチッと黒い雷鳴が爆ぜる。かつて下関のホーム水面で、ただ純粋に最速という景色だけを目指していた、あの頃の白銀の記憶が、今や遠い過去のオブジェクトデータのように感じられた。


「大内さん、大峰さん、幸田さん。明日の準優勝戦の第一マークでは……皆さんの誇り高き魂のすべてを、俺とスーのこの黒影が、内側から残さず綺麗に……喰らい尽くして差し上げますからね……」


 暗闇の整備室の中、ヘルメットの奥で、血の色の如く妖しく赤く明滅し続けるスーの紅い瞳。

 それが、山口支部を救うための真の救済の数式なのか、それとも、山口支部の看板ごとすべての魂を水底へと融解させる、完全なる破滅へのカウントダウンなのか。

 準優勝戦という名の、楕円の地獄の舞台は、ここに完璧に整った。

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