万魂モニュメント
二〇二九年、五月。山口県下関市、ボートレース下関。
最高峰――SG「衆望万魂祭」、通称「オールスター」が、俺――速水誠の絶対的なホーム水面でついにその華々しい幕を開けた。
九州と本州を隔てる関門海峡の激流の質量を直接受けるこの下関の水面は、からくり競艇界において「最も残酷な試金石」として全国の全支部から深く恐れられている。瀬戸内海と日本海を繋ぐ潮流の速度は最大時速二十キロに達し、超高速回航するハイドロカウルの旋回軸を一瞬で無慈悲に狂わせるのだ。干満の差が激しい時間帯には第一ターンマーク付近に本物の巨大な渦流が発生し、マブイ密度の甘い機体はカウル底面のハイドロ揚力を瞬時にデリートされて水中へと引きずり込まれてしまう。
さらに今大会の異質さを際立たせているのは、会場中央の水面に不気味に鎮座する、超巨大霊子共振受信タワー「万魂モニュメント」の存在にあった。
全世界の競艇ファンが仮想電算端末を介してリアルタイムで送信してくる、膨大な期待のオブジェクトデータを完全受信し、レーサーのカウルインテークへと直接分配する超大型の「マブイ・クラウド・ブースター」。レーサーはその背負うべき「期待の重さ」を完璧に電算制御して霊子ボイラーの推進出力へと変換する、器としての真の工学資質を試される過酷なレギュレーションだ。
「すごっす、潮の流速データが速すぎるっす! 博多のうねりとは根本的に格が違う、海そのものが全速で走っているみたいっすよ!」
ピット裏の電算コンソールから会場の水面を凝視した野田あかりが、激しく息を呑んだ。
前回大会の準優勝を経て正式招待を受けた俺の前に、全土から集結した化け物たちが次々とカウルを並べていく。
「連覇なんて、山口の若造に簡単にさせんたい」
佐賀の大峰幸太郎さんがその背後に強固な龍属性を滾らせれば、「浜名湖で魅せたあの針の密度、本番の極限水上でたっぷりと試させてもらうぞ」と岡山の絶対王者・河田元気さんが不敵にその口角を上げて笑う。そして、並み居る強豪たちの中心には、徳島のレジェンド――幸田文哉さんが、一切のマブイパルスを外部へ放出しない無心の佇まいで、静かに牙を研いで立っていた。
その瞬間、万魂モニュメントからの超膨大なオブジェクトデータの流入を検知した。ケージの中のスーがインカム越しに激しく鼻を鳴らし、俺の網膜ディスプレイに鮮烈な黄金のログが緊急展開された。
【衆望オブジェクトデータ:一斉受信。世界全特区からの同時アクセス数:三千万オーバー。マブイサージ供給率:通常時の五〇〇パーセントへ臨界上昇。――魂を繋ぎ止めろ!】
スーがインカムから低く、深く唸り続けた。その振動が右腕に伝わってくる。
「……重い。数千万人の人間の意志が、右腕の端子を通じて脳ニューロンへと直接流れ込んでくる……。だけどなスー、浜名湖のジャケットで鍛え上げられた今の俺たちの「核」なら、一ミクロンも苦しくない。これが……みんなが俺たちを信じてくれる、本当の力なのか……!」
守屋あおいが俺の隣にすっと立ち、白波の牙を剥く下関の水面を静かに見つめた。山口支部の誇る「維新の赤」の勝負服が、夕光の逆光に照らされて美しく燃え上がる。
「誠。ここは私たちの絶対に譲れないホームよ。世界中が見つめている前で、この下関の水面が私たちのものだってことを、あの化け物たちに証明しなさい」
「ああ、分かっているよ、あおい。幸田さんと河田さんと、この関門海峡の前で……山口支部の看板を懸けて、真っ正面から走りきる」
足元のスーが「フガッ!!」と力強く鼻を鳴らした。
その野生の生命パルスが俺の一千マブイの白銀の核を、浜名湖で極限まで研ぎ澄ました、あの圧倒的な圧密密度へと静かに、しかし確実に収束させていく。
最高峰――SG「衆望万魂祭」、SGオールスター。
前回大会の悔しさを胸に、山口の荒波の上で、今ここに激しく幕を開けた。




