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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第5章:誠の試練編

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第74話:数字を超えた「魂の深度」

ボートレースにおいて、本番のレース前に行われるリハーサルであり、観客にとって最大の推理材料となるのが**「展示航走てんじこうそう」**である。からくり競艇の世界では、この時間はレーサーが自身のマブイと機体のシンクロ率を最終確認し、観客に自らの「魂の状態」を誇示する神聖な儀式でもある。

スタート展示(ST展示):

本番さながらにコース取りとスタートの練習を行う。観客はここで「ピット離れ」の良し悪しや各艇の狙いを確認する。強力なマブイを放つ艇は他艇を威圧しコースを奪いやすくなるが、出力を出しすぎると本番で「マブイ切れ」を起こすリスクを伴う。

周回展示:

全艇が1周ずつ全力旋回を見せる。直線での「伸び」や、ターン時のボートのバタつき(回り足)をチェックする。幸田文哉のような達人は、この時点で水面のうねりを鎮め、自分だけにしか見えない「舗装された道」を水面に描いてしまうという。

 2029年4月24日。SG「マブイ開花賞」表彰式直後。

 白銀のカウルを脱いだ速水誠は、自身の指がまだ止まることなく震えていることに気づいた。それは極限の集中から解き放たれた反動であり、目の前で起きた「奇跡」への戦慄でもあった。

 「……シロ、幸田さんのマブイ……本当に『8』だったのかな」

 ピットに戻った幸田の機体「阿波の跳ね馬」から漏れ出す気配は、もはや計器の数字で測れる種類のものではなかった。エンジンの熱は冷め始めているはずなのに、その周囲の空気だけが、高山の頂上のように薄く、研ぎ澄まされている。

 「誠師匠、大内さんの解析結果が出たっす……これ、見てください……」

 あかりが震える手で差し出したタブレットには、幸田のマブイ波形のリアルタイム解析データが記録されていた。

 モニターに表示された数値は、確かに「8」であった。

 1,000マブイを持つ誠が「天才」と呼ばれ、27,000を誇る新見が「怪物」と呼ばれる世界で、一桁の数値は致命的だ。しかし、大内胤賢が提示したグラフの「密度」は異常を極めていた。

 誠の1,000マブイが美しい正弦波を描き、新見の27,000が荒々しい稲妻を描く中で、幸田の「8」は、肉眼では一本の線に見えるほど鋭く凝縮された「漆黒の点」の連続体だった。

 「……数値は『8』だが、その質は80万マブイ相当だ」

 大内が苦々しく、しかし敬意を込めて呟く。

 「彼はマブイを外部に『出す』のではない。細胞一つ一つ、機体のボルト一本にまで『溜め込んで』いる。一滴のマブイを、普通のレーサーの10万倍の効率で物理出力に変換しているんだ。経験だけで、世界の法則を書き換えやがった」

 表彰式の舞台裏。薄暗い通路で、優勝カップを無造作に置いた幸田が誠に歩み寄ってきた。

 「誠くん。マブイの『量』に頼るうちは、まだ若造だよ」

 潮風とオイルに焼かれた節くれだった手が誠の肩に置かれる。

 「ボートは、水の上を走るんじゃない。自分と、機体と、風……それらが溶け合って、一つの結晶になった『一点』を探す競技だ。その一瞬だけ、僕の『8』は世界の誰のマブイよりも重くなる」

 誠はその手の重みから、幸田が歩んできた40年近い修羅場の数々を感じ取った。

 (誠……幸田さんの機体には、マブイの『糸』が見えなかったんだ)

 シロが、幸田の足元に座る老練な風格の機獣を見つめながら言った。

 (普通のレーサーは糸で機体を操る。だが、あの人の場合、機体そのものが『金属性のマブイ』かのように一体化して輝いていた。あれは、錬成の極地だ……)

 幸田は、外部の補助もなく、ただ一人の経験と執念だけで「魂と機械の完全融合」を成し遂げていた。

 「幸田さん……俺、次は勝ちます。あなたの『8』よりも重い、俺だけの『1,000』を見つけてみせます」

 誠がまっすぐに宣言すると、レジェンドはわずかに目を細めて笑った。

 「いい目だ。福岡のうねりは、君を少しだけ大人にしたようだな」

 幸田が去ったピットに、博多の潮風が吹き抜ける。誠の「マブイ開花賞」は準優勝で幕を閉じた。しかし、胸に灯った火は、優勝した時よりも遥かに熱く、静かに燃え始めていた。

 「師匠、帰りましょう。山口で、みんなが待ってるっっす!」

 「……シロ、行くぞ。次は、風を掴む番だ」

 (ああ、誠。俺たちの航跡は、まだ始まったばかりだぜ!)

 白銀のレーサーと、その魂の分身。福岡の夜を背に、彼らは次なる戦場、地元・山口の下関へと向けて、力強く一歩を踏み出した。


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