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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第5章:誠の試練編

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第70話:独りゆく「孤狼」、そして修羅の頂へ

からくり競艇場において、水面以上にレーサーを翻弄し、あるいは味方となるのが「風」である。風は単なる空気の流れではない。大気中に漂う浮遊マブイを運び、機体の空力特性エアロダイナミクスを劇的に変化させる支配因子である。

風向とその特性:

追い風: スタートラインに向かって吹く風。艇が押し出されるため「フライング(F)」の危険が高まる。旋回時には艇を外側へ流すため、インコースの逃げを難しくし、センターからの差しを誘発する。

向かい風(逆風): 正面から受ける風。機首を跳ね上げるため転覆の危険があるが、これを「揚力リフト」として制御できれば、水面抵抗をゼロにする空中滑走が可能となる。

横風: 旋回半径を狂わせ、他艇との接触を誘発する。

風速とマブイの減衰:

風速が強まるほど機体制御は困難を極める。5m/sを超えればマブイ・グリップが剥がれやすくなり、10m/sを超えれば風圧そのものがマブイ出力を減衰させ、エンジンが悲鳴を上げる。この極限下では、出力よりも風を「いなす」練度が勝敗を分ける。

 2029年4月24日。SG「マブイ開花賞」最終日。

 博多の空は澄み渡り、風速2メートルの穏やかな追い風が吹いていた。しかし、ピットの空気は鉄を噛んだような重苦しさに満ちていた。

 「……新見、ごめんな。最後まで、お前の隣に……風になりたかった……」

 新見航平の相棒、キム・テヨン。彼は昨日の「痛みの共有」による過負荷で意識を失ったまま救急搬送されていた。新見の猛烈な加速の反動を、テヨンがすべて「避雷針」として引き受け、マブイ回路を焼き切ってしまったのだ。

 テヨンを乗せた車が遠ざかるのを、誠とシロは静かに見送った。

 「俺たちがハエトリグサでマブイを吸い取り、バランスを崩したせいだ……」

 (誠、気にするな。あいつらは、こうなることを覚悟して走っていた。……見てみろ、新見の目を。あれは絶望した奴の目じゃない。何かが『点火』した奴の目だ)

 周囲は「テヨンという盾を失った新見はもう終わりだ」と囁き合っていた。しかし、整備室に現れた新見の佇まいは昨日までとは別人だった。彼はテヨンとの接続用ケーブルを手に取ると、自らの首筋のポートに直接突き刺した。

 「テヨン。お前が命がけで守ってくれたこの機体……俺一人のマブイだけで回しきってやる」

 機体からの全負荷を脳で直接受ける、狂気の「リミッターカット」。27,000のマブイが深紅の光へと変色し、新見の機体を包み込む。相棒にも、自分自身の生存にすら頼らない。魂を燃料に焚べる真の「孤狼」が完成した瞬間だった。

 「新見……お前、本当に死ぬ気か。そこまでして獲る勝冠タイトルに、何の意味があるたい」

 大峰幸太郎が問いかけるが、新見の視線は誠を射抜いた。

 「今日、俺を止めてみろ。止められなければ……俺がこの福岡の水面ごと、お前らを焼き尽くす」

 誠は大内胤賢が最終調整を終えたタブレットを握り締めた。「……分かりました。新見さんの覚悟。俺のたった1,000のマブイですが、その重みごと、真っ向から受け止めます!」

 ファンファーレが鳴り響く。数万の観衆が舟券を握りしめ、叫喚する。

【優勝戦 出走表】

大峰 幸太郎(佐賀): 「龍神の意地」。地脈と同期する絶対的安定感。

瓜生 俊樹(山口): 「無の死神」。マブイゼロのステルス。

新見 航平(福岡): 「狂気の孤狼」。リミッター解除の超加速。

速水 誠(山口): 「白銀のドリル」。大内製ブースターの奇跡。

守屋 あおい(山口): 「嫉妬の天女」。誠を囲う氷の属性。

幸田 文哉(徳島): 「レジェンド」。チルト3度の超高角。

 ピットアウト。新見の3号機は制御を失ったかのような爆音を上げ、1コースの大峰に襲いかかる。

 「追い風2メートル。誠、この風は新見を前へ押し出すぞ!」

 (わかってる、シロ! 追い風をブレーキに変えて、一瞬の『静止』を作るんだ!)

 大時計の針がゼロ秒へ。

 1コース、大峰が龍の如き重圧でインを死守。2コース、瓜生が影となり消える。3コース、新見が深紅の残光を引いて突進。4コース、誠が白銀を震わせ、風を待つ。

 「全機……全開ッ!!」

 福岡の穏やかな追い風が、一瞬だけ激しく吹き抜けた。その微かな息吹を捉えた新見航平が、コンマ01という神の領域のスリットで飛び出した。

 「焼き尽くせ……!! テヨン、見ていろ!!」

 新見の絶叫が空を裂く。第1マーク。大峰の旋回が始まるより早く、深紅の閃光が福岡の水面を斜めに切り裂いていった。


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