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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3部:誠の試練編

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白銀の一輪

二〇二九年、四月下旬。ボートレース福岡――SG「全日本機兵王座決定戦」、最終優勝戦の最終第二ターンマーク。


 幸田文哉さんの放つ後流真空ポケットへと完全に吸着した、ハルを全てパージして「剥き出し」となった我が三十九号機。装甲パージによる超軽量化の恩恵を受け、時速二百キロを維持したまま最終コーナーへと突入した、その瞬間だった。


「速水くん……ここからは、もう俺が君に教えることは何もないよ」


 幸田さんがバックミラー越しに静かに言い放ち、チルト三・五度の空力フラップを最後の一ミリだけ深く絞り込んだ。後流の真空ポケットが急速に収縮を始め、吸い付いていた俺の超伝導フレームのエッジが外側へと激しく弾き出されそうになる。


 しかし、俺とスーはあらかじめ、その伝説のカウンターを完全に読んでいた。


(スー、今だッッ!!)


 足元のケージの中で、スーが「フガァァッ――!!!!」と、これまで一度も聞いたことのないような、野生の獰猛な咆哮を上げた。その生身の生命パルスが俺の神経系とダイレクトに完全同期した瞬間、俺はコンソールの右端にある最後の赤いレバーを、全力で叩いた。


「ハエトリグサ・パッチ、最終解放――ッッッ!!!!」


 幸田さんの後流が収縮したことで発生した、逆圧の強烈な負圧ウェーブ。それを、アマルガム・ペラのエッジが超高周波の逆位相ハッキングによって完全捕捉。収縮する絶対真空そのものを次なる推進力へと鮮やかに再編し、剥き出しの白銀フレームが博多の夜空へと、純粋なアズール・フラッシュの閃光となって弾け飛んだ。


 水上での剥き出しの競り合いは、僅か〇・三秒。

 幸田さんのチルト三・五度の機体が、最終コーナーの出口で、ほんの僅かに外側へと膨らんだ。那珂川の激しい干潮が水底で引き起こす、微細な吸引ノイズの環境デバフ。俺も気づかなかった。幸田さんですら、あの最後の吸引ノイズを完全には制せなかったのか。


 その、数ミリだけ開いた絶対の膨らみの最内へと、俺の剥き出しの白銀エッジが、鋭利な刃となって鋭く滑り込んだ。


「行くぞ、幸田さん――ッッッ!!!!」


 二つの白銀のカウルが同時にゴール板を通過し、プール全体の時間が一瞬だけ静止した。

 写真判定。

 スリットカメラが弾き出したのは、俺の舳先よりも僅か数センチ、幸田さんの駆る「阿波の跳ね馬」の先端が、先にゴール板をかすめていたという結末だった。


「――確定ッッ!! 一着、六号艇・幸田文哉ーーーッッッ!!!! SG「全日本機兵王座決定戦」覇者は幸田文哉!! SG優勝最年長記録を大幅に更新だァァァッッッ!!!!」


 実況アナウンサーの絶叫が、博多の夜空に激しく木霊した。

 ピットへと帰投した俺のフレームからは、白い霊子蒸気が静かに立ち昇っていた。コックピットから立ち上がり、ヘルメットをゆっくりと脱ぐと、右腕の神経系の激痛と震えが未だに止まらない。しかし、俺の瞳の奥は、かつてないほどに深く、澄み切った白銀の結晶の色に輝いていた。


「幸田さん……あなたの、あの無心の先の景色に、俺は確かに届きましたか」


「届いたよ。……かつて全土を震撼させたあの「マブイ開花賞」の名は、決して伊達じゃなかったな、速水くん」


 幸田さんが不敵に口角を上げて笑い、俺の激しく震える右手を、オイルの染みた固い手のひらで静かに、しかし強く握り締めた。

 一着・幸田文哉。二着・速水誠。三着・新見航平。

 その瞬間、山口支部のピットから飛び出してきたあおいが、大粒の涙を瞳に浮かべたまま、俺の胸の中へと激しく飛び込んできた。


「バカ誠……! 外装のナノ装甲まで全部パージして走るなんて。もしあのハッキングが外れていたら、私、本当に……」


「外れなかったよ、あおい。お前の放ってくれた絶対零度の嫉妬の冷気と、大内のくれた完璧な再編プログラムと、スーのこの鼻息が後ろにあったからな」


 あおいは俺の胸元をポカポカと拳で叩き、それからそのまま、強く、強く抱きしめてきた。

 遠く離れた福岡支部のピットの端では、新見航平が救護担架のベッドに横たわる相棒――キム・テヨンの濡れた手を、強く握りしめていた。テヨンの瞳が、電算失神の闇からゆっくりと開いていく。


「新見……俺たちの心中走法で、勝てたか……?」


「三着だ、テヨン。でも、お前が医療車へ運ばれた後、俺はたった一人で、あの死線を最後まで走りきったぞ」


「そうか……」とテヨンは、心の底から救われたように小さく優しく笑った。「じゃあ、次はまた二人で、一着を獲りに行こう」


 新見の背後に展開し、凶暴な深紅に変色していたマブイパルスが、その一言によって、元の静かな影の色へと穏やかに戻っていった。

 大内胤賢が俺の真横に静かに立ち、装甲を失って剥き出しになった三十九号機の真鍮フレームを、愛おしそうに黙って撫でた。


「誠。装甲を全て自ら磁気射出して走るなんて技術は、僕の数式のどこを探しても計算になかった。……君の現場での異常な感応が、大内の再編の数式を完全に超えた瞬間だ」


「大内さんの再編がなければ、俺はあの幸田さんの真空の道に、一ミクロンも吸い付けなかったよ」


 足元のスーが、ケージの奥でフガフガと誇らしげに鼻を鳴らし、短い尾をパタパタと振った。

 表彰台。博多の夜空の下、数万の競艇ファンの凄まじい熱狂の中に立った。幸田さんの隣だ。大宮の掃き溜めで端末の画面越しに見上げるしかなかった場所に、今、俺は自分の足で立っている。

 一千の凡人が、今夜だけ、世界の最速の頂点とその肩を並べた。

 それで十分だ。次は、一着を獲りに行く。

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