単独臨界駆動
二〇二九年、四月下旬。ボートレース福岡――最高峰SG「全日本機兵王座決定戦」、最終日。
「……新見、ごめんな。最後まで、お前の隣で完璧な影になりたかった……」
相棒のキム・テヨンは昨日の予選最終盤、心中走法による電荷過負荷の反動により脳ニューロンの意識を完全に失ったまま、前夜のうちに救急車で搬送されていた。新見の放つ「絶影旋回」の凄まじい過負荷のすべてを生身の神経で引き受け、自身のマブイ回路を完全に焼き切ってしまったのだ。
医療車のサイレンが遠ざかっていくのを、俺とスーは山口支部のピットの端で、言葉もなく静かに見送っていた。
「俺たちが二人を限界まで追い込んでしまったせいだ……」
俺が唇を噛みしめると、足元のスーが鋭く毛を逆立てて低く唸った。俺はスーの視線を追い、通路の奥から出てくる新見の目を見た。相棒を失って絶望した奴の目じゃない。一人で全てを焼き尽くす覚悟が、青白く点火した目だ。
俺がやったことが正しかったかはまだ分からない。でも、テヨンを失う前に止めたかった。その気持ちだけは本物だ。
薄暗い福岡支部の整備ブースから現れた新見航平は、昨日までの彼とは完全に別人だった。テヨンが使用していた生体デバイスのサブプロセッサーを、自身のカウルへと強制セカンドプラグイン。テヨンが引き受けるはずだった膨大な過負荷データの受信アドレスを、新見自身の脳ニューロンへと百パーセント直接ループバックさせる、単独臨界駆動の禁忌コードをコンパイルしたのだ。
「テヨン、お前が命がけで守ってくれたこのペラ……俺一人のマブイで、脳を焼き切ってでも完全に回しきってやる」
新見の背後に展開する二万七千の外付けマブイが、それまでの冷徹な透過の影色から、周囲の空間ごと全てを焼き尽くさんばかりの、凶暴な深紅の光へと変色を遂げた。相棒の防壁にも、自身の生存確率にすら頼らない、真の「孤狼」が水上で完成した瞬間だった。
「新見、そこまでして己の脳を焼き焦がして獲る最高峰のタイトルに、一体何の意味があるたい」
同じ優勝戦のグリッドに並ぶ大峰幸太郎さんの重い問いに対し、新見の深紅の透過解析眼は、ただ一カ所、俺の一千の白銀だけを鋭く射抜いた。
「今日この第一マークで、俺の深紅を止めてみろ、速水誠。止められなければ、福岡のこの修羅の水面ごとお前たちの白銀を、全て焼き尽くす」
「……分かりました、新見さん。その命を賭けた覚悟、俺の一千マブイの白銀で、第一マークの死線で真っ向から受け止めます」
最高峰SGの優勝戦のファンファーレが博多の街にけたたましく鳴り響き、スタンドを埋め尽くした数万の競艇ファンが、地鳴りのような大歓声を上げた。
四コースのカド位置を選択した俺は、三十九号機のコックピットで大時計の純白の針を見つめ、スロットルレバーを限界まで握り直した。ヘルメットのインカムに、大内の鋭い声が響く。
「追い風二メートル。この風圧は新見の深紅のカウルをさらに前へと異常押し出しさせるぞ!」
「分かっている! 真空還流弁を作動、この追い風の流速データを逆位相の制動プラズマへとハッキングしろ!!」
足元のスーが「フガッ!!」と力強く鼻を鳴らした瞬間、搭載された十五倍圧ブースターが全開となり、カウル前面の逆位相パルスが追い風の質量を定圧静止へと因果転換。大時計の針がゼロを指したその瞬間、全機が電算スリットラインへと一斉に突入した。
スリットを完全にブチ抜いて飛び出した新見の深紅の閃光が、鏡のような博多の平水面を斜めに冷酷に切り裂いた。
「テヨン、特等席で見ていろ。これが、俺一人の絶影だァァァッ――!!!!」
運命の第一ターンマーク。一コースから構える大峰さんの黄金の重力障壁が展開されるよりも遥かに早く、すべての生存本能をパージして深紅へと染まった新見航平の閃光が、博多の汽水面を引き裂いて、獰猛に最内へと突っ込んでいく。
止めなきゃいけない。俺の白銀で。




