第65話:修羅の残光、そして「孤狼」の真実
魂の伴走者――「ペット」という生命体
からくり競艇の世界において、レーサーの傍らに寄り添う動物たちは、単なる「愛玩動物」ではない。彼らはレーサーのコアマブイに呼応する魂の分身である。
マブイの共鳴:
ペットはレーサーの精神状態を反映する。レーサーは孤独な存在でもあるので負けたときなどはとてもメンタルが傷つくレーサーが多い。なので、レーサーにとってペットは家族なのである。誠の「シロ」は、彼の誠実さと白銀の闘志を宿し、西野の「爆炎犬」は怒りと地元の誇りを体現する。彼らはレース中、機体のセンサーや演算補助の役割を果たし、レーサーが捉えきれない「水面の予兆」を伝達する。
機体への融合:
多くのペットは、レース中にボートの専用スロットへ結合される。これにより、機獣の野性的感覚がプロペラの回転や舵の角度に直結し、機械を超えた生物的な挙動を実現する。
絆の対価:
ペットが傷つくことは、レーサーの魂が傷つくことと同義である。ゆえに、落水や衝突でペットが損傷した場合、レーサーは再起不能な精神的ダメージを負うこともある。
誠にとってのシロ、俊樹にとってのパスタ。彼らは孤独な水面における唯一無二のパートナーであり、彼らの瞳には、レーサーが見る「勝利」の先の景色が映っている
2029年4月22日(日)。ボートレース福岡、SG「マブイ開花賞」予選3日目終盤。
佐賀の龍・大峰幸太郎の「減点7」という激震がピットを揺らした直後、さらに非情な、そして福岡のファン全員を絶望させるホイッスルが響き渡った。
『西野貴志。フライングのため、失格!』
地元の期待をその背に一身に背負った西野貴志が、コンマ01という、瞬きよりも短い刹那に呑まれた。ライバル大峰の窮地に熱くなりすぎたのか、彼の「爆炎」マブイはスタートラインを越える前に燃え尽きてしまったのだ。
「……西野さん、マジっすか……」
有力候補が次々と脱落、あるいは致命的な減点によって後退していく「死の予選3日目」。殺伐とした空気の中、偵察任務を終えた野田あかりと野田真理子が、かつてないほど顔を青くして戻ってきた。
「誠師匠……これ、見てほしいっす。あの二人、ただ仲が良いだけじゃなかったっす……」
あかりが震える手で、隠し撮りした整備データのログを誠に差し出した。そこには、新見航平とキム・テヨンの制御タブレットが、特殊なマブイ伝導ケーブルで「直結」されている光景が映し出されていた。
「真理子さんが気づいたんっすけど、新見さんのあの『絶影旋回』……あれ、機体への負担とマブイの負荷が凄すぎて、本来ならレーサーの精神が数秒で焼き切れるはずなんです。でも、それをテヨンさんが……**『痛みのバイパス』**として、半分以上肩代わりしてるんです!」
「マブイの共有じゃない……。新見の『加速の代償』を、テヨンが生身で受けてるってことか!?」
誠は戦慄した。通常、マブイの出力増加に伴う負荷は、機体の冷却システムやレーサーの装備で吸収する。しかし、新見の超高回転セッティングは、その安全装置すら踏み越えた領域にあった。テヨンは自身のマブイ回路を、新見の負荷を吸い取る「避雷針」として機能させていたのだ。
真理子が、その残酷な真実を補足するように告げる。
「テヨンくんのコアマブイが低いのは、才能がないからじゃないわ。新見くんの『影』として、常に彼の精神的オーバーロードを引き受け続けているからなの。あの子たちの走りは……二人で一つの命を削りながら走る、心中走法なのよ……」
だからこそ、彼らはどのグループにも属さない。他者を介入させれば、この極限まで研ぎ澄まされ、かつ脆弱な「共依存のバランス」が崩れてしまうからだ。
(誠、気をつけろ。あいつらは『勝つため』に走ってるんじゃない。『二人で生き残るため』に、邪魔な他者を排除しに来るぞ。あいつらの猟犬型機獣……その眼光には、自分たち以外の全艇を沈めるという拒絶が宿っている)
シロが、新見の足元で静かに佇む猟犬を見つめながら低く唸った。
そこへ、フライングのショックで放心状態のはずの西野が、幽霊のようにフラフラと歩み寄ってきた。
「……誠。おいが消えた今、福岡の意地ば見せられるとは、あの孤狼(新見)しかおらん。……ばってん、あがん走りはいつか壊れる。二人とも、いつか心臓が止まるぞ」
西野は、誠の肩に重い手を置いた。
「おいにはできんかった。誠、お前があいつらを水面で『救って』やれ。あの呪われた絆から、白銀の光で解き放ってやるったい……」
「西野さん……。わかりました。俺が、あいつらの痛みを断ち切ってみせます」
予選最終日となる4日目に向けて、誠の周囲もまた「結束」の熱を帯び始めた。
「うちらも、あんな悲しい走りには負けられないっす! 師匠、最高の整備をしてやるっすよ!」
あかりと真理子が、誠の39号機に対して「愛のフルメンテナンス」を開始した。昨日の空中戦で焦げ付いたギアを一つずつ交換し、マブイの伝導率を極限まで高めていく。
その傍らで、大内胤賢は無言でロスト・ブースターの最終調整を行っていた。
「誠。新見の負荷をテヨンが肩代わりしているなら、戦略は一つだ。テヨンを力でねじ伏せるのではない。君の白銀のマブイを、テヨンの『避雷針』に干渉させるんだ。彼が吸収しきれないほどの純粋な『正の波動』を流し込み、心中システムの接続を強制解除させる」
「それは……新見さんを、ただのレーサーに戻すってことか?」
「そうだ。二人を一人に戻す。そこからが本当の勝負だ」
大内の手が、複雑なマブイ基板を叩く。誠の右腕の接続端子からは、これまで以上に眩い白銀の放電が漏れ出していた。
一方、福岡支部の宿舎。新見とテヨンは、暗い部屋で互いの手を握りしめていた。
「テヨン、もう少しだ。このSGを獲れば、もうこんな無理はさせない……」
「新見、俺は大丈夫だ。君が風になるなら、俺は喜んでその重みを受けるよ」
痛みを分かち合う孤狼、その崩れゆく絆。
それを救うのは、誠の白銀か、それとも福岡の非情なうねりか。
運命の予選最終日。博多の海は、嵐の前の静けさに沈んでいた。




