第59話:博多の「孤狼」と「弾丸」、那珂川に現る!
SG「マブイ開花賞」が開催されるボートレース福岡。その前日、レーサーたちが最も神経を研ぎ澄ませるのが「前検日」である。これは単なる準備日ではない。開催期間中の運命を左右する、からくり機艇とレーサーの「お見合い」の場である。
* マブイ同期検定: 抽選で割り当てられたエンジンに自身のマブイが正しく適合するかを検査する。適合率が低いと、初日からマブイの逆流による自爆事故を招くため、極めて厳格に行われる。
* タイム測定: 直線150メートルを全力疾走させ、その機力を数値化する。福岡のような「うねり」の強い水面では、この時の足(機力)がそのまま生存確率に直結する。
* 持ち込み調整の最終確認: レーサーは自身が磨き上げた「私物プロペラ」を装着する。ピットには金属を叩く乾いた音が響き、それは各レーサーの「魂の拍動」とも形容される。
この前検日での手応えが、一週間にわたる「修羅の水面」での戦いを占う試金石となるのだ。
2029年4月17日。ボートレース福岡。
那珂川の河口から流れ込む淡水と、博多湾の海水が激しくぶつかり合うこの水面は、からくりレーサーたちの間で「修羅の庭」と呼ばれている。
下関での死闘を制し、31秒目の奇跡を起こした速水誠は、SG初参戦の緊張を胸にピットへ足を踏み入れていた。だが、そこには下関の熱狂とは一線を画す、凍てつくような緊張感が漂っていた。
「……群れなきゃ走れん奴らに、福岡のうねりは越えられんばい」
ピットの最北端。西野貴志率いる「ポンコツ会」などの巨大勢力から距離を置き、一人静かにプロペラを叩く男がいた。福岡支部の新星、新見航平である。
彼は地元でありながら既存の勢力に一切属さない、完全なる一匹狼。27,000という異常な数値の外付けマブイを、自作の超高回転セッティングに一点集中させている。そのマブイは、福岡特有のうねりを力でねじ伏せるのではなく、水面の粒子を透視し、その隙間を滑走する「絶影旋回」を可能にする。
「新見、山口から来た『白銀』の坊主、なかなかいいツラ構えしてるぜ。……歓迎してやろうか?」
新見の唯一の相棒、キム・テヨンが不敵に笑う。テヨンは新見の先行を助けるための「弾丸」となって水面をかき乱す。彼らこそ、博多で最も恐れられる「孤狼コンビ」であった。
誠は、試運転を終えピットに戻ったところで新見とテヨンが放つ威圧感に足を止めた。
(誠、気をつけろ。あいつらのマブイは博多の街の熱気と溶け合っている。西野さんの『爆炎』とは違う、冷徹な殺気だ。あいつらは、うねりを味方につけているぞ)
シロが低く唸る。福岡の「うねり」は、潮位の変化によって予測不能な複雑さを持つ。新見たちのマブイは、その不規則な波のリズムを事前に「予見」しているかのようだった。
今大会、ピットにはからくり競艇界の頂点たちが集結していた。
| 勢力名 | 主要メンバー | 戦術的特徴 |
| 福岡・孤狼コンビ | 新見航平 / キム・テヨン | 独自理論の超高回転セッティング。「絶影旋回」。 |
| 山口・野田同盟 | 速水誠 / 野田あかり / 野田真理子 | 誠を軸とした結束。背後にはあおいの「嫉妬」が潜む。 |
| 徳島・レジェンド | 幸田文哉 / 幸田勝也 | チルト3度の絶対神域。1マークを力で破壊する。 |
| 山口・再編者 | 大内胤賢 | 誠の古代パーツを解析。時空計算による最適解の追求。 |
誠が新見の背中を睨みつけていると、整備室の陰から冷徹な声が響いた。
「誠。福岡のうねりは計算外の変数だ。昨日渡した『ロスト・ブースター』を、今度は『姿勢制御用』に書き換える必要がある」
大内胤賢だ。彼は睡眠時間を削り、福岡の全潮位データを脳内に叩き込んでいた。
「なーんか、ピリピリしてるっすね! 誠師匠、顔が怖いっすよ! 真理子さん、偵察がてら明太子おにぎり食べに行きましょう!」
野田あかりの能天気な声が、一瞬だけピットの重圧を霧散させた。真理子が苦笑いしながら誠の背中を叩く。「少し肩の力を抜いたほうが、福岡の波には乗れるかもしれないわよ」
夕刻、前検日の全検査が終了し、場内にはSG開催を告げるファンファーレが鳴り響いた。
那珂川から吹き抜ける潮風には、新見が叩いたプロペラの金属音、あおいの嫉妬の残り香、そして幸田兄弟が放つ王者の威圧感が混ざり合っていた。
「福岡、ボートレース福岡……。日本一狭い1マーク、か」
誠はシロを抱き上げた。シロの瞳には、夕日に照らされて黄金色に輝く、しかし底知れぬ「うねり」を孕んだ博多の水面が映っていた。
「行くぞ、シロ。ここを越えなきゃ、俺たちの春は来ない」
(ああ、誠。あの新見とかいう男の影……俺が噛みちぎってやる)
2029年度、最初の頂点決戦。
マブイが乱舞し、潮騒が咆哮する中、速水誠の「修羅の旋回」が、今まさに幕を開ける。




