第58話:時代の号砲!「マブイ開花賞」福岡開催決定!
からくり競艇の戦場において、勝負の八割が決まると言われるのが「ターンマーク(標識浮標)」である。水面に浮かぶこの円錐形の赤い物体は、単なる折り返し地点ではない。からくり機艇が発する膨大なマブイエネルギーを吸収し、水面に固定するための「霊的支柱」としての役割を果たしている。
第1ターンマーク(1マーク):
スタート直後、全艇が時速100km以上の猛スピードで殺到する最激戦区。ここを制する者がレースを制すと言われ、機体の「回り足」が最も過酷に試される。
第2ターンマーク(2マーク):
バックストレッチでの死闘を経て訪れる旋回地点。逆転を狙う「差し」や「切り返し」のドラマが生まれる。
マブイの渦:
ターンマーク周辺には、旋回する機体から漏れ出たマブイが残留し、目に見えない「霊的な渦」を形成する。未熟なレーサーはこの渦にハンドルを取られるが、超一流は逆にこの残留マブイを自機のグリップ力へと変換する。
下関の最終2マーク。誠が挑むのは、伝説と嫉妬が渦巻く、文字通りの「地獄の旋回」であった。
2029年4月15日、ボートレース下関。準優勝戦。
「……あと10秒で、石が砕けるぞ、誠!!」
ヘルメットの通信機越しに、大内胤賢の悲鳴に近い警告が突き刺さる。誠の39号機は、左に幸田兄弟が放つ「伝説の直線」、右に守屋あおいの「紅蓮の旋回」に挟まれ、逃げ場のない圧殺領域を時速250kmで滑走していた。
大内が組み込んだ『ロスト・ブースター』は、誠の1,000のマブイを10,000へと増幅している。真鍮の歯車は摩擦熱で白熱化し、ボイラーからは漆黒の蒸気が悲鳴のように噴き出していた。
(誠! 機体がもたん! お前の心臓が止まるぞ!)
シロの警告通り、誠の視界は過負荷により真っ赤に染まる。脳のニューロンが脆弱な器を突き破り、激痛が肉体を焼き焦がそうとしていた。
「残り5秒……4……3……!」
大内のカウントダウンが死神の足音のように響く。その瞬間、右側のあおいの機体「天女」がさらに色を濃くした。
「誠くん……私の隣が、そんなに嫌なの……!?」
あおいから放たれる「嫉妬のマブイ」。それは絶対零度の殺気を含んだ精神的重圧であった。通常、このマブイを浴びれば機体は氷結し、出力が低下して沈む。だが、今の誠にはその呪いが救いの糸に見えた。
誠は、爆発寸前のロスト・ブースターの排熱バイパスを強引にこじ開けた。
「これだ……あおいの嫉妬は、あまりにも冷たく、そして重い!!」
誠は自機をあおいの氷のオーラへとあえて接触させた。『嫉妬冷却』。機体内部で1,000°Cを超えた熱量を、あおいの放つ「零下」の嫉妬マブイへと一気に放熱し、熱交換を行ったのである。
激しい蒸気音が響き、39号機のノッキングが止まった。真鍮の歯車は冷却され、再び鋭く超高速回転を始める。
「30秒経過……!? バカな、波形が完全に安定しているだと!?」
大内の計算を嘲笑うように、誠は前人未到の「31秒目の加速」へと突入した。あおいの嫉妬を吸い込み、異常な静寂を纏った白銀の機体は、下関の水面を支配する霊的存在と化した。
迎えた最終第2ターンマーク。伝説・幸田文哉が「チルト3度」で見せた、水面を跳ねるように飛ぶ奇跡の旋回。その着水の瞬間に生じる、針の穴を通すようなわずかな隙間を、誠は1,000の目で捉えた。
「野田同盟……大内……あおい! 全員の想いを、この一瞬に!!」
新奥義『銀河割』。
幸田兄弟の「阿波の双龍」が作り出した巨大な渦を、誠の白銀がナイフのように切り裂いた。光の速さですべてを置き去りにして、誠の39号機が真っ先にゴール板を駆け抜けた。
ピットに戻った39号機からは、冷えていく金属の寂寥とした音が響いていた。幸田文哉が誠のもとへ歩み寄る。
「負けたよ。よもや、あおいちゃんの『執念』を冷却システムに転用するとはな。最高の走りだった」
文哉は満足そうに笑い、誠の手を強く握った。伝説を越えた瞬間であった。一方、3着に沈んだあおいの瞳には、さらに深化した「執着」の火が灯っていた。
「誠くん……それは、もう一生私から逃げられないって、自分で自分の首を絞めたのと同じよ?」
激闘の熱が冷めぬ中、全レーサーのタブレットが一斉に鳴り響いた。2029年度、最初のSGレース「マブイ開花賞」の開催地が発表されたのだ。
「……次、福岡たい! ついに俺たちの庭に、全国の化け物どもが集まるばい!!」
西野貴志が咆哮する。ボートレース福岡は、那珂川の河口に位置し、複雑な「うねり」と、全国屈指の狭さを誇る第1マークが牙を剥くテクニカルコースの極致である。
「誠くん。福岡のあの狭い1マーク、私の『天女』が舞うには最高の舞台だと思わない?」
あおいのマブイが青白く輝く。誠は大内から授かったブースターの消えない熱を右手に感じながら、静かに頷いた。
「……福岡。あそこを攻略できなきゃ、全国の頂点は見えない。あの修羅の水面を、この白銀で突き抜けてみせます!」




