第56話:W野田、唐津に咲く!「野田同盟」の公開宣言
からくり競艇において、レーサーが乗り込む艇は「運命の共同体」である。しかし、なぜエンジンとボートで個別に登録号数が存在するのか。それは、この二つが「魂」と「肉体」という全く別の役割を担っているからに他ならない。
一般の競艇同様、これらは節ごとに抽選で決まるが、からくり競艇の世界では、それらがレーサーの内なる「マブイ(魂)」とどう共鳴するかが勝負の分かれ目となる。
| 構成要素 | 役割 | レーサーの関与と技術 |
| エンジン | 「魂の燃焼室(心臓)」。マブイを物理的な推進力に変換する。 | マブイの同調率(シンクロ率)によって出力が激変する。 |
| ボート | 「水面の翼(肉体)」。浮力と安定性を司る。 | 自分のマブイ特性に合わせ、スポンジや板で「乗り心地」を微調整する。 |
| プロペラ | 「力の伝達者(手)」。唯一、私物として持ち込める。 | ハンマーで叩き、ミリ単位で形状を変えて「足」を仕上げる。 |
レーサーが整備の指標とするのは、以下の三つの「足」である。
* 出足(加速力): スリット通過後や、ターン直後の立ち上がりの速さ。マブイを瞬時に爆発させる「剛腕型」が重視する。
* 回り足(旋回性能): コーナーを回る際の安定感。からつ特有の汽水の粘りに抗うには、この性能が不可欠となる。
* 伸び足(最高速度): 直線での伸び。チルト角度(取り付け角)を上げることで最大化されるが、安定性は失われる。誠の「空中戦」はこの伸び足を極限まで高めたセッティングである。
からくり競艇の勝負は、ターンマーク(旋回地点)をいかに回るかで決まる。特に「マイ(旋回)」の使い分けは、レーサーの属性が最も顕著に現れる瞬間である。
* 先マイ(さきまい): 内側の艇が先にハンドルを切り、最短距離を回る王道の技。
* 外マイ(そとまい): 内側の艇を外側から全速で追い越す。遠心力に耐えうる「剛腕」が必要。
* ツケマイ(つけまい): 内側の艇にピタリと寄せ、相手の「風」や「マブイ」を吸い取って抑え込む高等技術。
今回の唐津記念では、佐賀勢の「先マイ」の鉄壁さに山口勢は屈することとなった。しかし、その敗北の灰の中から、新たな絆の「旋回」が始まろうとしていた。
2029年3月11日。ボートレースからつ。
佐賀支部による上位独占で幕を閉じた「からつオープン記念競走」。表彰式の余韻が冷めやらぬ中、場内の特設ステージでは、優勝戦以上の熱気が渦巻いていた。
ステージを彩るのは、佐賀の包容力の象徴・野田真理子。そして、山口からやってきた金髪の暴走特急・野田あかりである。
「はいはーい! 皆さん、からつリニューアルおめでとうっす! 師匠は沈んだけど、ウチのテンションは爆上がりっす!」
あかりがギャル全開のエネルギーで客席を煽ると、リニューアルされたばかりの広場が揺れるほどの歓声が上がった。
「佐賀支部の野田真理子です。今日はあかりちゃんと一緒に、からつを盛り上げに来たよ」
真理子が優しく手を振るだけで、殺気立っていた競艇ファンたちの心が浄化されていく。
「実はうちら、プライベートでも『野田同盟』って呼んでるくらい仲良しなんっす! 次回、私が唐津で走る時や、真理子さんが山口に来る時は、二人で鉄壁のラインを組んで、他支部の男どもをボコボコにする予定っすから!」
「ふふふ。あかりちゃんが全速で『外マイ』を仕掛けるなら、私は後ろを完璧にガードして、誰にも追いつかせない『鉄壁の回り足』を見せるよ」
真理子の穏やかな、しかしプロのプライドが滲む言葉に、ファンたちは山口対佐賀の新たな抗争の予感に沸き立った。
4.機獣たちの黄昏
トークの話題は、準優勝戦で落水し、現在は救護室で反省中の誠のことへ移る。
「もう、ウチの師匠は詰めが甘いんっすよ! 1,000マブイしかないのにロストテクノロジーなんて扱うからキャパオーバーなんっす!」
「でも、誠さんのあの『古代跳躍旋回』、近くで見ていて震えたよ。あかりちゃん、次は私たちが誠さんをしっかり支えて、物理的にも精神的にも落水させないようにしなきゃね」
ステージの袖、大型モニターの影では、二匹の機獣がその会話を冷静に見つめていた。誠の相棒シロと、俊樹の相棒パスタである。
(……シロさん。あの二人が本当に組んだら、山口の『天女』ことあおいさんも黙ってないでしょうね。嫉妬のマブイと野田同盟……下関の水面が物理的に爆発しそうです)
パスタが心配そうに短い尻尾を振る。
(パスタ……。女の友情は、機獣の牙よりも鋭い。誠は一番厄介な『因縁』を拾っちまったようだな)
そこへ、優勝した大峰幸太郎の愛犬、ムネリンがいかシュウマイを咥えて現れた。
「お疲れさん。差し入れだ。食って元気出せ。敗北の味を、イカの旨味で上書きしていけ」
(ムネリン……。佐賀の犬は気風がいいな)
シロがいかシュウマイを頬張る。ステージ上では「野田同盟」がギャルピースで記念撮影に応じていた。
誠は敗れた。しかし、彼がからつの水面に残した航跡は、新たな「絆」という名の大きなうねりを生み出そうとしていた。山口への帰路。誠を待っているのは、あおいの雷か、それとも大内との禁断の再編か。いずれにせよ、速水誠の機艇道に穏やかな日は当分来そうにない。




