第53話:虹の松原の秘密、佐賀の新星の暗躍
からくり競艇において、レーサーの実力と同じ、あるいはそれ以上に勝敗を左右するのが「エンジン抽選」である。節間の初日、レーサーたちは一堂に会し、その開催期間中に相棒となる機体とボートを抽選で決定する。
* 個体差の迷宮: 精密に作られたからくりエンジンであっても、マブイ石との相性や過去の整備履歴により、一機ごとに明確な「機力」の差が存在する。直線が異常に伸びる「超抜」もあれば、何をしても加速しない「ワースト機」も存在する。
* マブイの記憶: からくりエンジンは、以前に使用したレーサーのマブイを微かに記憶する性質がある。前節で強気なレーサーが使った機体は荒々しい出力を出し、繊細なレーサーが使った機体は静かな回転を見せる。
* 運も実力のうち: 抽選会場に置かれたガラポン(抽選器)から出る玉の色が、その節の運命を決定する。エース機を引けば「優勝への特急券」を手にし、低勝率機を引けば「整備地獄」の数日間が確定する。
速水誠が今回引き当てたのは、勝率40%の中堅機「55号機」であった。特徴はないが、癖も少ない。この「白紙」に近い機体に、誠がいかにして自らの白銀を刻み込むかが、からつ攻略の鍵となる。
2029年3月9日。ボートレースからつ・予選最終日。
からくり競艇の開催期間中、レーサーは外部との接触を断つため宿舎に隔離される。八百長や不正を防ぐための鉄則だが、機獣を同伴させている選手には、唯一の例外が認められていた。それは、機獣のストレス軽減とマブイの安定を目的とした「1時間限定の散歩外出」である。
「ふぅ……。からつの宿舎は飯が美味すぎて、つい食べすぎちゃうな、シロ」
誠は、宿舎の裏手に広がる「虹の松原」へシロを連れて歩き出した。同じく散歩許可を得た瓜生俊樹とパスタも一緒である。
「誠。佐賀の大峰と宮地のコンビ、あのラインは単なる技術じゃない。この土地の地脈……水底を流れるマブイの川を読み取っているんだ」
俊樹が冷静に分析する。からつ特有の汽水の粘りは、地脈から湧き上がる霊的な重力によるものだという。
(誠、あっちだ。松の根元から、懐かしいマブイの火花が聞こえるぞ)
シロが突然、整備された遊歩道を外れ、鬱蒼と茂る松の古木の奥へと走り出した。導かれた先には、砂地に半分埋もれた巨大な鉄の魚のような残骸があった。それは江戸時代、からくり文化の黎明期にこの松原を津波から守っていたとされる古代機獣「松風」の心臓部であった。
「これは……マブイのアキュムレーター(蓄積器)!? 今の技術じゃ不可能な超高密度の真鍮製だ」
誠が触れると、古代の残骸から微かな白銀の光が漏れ出し、シロの瞳と共鳴した。
(誠、これを使え。佐賀の地脈を力でねじ伏せるんじゃなく、このパーツで『風の一部』になるんだ)
シロは砂の中から、鈍い金色を放つ小さな真鍮の歯車を掘り起こし、誠に差し出した。それは汽水の粘りを抵抗として受けるのではなく、粒子レベルで「潤滑剤」へと変換するロストテクノロジーの結晶であった。
「……おい、速水。そこで何ばしよっとか?」
制限時間が迫る中、向こうから同じく散歩中の宮地明が現れた。大峰の愛犬、フレンチブルの「ムネリン」を連れている。
「宮地さん。……からつの風、少しだけ分かった気がします」
「……ほう。なら、明日の準優勝戦、楽しみばい。俺たちのライン、古代のパーツごときで割れるほど柔じゃなかばってんね」
宮地は不敵に笑い、誠の手にある真鍮の歯車を一瞥して去っていった。敵地である佐賀の地で、誠は地元の重圧を、シロが導いた歴史の加護で塗り替えようとしていた。
2029年3月10日。ボートレースからつ・準優勝戦第11レース。
予選を突破した誠の前に、佐賀支部の未来を担う二人の才能が立ちはだかった。一人は大峰幸太郎の正統後継者、下野慎太郎。コアマブイこそ8500だが、徹底した整備により外付けマブイ18000を叩き出す怪物級の加速型レーサーである。
そして、今大会最大のダークホース、留学生のリサ・マクドナルド。彼女の持つマブイは、コア99、外付け999という極低数値。しかし彼女は「無垢の旋回」と呼ばれる、水面の波紋や風の囁きを「聴く」ことで最短最速のラインを選ぶ天性のセンスを持っていた。
| 枠 | レーサー | 支部 | 特徴・戦術 |
| 1 | 下野 慎太郎 | 佐賀 | 師匠譲りのイン逃げ。外付け18000の爆発力。 |
| 2 | 守屋 あおい | 山口 | 誠を援護する天女の旋回。精密な引き波。 |
| 3 | 速水 誠 | 山口 | 古代の歯車を組み込んだ「松風」仕様。 |
| 4 | 宮地 明 | 佐賀 | 変幻自在のまくり差し。佐賀の地脈使い。 |
| 5 | リサ・マクドナルド | 留学 | 無垢の旋回。マブイに頼らない最短滑走。 |
| 6 | 瓜生 俊樹 | 山口 | 冷静沈着な最外枠。純白の空白。 |
「大時計、ゼロ!」
全艇がコンマ10前後のスリット。1コースの下野が、外付けマブイを全開にして「佐賀の壁」を築く。3コースの誠は、古代の歯車を噛み合わせた39号機のスロットルを静かに開いた。
「……軽い! からつの粘る水が、まるでシルクのように流れていく!」
誠は確信した。松風の歯車は、汽水の粘り気を「回転の反発力」へと変換している。誠の39号機は、他艇が泥沼を走るような重圧に苦しむ中、一艇だけ氷の上を滑るような加速を見せた。
「させるかぁ! これが佐賀の根性たい!」
下野が強引にハンドルを切り、誠のまくりをブロックしに来る。だが、その誠の白銀の航跡を、5コースからリサが吸い付くようにトレースしてきた。
「誠さん、そのライン……とっても綺麗。だから、私がもっと綺麗に『なぞって』あげる」
リサの機体は、マブイの干渉を一切受けない無音の加速。彼女は誠が作った「水の通り道」を、最短距離で潜り込んできた。
第1ターンの攻防。逃げる下野、まくる誠、そしてその懐を音もなく突くリサ。
「下関の処刑特訓に比べれば……この程度の重圧!」
誠は古代の歯車の出力を最大にし、下野のブロックを「スカイ・ハイ」の揚力で回避。空中戦に近い旋回を見せながら、同時に背後から迫るリサの「無垢の旋回」を、シロとの同調によって生み出した白銀の余韻で牽制した。
三艇が横一線。佐賀の「壁」、誠の「古代の遺産」、そしてリサの「天性」。からつの水面に、三つの異なる色彩の航跡が交差し、巨大な虹が架かったかのような錯覚を観衆に与えた。
「行くぞ、シロ! 準決勝の先……あおいと大内が待つ決勝の舞台へ!」
誠の機体が、虹の松原の風を背に受けて、白銀の閃光へと変わった。




