絆の計算式
四月二十一日。SG「九州王座特区戦」――最終優勝戦。
俺が準優勝戦での転覆落水により、夢半ばで散った翌日のことだった。山口支部の希望を一身に背負い、決戦のピットに並んだ大内胤賢と西野貴志さんは、圧倒的なアウェイの空気に包まれていた。
大時計がゼロを刻んだ瞬間、スタンドがどよめく。一コースの大峰幸太郎さんを筆頭にした佐賀勢の四人が、個人の勝利の損得を超越した、物理的な「支部の壁」を完成させていたのだ。
大峰さんが最内を締め上げ、宮地さんがその外側への流体干渉を完全にガードし、下野さんがボイラー加速を電算制御で抑え込んでハイドロの動く水壁となる。極めつけはリサ・マクドナルドだ。マブイ放射を完全なるゼロに中和した彼女の「無垢の旋回」が、大内の差し筋の周波数をアナログハッキングで先回りし、進路を冷酷に潰し回った。大峰から直接の誘いがあったらしい。感性で水面を読む者は、佐賀のラインと相性が良かったのだろう。
「悪いけど、今日は誰一人、佐賀の懐には入れんよ」
四艇のバイオリンクが完璧に同期する――広域流体制御フォーメーション「佐賀・ブロックライン」が、第一ターンマークを巨大な盾となって旋回していく。
「なんばしよっとかお前ら! そげん群れて走って恥ずかしくなかとね!!」
西野さんが爆炎のマブイを最大燃焼させるが、宮地さんの流属性がその熱量を巧みに相殺し、外周の消波装置へと激しく弾き飛ばした。大内もコックピットの中で冷や汗を流しながら、必死に最適化を試みる。
「計算外だ……四人がマブイの航跡を完璧に電算ネットワーク化している。僕一人の最適化計算では、あの流体の盾に太刀打ちできない」
結果は凄惨だった。大峰、下野、宮地、リサによるワンツースリーフォー独占。佐賀支部の完全勝利だ。
ピットへ帰投した大内は、端末のスクリーンを長い間見つめていた。言葉がなかった。西野さんがヘルメットをパチンと叩き、悔しそうに、しかし清々しく笑った。「まあ、こういう日もあるたい」
ピットの大型モニターでその光景を呆然と見つめていた俺は、拳を握り締めた。
「……個人の強さだけじゃ、あの強固なシステムは壊せない」
足元のスーが、静かに大峰さんの旋回航跡を鋭い瞳で睨みつけ、低く唸った。俺はスーの視線を追いながら、大峰の旋回軌跡の美しさを見た。あれは技術だけじゃない。四人が互いを信頼して任せ合っているから生まれる速度だ。あの佐賀の背中こそが、今の山口支部に決定的に欠けている「組織としての絆」だ。
打ちひしがれる俺とあかりの前に、一人の女性レーサーが歩み寄ってきた。あかりと同じ「野田」の名を持つ——あかりの遠縁にあたる先輩レーサー、野田真理子さんだ。他艇とのバイオリンク同調率を強制的に引き上げる「結属性」の使い手だという。
「誠さん。今回はウチの支部の勝ちやけど、あかりちゃんを泣かしたままじゃ終わらせんよ。次は山口の水面で、思いっきり暴れてあげるわ!」
「そうっす! 次は二人で最強の野田同盟を組んで、師匠を絶対優勝させるっす!!」
あかりの涙目に、激しいギャル魂の希望の光が戻った。
深夜、大破した愛機を独り見つめていた大内に、俺は静かに歩み寄った。
「大内……悪かったな。俺が準決で残っていれば、こんな結果には……」
「いや。支部の絆という非論理的な感情の変数を、僕は過小評価していた」
大内は作戦端末のポケットから、前夜に密かに回収していた真鍮の古代データメモリの残骸をゆっくりと取り出した。焼き切れた基盤のナノ回路の焦げ跡を、月光の下で、まるで星図でも読むかのようにじっと見つめる。
「このメモリ、僕が正式に預かるよ。僕の氷極の計算と、君の一千の白銀マブイ、そして真理子さんたちが言う「絆」という非論理的なデータを……次なる山口の戦いで、完璧に融合させてみせる」




