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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3部:誠の試練編

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密室の気流

二〇二九年、四月上旬。

 日本唯一の全天候型ドーム施設――ボートレース前橋ドーム競艇場。


 聖地・住之江でのバトルトーナメント完全制覇を成し遂げた俺――速水誠が次に降り立ったのは、春の嵐を巨大な装甲カウルで完全に遮断した、工業用水を満たした暗い「淡水の密室」であった。


「住之江での優勝、お見事でした。でも、ここは私のホームですから」


 前戦の住之江で俺の走りを見ていたと言って近づいてきた群馬支部の若き令嬢――山崎光さん。俺の目の前に立ちはだかったあの山崎の妹であり、兄をも凌ぐ鋭利な風属性のマブイ二万を全身から優雅に纏う彼女の愛機「ウィンド・ダンサー」は、この巨大ドーム内の人工制御気流をインテークへ強制吸入し、爆発的な加速へとダイレクトに変調させる恐るべき密室設計を誇っていた。


 ピットの重鎮席を見上げると、岡山のレジェンド――河田元気さんが静かにマイペラを叩いていた。


「あおいが山口へ行き、岡山は寂しくなったがな。代わりに、あんたの元気、試させてもらうよ」


 マブイ八万五千の【障属性】。他艇の放つ狂暴な引き波の流体分子を完全に相殺し、一寸の差しの空間すらも無効化する絶対の防御障壁――「絶対逃走」。その老練にして絶望的な質量感が、淡水のプール全体をドロリと威圧していた。


 三十九号機を水面に降ろした瞬間、俺はすぐに最悪の異変を肌で察知した。住之江の夜以来、全土のボイラー効率に変調をきたしているという報告が来ていた。それが前橋ドームの低気圧密室と相乗効果を発揮し、俺の一千の出力は深刻なまでのエネルギー不足に陥っていたのだ。


 翌日、前検ピット裏の薄暗い通路へと戻ると、そこでは二人の乙女がバチバチと火花を散らしていた。山口からプロペラ鞄を担いで追ってきた首席弟子――野田あかりと、地元の令嬢である山崎光さんだ。あかりはプロになってから数十節にわたり、俺のボイラーのクセをノートに書き続けてきた男だ。

その技術への信頼は本物だった。


「光ちゃん、さっきからウチの師匠にアドバイスしすぎじゃないっすか?」


「誠さんのマブイが低気圧に苦しんでいたから助言を。それに誠さんの白銀は、前橋の乾いた空気にとても美しく映えますわ。あの金属の結晶に、風が感応しているのがわかる気がして」


「映えるとか関係ないっす! 師匠のボイラーのクセは四天王の誰よりも、ウチが一番分かってんだから!」


 二人の放つ、ある意味でSS級よりも高密度な精神圧の気流に挟み込まれた俺は、完全に血の気が引きながら「……あおいを今から山口から呼んできてもいいかな?」とガタガタ震えながら後退りするしかなかった。


 予選初日、第十二レース。夕闇のドーム内で黒大時計の白針が始動する。

 弾丸スタートを放ったが、やはり密室のデバフにより、初期の直線伸びが甘い。一コースから発進した河田さんが即座に八万五千の障壁を展開して絶対逃走の構えに入り、二コースから肉薄した光さんが「真空吸入旋回」の牙を剥く。


「誠さん、風の真空の中に深く沈みなさい!」


 光さんの操る鋭利な風属性の圧力が三十九号機のハイドロ揚力を上空から完全に強奪し、俺のカウルを硬い淡水面へとベタリと力ずくで押し付けにきた。完全なる失速寸前。


 だが、俺の網膜ディスプレイには、前夜にあかりと二人、不眠不休で叩き上げた持ちペラの精密な流体波形データが青く輝いていた。


(パワーを捨てる。風を力で切り裂くんじゃない。光さんが作った風の分子の僅かな隙間を、このペラの歪みだけで滑らかに滑り抜けるんだ!) 


 一千の金属性マブイが、弟子への絶対的な信頼を乗せた魔導回路へと、極小の一点に収束していく。光さんの風の奔流と、河田さんの絶対障壁が交差する、僅か数ミクロンの周波数の継ぎ目。そこへ、三十九号機の白銀のエッジが、糸を通すように滑らかに、冷酷に縫い抜けていく。


 物理的な出力不足という全天候型の絶望を、俺は今、あかりの叩いた技術の歪みを以て、内側から鮮やかにハッキングし始めていた。

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