第46話:住之江の「即死」戦と高知の「龍」
滋賀県大津市、琵琶湖。からくり競艇界において**「淡水の魔境」**と称されるこの地は、レーサーに二つの試練を与える。
一つは、標高85メートルという気圧の低さ。僅かな酸素濃度の差がエンジンのマブイ燃焼効率を狂わせ、出力の安定を奪う。もう一つは、比叡山から吹き下ろす突風「比叡おろし」が作る不規則なうねりだ。
「住之江が『牢獄』なら、琵琶湖は『牙を剥く揺りかご』だ」
ここで教習を積んだ速水誠たちは、湖底から湧き上がるマブイの乱気流を受け流す、しなやかな制御術を体得していた。その「対話」の技術こそが、今、大阪・住之江のコンクリートの壁に囲まれた戦場で、彼らの唯一の武器となろうとしていた。
2029年1月12日。SGバトルトーナメント・開幕戦。
聖地・住之江のピットには、からくり競艇界の新星として恐れられる**「山口四天王」**――速水誠、瓜生俊樹、守屋あおい、大内胤賢が並び立つ。だが、彼らの前に立ちはだかったのは、地元勢だけではなかった。
「誠くん。キミの『スカイ・ハイ』、ブラジルまで届くほど高いらしいじゃないか」
陽気な、しかし底知れない威圧感を孕んだ笑みを浮かべて近づいてきたのは、高知支部のエース、クーロン・サカモト。その背後には、伝説のアウト屋・後藤昌司と、若き天才・中川龍之介が控えている。
「ワタシたちはハンデライン60m後方から、この住之江を一本釣りにする。アウト屋のプライド、見せてあげるよ!」
高知の「サカモトグループ」は、全員がチルト3度。誠の「空を飛ぶ」調整に対し、彼らは「最短距離を直線で粉砕する」超・攻撃型。住之江の狭いコースに、外から「龍」が牙を剥こうとしていた。
第1レース。6枠からスタートを切る誠の隣には、不気味に微笑む留学生アルバート・マッキントッシュがいた。
「誠、ワタシの『ハエトリグサ』は、マブイの熱に反応して巻き付くデース!」
アルバートが排気口に魔導種を投入した瞬間、39号機の周囲に緑色の粘着質な蔦が噴出した。誠が高度を上げようとした刹那、水面から飛び出した蔦が、超高速回転するプロペラを飲み込む。
「な……出力が上がらない!? マブイが……吸い取られてる……!」
誠の1,000マブイが、蔦を通じてアルバートの機体へと逆流していく。それは勝利よりも相手の機能を停止させる「捕食」の戦術。
「速水、何をもたついている!」
窮地を救ったのは、1コースから逃げ切るはずの大内胤賢だった。
大内は、あえて首位を走る西村唯に「差し」の隙を与えてまで、コースを外して誠に接近した。
「……その蔦は高周波に弱い。僕のプロペラ音に共鳴させろ!」
大内の50,000マブイが叩き出す超高周波振動が、共鳴現象によって蔦を内側から破壊する。
「山口の奴ら、何を……!? 1位を捨ててまで仲間を助けるなんて、住之江じゃ『負け』やで!」
地元の西村唯が驚愕する中、誠の39号機は再起動した。白銀の光を纏い、執念で3着に滑り込み、トーナメント残留を決めた。
翌1月13日。2回戦の目玉は、高知の「龍」ことクーロン・サカモトの走りだった。
大外6コース、さらにハンデラインから60m後方。住之江の狭い水面では自殺行為に近い位置に、クーロンは陣取った。
「日本の皆さん、夜明けの風を感じてクダサイ!」
大時計がゼロを刻んだ瞬間、チルト3度に跳ね上げられたクーロンの機体から、48,000のマブイが「黒い蒸気」となって噴出した。
「な、なんやあの伸びは! 60mの差が一瞬で消えたで!」
実況の絶叫と共に、クーロンの黒い影が内側の5艇をごぼう抜きにする。1マーク、遠心力を力でねじ伏せた超広角旋回。それは旋回というより、水面を蹂躙し、支配する**「黒船旋回」**だった。
圧倒的なアウト屋の魂。聖地の秩序が、異端の力によって根底から破壊された。
ピットの喧騒から離れた日陰で、5匹の犬たちが寄り添い、円陣を組んでいた。
シロ、パスタ、ヘラ、小鉄、そして広島から参戦した堀尾の愛犬・源助。
「……源助。お前のマブイ、さっきから震えてる。この水面、何かいるのか?」
シロの問いに、神格化されたチワワの血を引く源助が怯えるように耳を伏せた。
「ここは『聖地』じゃない。『墓場』なんだよ」
源助の声が震える。
「住之江のコンクリート壁の底には、かつてマブイの暴走で敗れ、機体と共に沈んでいった古いからくりたちの『負の念』が澱んでいる。それが『住之江の呪い』だ」
「ブフッ!」
小鉄が低く鼻を鳴らし、シロの顔を舐めた。「お前の白銀で、この澱みを浄化しろ」という、地元の矜持を込めた合図だった。
シロが誠のもとに戻ると、誠はエンジンの異変に眉をひそめていた。
「おかしい……整備は完璧なのに、エネルギーが吸われる気がする」
誠の背後には、住之江の闇を吸い、異常な成長を遂げたアルバートの「悪魔の宿り木」が、不気味な緑光を放って鎌を研いでいた。
「山口四天王」vs「高知の龍」vs「異世界の植物使い」。
【第11R 出場表】
大内 胤賢(山口):再編された高周波
守屋 あおい(山口):精密なる鉄風
クーロン・サカモト(高知):黒船の襲来
西村 唯(大阪):地元・聖地の盾
アルバート(留学生):呪いのハエトリグサ
速水 誠(山口):浄化の白銀
「誠、上よ! 下は呪いに満ちているわ!」
あおいの叫びと共に、誠はチルトを限界まで跳ね上げた。
だが、水面からはアルバートの蔦だけでなく、住之江の底に沈む「負の念」が黒い泥のような霧となって立ち上り、39号機の脚を掴む。
「シロ……浄化だ。この聖地の悲しみを、俺たちの光で包み込むぞ!」
誠とシロのマブイが完全に同期した。39号機のボイラーから、これまでになく透明な、純白を超える「無垢の光」が溢れ出した。それは、死者たちの怨念を鎮めるための鎮魂歌。
「黒船だろうが、悪魔の蔦だろうが……全部まとめて照らし出してやる!」
時速200kmの極限状態で、誠の機体が住之江の「呪いの壁」を蹴り上げた。
白銀の光が水面を走り、泥のような霧を一掃していく。
その光の先に、ゴール板が、そして新しい時代の夜明けが見えていた。




