因果の瞬き
二〇二九年、三月下旬。ボートレース住之江、SG「バトルトーナメント」最終優勝戦。
一発勝負の残酷なトーナメントの死線を潜り抜ける中で、山口四天王の仲間たちは準決勝で次々と跳ね返り波に弾かれた。あおいが第一マークの壁に阻まれ、瓜生の無響が競合の出力に押し込まれ、大内の氷極が住之江の硬い淡水に削り取られた。ピットに戻ってきた三人は一言も喋らなかった。その沈黙が、最終優勝戦に単独で立つ俺への最大の燃料になった。
大外六枠から独りで立つ俺――速水誠のコックピットに、一千という数値は変わらない。だが、その一千はもう、弱者の数値じゃない。丸亀で時速215キロを叩き出した、山口の誇りの結晶だ。
「今日は西日本の友情なんて一ミリもナシや! 住之江のコンクリートごと全部焼き払うたるからな!」
一コースの西野貴志さんが、紅蓮の爆炎属性のボイラーを臨界点まで沸騰させる。
「――大時計、始動ッ!!」
純白の針がゼロへと跳ねた瞬間、四コースのアルバートがハバネロ有機触媒カプセルを全噴射し、内枠を強引に締め落としにかかった。しかし、そのさらに外側、五コースのクーロン・サカモトが放つ龍属性「黒船旋回」が圧倒的な質量で大外から被さり、第一ターンマークで西野さんの爆炎と真っ向から大激突した。
プール水面が悲鳴を上げ、視界を完全に遮る巨大な流体水柱が立ち昇る。その死角を、アルバートの電算が冷酷にハッキングした。
「錬金反応――「悪魔の宿り木」、起動です!」
西野さんとクーロンが衝突させた莫大な運動熱量を糧として瞬時に吸収。住之江の硬い淡水分子と強制結合し、ギラギラと不気味に緑色へ発光する流体高分子結晶の植物蔦が、二艇のカウルを物理的に完全捕縛した。
「ジャイロが狂う……ボイラーのマブイが内側から吸い取られるぞ!」
強者たちが戦慄する絶望の瞬間、俺のインカムからスーの「フガッ!!」という生身の脈動が、ピット裏のあおいの無線中継を経由して、俺の一千のマブイへとダイレクトに同期した。
(錬金結晶は高出力マブイをロックオンして吸い尽くす特性がある。だったら、一千という極小の純度を囮として結晶の結合部へとブチ込め。アマルガム・ペラの超高周波反転サイクルで、結晶が蓄えたエネルギーの分子結び目を内側から削り取って奪え!)
「吸わせるんじゃない……ハッキングして、俺の刃のエネルギーに再編してやるんだ!」
俺は白銀のエッジを住之江の硬い淡水へと深く突き立て、緑色の結晶が蠢くデバフノイズの中心へと真正面から突っ込んだ。不壊の魂がアルバートの結合部へと獰猛に牙を剥き、西野さんとクーロンから強奪された莫大なマブイ熱量を、三十九号機のボイラーへと瞬時に再編、強制還流させる。アルバートの赤い有機エネルギーが混入したことで、三十九号機の蒼白の閃光が蒼紅のプラズマへと変色した。
「聖地の泥沼の底から、もう一回這い上がらせてもらいます!!」
超高圧の蒼紅のプラズマをカウル全域から爆発的に放ち、三艇が絡み合う最内の僅かな隙間を、電光石火のキレで一刀両断に差し抜けた。
ゴール直前、最内を猛追する西野さんの爆炎と、クーロンの龍の流体ダンプが左右から凶悪に迫る。挟み込まれれば一瞬で圧殺される針の穴のような隙間へ、三十九号機の白銀が吸い込まれていく。ピットからあおいの絶叫が響いたその瞬間、三十九号機の舳先がゴール板へと突き刺さった。
長い静寂の後の写真判定。六号艇の舳先が、一号艇のカウルよりも、わずかハナ差だけ先に越えていた。
「一着、六号艇の速水誠!! 大外六枠からの劇的な聖地完全制覇です!!」
ゴールした瞬間、俺はステアリングを握ったまましばらく動けなかった。一千で聖地の一着。第1話で琵琶湖に立ったあの日から、ここまで来た。それだけが頭を占めていた。
「負けたわ。完敗や、山口の若造! お前の一千のマブイはな、住之江の壁の泥ノイズすらも推進力に飲み込みおったな。大した男や!」
西野さんがヘルメットをパチンと叩いて、悔しそうに、しかしどこか嬉しそうに笑った。
検車場から飛び出してきたあおいが、俺の胸へと泣きじゃくりながら強く飛び込んできた。
「バカ誠! 二度とあんな大外から心配させないでよ……!」
「あおい。皆の分まで、聖地の真ん中で勝てたよ」
二人の腰の電算端末インジケーターが、白銀と氷色のツートンカラーで穏やかに明滅した。瓜生が眼鏡を外して静かに目を伏せ、大内が小さく口角を上げた。三人が何も言わなかった。それで十分だった。
「おめでとう、誠。でも、ここからが本当の地獄の始まりだぞ」
大内の言葉に、俺は頷いた。
聖地・住之江の夜空にスーの「ワン!」という声が響いた。一千の凡人が聖地をハッキングしたその夜、次なる極限の航路が静かに口を開けようとしていた。




