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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3章:長崎激闘編

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第42話:静かなる伏兵たち、浜名湖の「炎」と住之江の「影」

からくり競艇の世界において、レーサーの腕を支える技術は、対極にある二つの専門領域――「静」と「動」に分類される。

「ペラ巧者ペラこうしゃ」。

それは、ボートの推進力を生み出す心臓、プロペラ(ペラ)に魂を注ぐ彫刻家たちだ。からくり機艇のプロペラは、単なる金属の羽根ではない。マブイを効率よく水へと変換するための「魔導回路」そのものである。気温、湿度、そして潮の塩分濃度。変化し続ける外部環境をミリ単位の叩き出しで読み解き、形状を最適化する。ペラ巧者が仕上げた翼は、ある時は水面を切り裂くカミソリとなり、ある時は空気を掴む鷲の爪となる。守屋あおいは、兄・司からこの「極小の対話」を継承していた。

対するは、「エンジン巧者エンジンこうしゃ」。

機体の内部機構、すなわち「肺と心臓」を司る機械の医師たちだ。吸気から排気に至る一連のサイクルに、いかにしてレーサー自身のマブイを淀みなく融合シンクロさせるか。彼らはエンジン音を聴いただけで、ピストンの僅かな摩耗やマブイの供給過多を察知する。エンジン巧者が整備した機体は、数値以上の爆発的なトルクを生み出し、レーサーの意志に狂いなく追従する。誠の師、篠田裕美はこの領域の泰斗として知られる。

この二つの叡智が、レーサーの技量と「噛み合った」とき。機体は物理法則の檻を脱し、人知を超えた神域へと足を踏み入れるのである。

2028年9月19日。大村競艇場、予選3日目。

連日の「最高速バトル」で過熱するピットの空気が、その男の登場によって一瞬で氷点下へと叩き落とされた。

長崎空港から横付けされた黒塗りの送迎車。そこから降り立ったのは、補充出走枠として斡旋を受けた静岡支部の絶対的エース、**和久田新一わくだ しんいち**だった。

SS級(特級マブイ保持者)に最も近いと言われ、浜名湖の荒波を圧倒的な「質量」でねじ伏せてきた男。

「……賑やかだな。山口の連中は」

和久田がピットに足を踏み入れた瞬間、喧騒が消えた。

彼が放つ43,000のマブイ。それは、炎のような激しさも、闇のような不気味さもない。ただ、逃げ場のない「絶対的な重量感」を伴っていた。周囲にいる若手たちのマブイが、磁場に引き寄せられる砂鉄のように和久田の方へと歪んでいく。

「和久田さん……。わざわざ浜名湖から、俺たちを潰しに来たんですか?」

誠の隣で、瓜生俊樹が静かに問いかける。和久田は俊樹を無機質な眼差しで見つめ、その膝元で欠伸をしているパスタに目を落とした。

「潰す? 違うな。……教えに来たんだ。『本当の最速』には、翼も無音も必要ないということを」

その背後から、和久田の圧倒的な重圧を無効化するような明るい声が響いた。

「俊樹くん! 会いたかったよー!」

浜名湖から同行してきた**深田萌歌ふかだ もか**だ。「俊樹くんの『無』を支えるカルシウムだよ!」と、特製うなぎボーンを差し出す。

女子レーサーたちの火花散る戦場と化したピット。だが、和久田はそんな喧騒に一瞥もくれず、愛機「重力定数」の整備を黙々と始めた。その手つきは、一切の無駄がない、極めて精密な「エンジン巧者」のそれであった。

和久田の参戦初戦。

3コースに和久田、4コースに速水誠。

誠は和久田の重圧を振り切るため、チルトを極限の3.5まで跳ね上げ、39号機を「蒼白の閃光」へと深化させていた。

「大時計、ゼロ!」

誠はコンマ05の弾丸スタート。そのまま揚力を得て「スカイ・ハイ」へと移行しようとした、その時。

「……なっ!? 上がらない!?」

39号機のボイラーは悲鳴を上げ、プロペラは空を掴もうとしているのに、機体が水面に吸い付いたまま離れない。いや、吸い付いているのではない。水面そのものが、誠を拒絶するように変質していたのだ。

和久田新一が放つ重圧マブイ。彼はそれを推進力ではなく、自機の周囲数メートル、そして隣を走る誠の機体直下の**「海水の分子構造を物理的に凝縮させる」**ために使用していた。

流動体であるはずの海水が、和久田の意志によって、コンクリートのような硬度を持つ「道」へと変貌する。

揚力リフトは、流体との圧力差で生まれるものだ。だが、和久田によって硬質化された水面の上では、誠の「スカイ・ハイ」の理論は成立しない。誠は、ただ硬い岩盤の上で空転する羽を回しているに過ぎなかった。

「誠。空へ逃げるのは、水面ここで勝負できない者の弱さだ」

和久田は、微動だにしない安定感で、第1ターンマークを最短距離で回った。

膨らむことも、跳ねることもない。ただ、巨大な重力が、最も冷徹な航跡を刻む。

誠が必死に機体を制御しようとする横を、和久田の「重力定数」が、圧倒的な質量感を持って通り過ぎていった。

結果は和久田の圧勝。誠は5着に沈んだ。

ピットに戻った誠は、震える手でハンドルを放した。39号機のエンジンは過負荷で熱を持ち、相棒のシロもぐったりと誠の膝に頭を預けている。

「……負けた。手も足も出なかった……」

あおいが駆け寄り、誠の肩に手を置く。彼女の目にも、和久田の走りは「理解の外」にある絶望として映っていた。

和久田はヘルメットを脱ぎ、誠の方を振り返ることなく言った。

「マブイは翼を作るための道具ではない。この重い世界で、自分を繋ぎ止めるためのいかりだ。……明日までに、自分の足元を見つめ直せ。さもなくば、お前は二度と飛べなくなる」

その言葉は、上田校長の教えとはまた別の、冷徹な真理を含んでいた。

誠は拳を握りしめ、自分を包む大村の湿った空気を見つめた。

1,000のマブイ。白銀の光。それらはまだ、和久田の「重力」という現実を突破するには軽すぎるのか。

「……あおい。俺、ペラの叩き方、一から教えてほしい」

誠の瞳に、静かな火が灯った。

「和久田さんの硬い水面を、力で割るんじゃなくて……『対話』して、その隙間に潜り込むような。そんなペラが、俺には必要だ」

あおいはそんな誠を見て、小さく、だが誇らしげに微笑んだ。

「……当たり前でしょ。そのために、私は岡山を捨ててここに来たんだから」

和久田の参戦により、大村の最高速バトルは「空と水面の生存競争」へと姿を変えた。

山口支部、そして新しく加わったあおいの真価が、今、試されようとしていた。

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