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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3部:誠の試練編

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トリニティ・フォーメーション


和久田新一さんが「重力の覇者」として恐れられるようになったのは、二十五年前、ボートレース浜名湖で起きたある大事故に端を発している。


 当時の和久田さんには、将来を誓い合った恋人がいた。結城美雨。水面を離れて空を飛ぶと形容された、超高速旋回の天才女子レーサーだ。しかし、激しい嵐の浜名湖で、美雨さんの機体は最高速の頂点において突風に煽られ、コンクリートの消波壁へと真っ逆さまに激突した。爆散する霊子火花の中で彼女のマブイは空へと霧散し、二度と戻らなかった。


「ハイドロが水面を離れるから、人はすべてを失うんだ」

 和久田さんはその夜から、機体が空へと浮き上がるあらゆる揚力を激しく憎んだ。四万三千マブイの全指向性を水底へと向け、流体分子を強制凝縮させてコンクリートの岩盤へと変形させる【重属性】の絶対走法が完成した。「足元を見つめ直せ」という言葉は、守り切れなかった美雨さんへの、血を吐くような自戒の残響だったのだ。 


 三月二十一日。SG「最速機兵王座決定戦」――最終優勝戦の一時間前。俺――速水誠は、一人で三十九号機の操縦席に籠もっていた。


 あおいと三日三晩叩き上げた、山口特製「水銀のドリル(アマルガム・ペラ)」。和久田さんが硬質化させた海水分子の結合を切り裂き、その僅かな隙間へと滑らかに潜り込むための守屋グループ直伝の切り札だ。 


「一千の出力を五%上乗せすべきか、安全マージンを取るべきか……」


 迷いの中でレンチを握る指先が震えたその瞬間、インカムの奥からスーの「フガッ!」という生身の呼吸がダイレクトに同期した。あおいの覚悟、瓜生の静寂、山口の全員が一千の白銀の結晶を信じて水面を見つめている。自分という存在を一瞬だって疑うな。


「行こうぜ、三十九号機!」


「――大時計、始動ッ!!」


 黒大時計の白針がゼロを刻む。第一マーク、和久田さんが四万三千の重属性を完全解放し、丸亀の満潮のうねりをコンクリートの岩盤へと変貌させる。しかし、俺はアマルガム・ペラを超高周波で回転させ、硬質海面の分子の極小の隙間へと、右舷エッジを滑らかに穿ち裂きにかかった。


 その瞬間、五コースの大外から凄まじいボイラーの絶叫が突っ込んできた。予選を勝ち抜いていた、静岡の俊英・永島あきだ。三万の【嵐属性】がカウルの特殊ウィングへと一極集束し、和久田さんが重く固め、俺がエッジで削り、瓜生が透過したことで生まれた第一マークの僅かなエアポケットへ、時速二百十キロのまま真空の旋回で割って入った。永島あきは美雨さんが飛んでいた空の航跡を水面でトレースしようとしている。その意図が、機体の動きから伝わってきた。


「あおい、俊樹! 永島さんが作ったあの真空の道に乗れ! あれは妨害じゃない……俺たちが世界の天井をブチ抜くための、最高の滑走路だ!!」


 俺が永島の真空旋風の真裏をハッキングして利用する。あおいが「吉備津彦」の鉄風を上空から逆噴射して永島の逃げ道をホールドし、瓜生が無響の領域で周囲の流体エネルギーを俺の前方へと転換する。山口支部の三人のマブイの血の系譜が白銀の螺旋となって絡み合う完璧な連携――「トリニティ・フォーメーション」の真の完成だった。


 和久田さんの艇が、初めてブレた。バックストレッチの直線走路、計測モニターの数値が臨界点を超えて跳ね上がる。時速二百十八キロ……二百十九キロ……二百二十キロ!!


「時速二二〇km/hの壁を完全に突破ぁぁーーーッッ!!」


 操縦席の中、俺の瞳は純粋な白銀色に輝いていた。和久田さんが守りたかった地も、永島あきが憧れた空の翼も、今の一千の凡人にとってはただ一本の最短距離の線に過ぎない。


「スー、あおい、俊樹……行くぞ、これが俺たちの本当の最高速だぁぁぁーーーッッ!!」


 真空還流弁が全開放されたその瞬間、真冬の丸亀の夜空に蒼白のアズール・プラズマの閃光が激しく走り抜けた。

 チェッカーフラッグ。一着・速水誠。二着・守屋あおい。三着・和久田新一。


 俺はゴールした後、しばらく動けなかった。和久田さんに勝った。二十五年間、美雨さんを失った夜から地底に錨を下ろし続けてきた男に、一千の刃が届いた。それが何を意味するのか、うまく言葉にできなかった。ただ、三十九号機のカウルが、俺の掌の下で静かに脈打っていた。

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