第41話:大村・最速機兵決定戦、豪華絢爛のスター集結!
長崎県には、大村の鏡面とは対照的な「魔の水面」が存在する。
島原半島、有明海に面した**「長崎島原競艇場」**。
ここは、最大6メートルにも及ぶ凄まじい干満差が、ボートレースの常識を無効化する場所だ。満潮時には押し寄せる潮が機体を押し戻し、干潮時には引く潮が制御不能な加速を与える。「逆流の水面」――。ここで培われるのは、刻一刻と変化する潮目を読み、機体の「マブイ(魂)の重心」をミリ単位で制御する圧倒的な適応力である。
大村で開催される**SG「最速機兵記念」**において、地元・長崎支部のレーサーが「不沈」と恐れられるのは、この島原の荒波で鍛え抜かれた体幹があるからに他ならない。最高速を出すことよりも、最高速を「維持」すること。島原を制する者は、変化し続ける世界を制するのである。
2028年9月16日。ボートレース大村、ピット。
からくり競艇特有の、高密度マブイが放電するパチパチとした音が、張り詰めた空気の中で弾けていた。
「およよ、誠くん! あおいちゃんを岡山から一本釣りしてくるとは、隅に置けんとね。ばってん、大村の直線は譲らんばい!」
豪快な笑い声を響かせたのは、大分支部の重鎮、大峰幸太郎だ。その背後には、0mラインの神速を誇る安貞雄一、鋭い旋回を武器とする宮地明ら「大峰軍団」が、鉄壁の威圧感で控えている。
さらに、地元・長崎の「絶対守護神」新武友哉が、獲物を狙う鷹のような眼光を誠に向けた。
「山口の小僧、ここは大村……わいたちの庭ぜ。真季奈のペラで仕上げた『最速』の定義、教えてやるけん」
その傍らで、ペラ巧者の山口真季奈が静かにプロペラを研いでいる。彼女が魂を込めたエンジンは、大村の神への祈祷のような静謐さと、敵を食い千切る猛獣の咆哮を同時に響かせていた。
そんな緊張感溢れるピットに、南国の陽気な、それでいて狂気を含んだエネルギーが乱入した。
「名前が同じなんだから、もう運命だよね? 誠君をロックオンしちゃうさー!」
「ちょ、ちょっと神田さん、近いですって!」
新武グループの若手、沖縄出身の神田真琴だ。マブイ出力1,500。誠のパーソナルスペースを強引に突破し、鼻先が触れ合うほどの距離まで詰め寄ってくる。その瞳には、南国の太陽のような無邪気な破壊衝動が宿っていた。
だが、誠が赤面して後退りした瞬間、彼の背後から絶対零度の「冷気」が噴き出した。
「……あんた、私の誠(とマブイの相方)に、何安売りしてんのよ。大村の海に沈めるわよ?」
山口支部の勝負服に身を包んだ守屋あおいが、ペットのヘラを引き連れて立っていた。その表情は「天女」ではなく、実の兄ですら凍り付く「般若」そのもの。
「わっ、あおい! これは事故で……!」
「事故? 結構なことね。なら、レースでも『事故』が起きないようにせいぜい気をつけることね、沖縄娘」
あおいの周囲には、精密な計算に基づいた「鉄風」が、不可視の刃となって渦巻いている。
その光景を遠くから眺めていた福岡「ポンコツ会」の西野貴志が、苦笑いしながら黒田瑛人に肩をすくめた。
「瑛人、お前のところは賑やかでいいな。だが、森由美子の全速捲りや渡辺優子の強烈なダンプが、その色恋沙汰ごと全員弾き飛ばすから覚悟しとけよ」
9月17日、夕刻。
大村湾の夕映えが、水面を燃え盛る溶岩のようなオレンジ色に染め上げる。
【第12R 出場表】
安貞 雄一(大分):大峰の秘蔵っ子、0mラインの守護神
神田 真琴(長崎):誠と同じ名を持つ「熱風」の弾丸
速水 誠(山口):蒼白の閃光、1,000マブイの覇者
守屋 あおい(山口):山口の防波堤、般若の鉄風
西野 貴志(福岡):4カドの王、ポンコツ会の星
渡辺 優子(福岡):負けん気の破壊者
大時計の針が動き出す。
1コース、安貞雄一のマブイが臨界点を超えた。「大峰さん、見とってください。これが大分支部の『初速』です!」
安貞の機体が、コンマ01という神の領域のスタートでスリットを通過。しかし、その外側から、異常なまでの連動性を見せる二つの影が猛追する。誠とあおいがマブイを循環させることで、互いの加速を増幅し合う新走法だ。
「誠くーん! うちも隣で一緒に走りたいさー!」
2コースの神田真琴が、ここで牙を剥いた。彼女の1,500のマブイが、沖縄の暖流のような重厚な「波動」となり、誠の機体を外側へ押し流そうと干渉する。島原で鍛えた「相手の重心を狂わせる」攪乱工作。
「ちょ、真琴さん、近すぎる! 舵が……!」
翻弄される誠。その刹那、隣の4コースから絶対零度のマブイが突き刺さった。
「……そこの沖縄娘。誠の横は、私の特等席なのよ!!」
あおいが愛機「吉備津彦」の鉄風を逆噴射させ、真琴の波を真っ向から相殺。その衝撃を逆利用して、あおいは誠の進路を力技でこじ開けた。
「誠、今よ! 行きなさい!」
「了解、あおい!」
1マーク。安貞が完璧なイン逃げの航跡を描く。
だが、その頭上から、夕闇を切り裂く「蒼白の閃光」が舞い降りた。
誠のチルト3.5、究極の空中航法「スカイ・ハイ」。
「な……!? あの高さから、まだ加速するのか!」
安貞が驚愕する。誠は、あおいが作った「無抵抗の風の道」を通り、通常ではあり得ない加速を維持したまま旋回を終えていた。
バックストレッチ、最高速計測。
三つの機体が、大村の水面を1ミリも捉えず、ただ「滑っている」かのような超高速領域に突入する。島原の「逆流」を知る者たちが、逆に「無の流動」を作り出したのだ。
「計測……! 210……212……出た! 速水誠、215km/h! 史上最高速を更新!」
1着:速水 誠(まくり/215km/h)
2着:守屋 あおい(差し/212km/h)
3着:安貞 雄一(210km/h)
ピットに戻った誠は、震える手でヘルメットを脱いだ。隣では、あおいが依然として般若の顔で神田真琴を威嚇している。
「誠くん、次はうちが絶対に捕まえるさー!」
「……あんた、次やったらマジでボートを二つに割るわよ?」
その様子をモニターで見ていた大峰幸太郎が、佐賀弁で独り言を漏らした。
「およよ、こりゃ凄か。あおいちゃんが山口に入ったことで、誠くんの『浮き』の不安定さが消えとる。二人のマブイが重なって、一つの新しい『生き物』になっとるばい……」
からくり競艇の聖地、大村。
そこに、最高速の称号を持つ「山口の蒼き双星」が、鮮烈に刻まれた瞬間だった。




