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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第3章:長崎激闘編

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第40話:肥前・大村の最速伝説、そして「山口の守屋」誕生

滋賀県、琵琶湖。その静謐な水面の下には、日本最古にして最強の育成機関が鎮座している。

「大宮機艇教習所」。

そこは、ただのレーサー養成所ではない。鋼鉄の意志を叩き込み、肉体と機体を「マブイ(魂)」という不可視の神経系で繋ぐ術を学ぶ、現代の修道院である。

「機体と魂を一体化させることは、己が命をチップとして賭けることである」

教習所の正門前に立つ漆黒の石碑には、歴代の殉職者の名が刻まれている。候補生たちは毎朝、凍てつく湖風の中でこの碑に一礼し、死を隣人として受け入れる儀式を繰り返す。

冬の比良おろしがマブイの出力を乱し、夏の酷暑が冷却系を蝕む。その過酷な環境下で、伝説の「不敗の王者」上田通彦校長から授けられる教えは一つ。

「水面に道を引くのはプロペラではない。お前の魂の指向性だ」

速水誠と瓜生俊樹が共有した、血を吐くような一年間。

そこで培われたのは、単なる操縦技術ではない。極限状態において互いのマブイの拍動を感知し、言葉を超えて同期する「共鳴」の基礎体力だった。今の彼らの走りを支える「白銀」の純度も、「無」の静寂も、すべてはこの琵琶湖の泥を啜りながら磨き上げられたものである。

2028年9月15日、金曜日。

長崎県、大村競艇場。

「からくり競艇発祥の地」として知られるこの水面は、今日、一種の「聖域」へと変貌していた。

秋を孕んだ大村湾の風は凪ぎ、水面は巨大な鏡のように空を写し込んでいる。これ以上ない高速水面。最高速の限界を競う**SG「最速機兵記念大会」**には、うってつけの舞台だ。

しかし、ピット内に漂う緊張感の正体は、天候によるものではなかった。

関係者たちの視線は、山口支部のピットに立つ「一人の紅一点」に釘付けになっていた。

「……あおい。お前、その服」

誠は、自分の隣で作業を始める彼女の姿を見て、持っていたスパナを落としそうになった。

岡山支部の象徴であった深い青のユニフォームではない。誠や俊樹と同じ、山口支部のエンブレムを胸に刻んだ、鮮やかな「維新の赤」が混じる勝負服。

守屋あおいは、自身の愛機である新型機**「吉備津彦きびつひこ」**の最終調整を止め、不敵に口角を上げた。

「何よ、幽霊でも見たような顔して。ネットの移籍騒動、見てなかったの?」

「噂だと思ってた。岡山のエースが、そんな簡単に動けるわけがないって……」

「簡単じゃなかったわよ。お兄ちゃんには泣きつかれるし、果穂お姉ちゃんには『あんた、恋は盲目ってレベルを超えてるわよ』って、一晩中説教されたんだから」

あおいは一歩、誠に歩み寄る。彼女の瞳には、かつての迷いはない。

「でも、あんたが言ったのよ。『マブイの半分を預ける』って。あんな殺し文句を吐いておいて、別の支部で悠々と走らせてくれると思ったら大間違いよ。これからは逃げられないわよ、誠。責任、取ってもらうんだから」

彼女の背後で、吉備津彦が咆哮を上げた。

守屋グループの技術の粋を集めた最新の「マブイ増幅炉」を搭載したその機体は、まるで生き物のように鼓動している。あおいの決意に呼応するように、その出力は過去最高値の2,100デジットを軽々と突破していた。

今回の「最速機兵記念」が異質とされる理由は、その特殊なポイント制にある。

通常の着順ポイントに加え、以下の二つの項目に膨大なボーナスが付与されるのだ。

「マッハ・ストレート」:バックストレッチでの瞬間最高時速。

「ゼロ・グラビティ・加速」:第1マーク旋回直後の、時速0kmから100kmまでの到達時間。

これは、戦略や駆け引きを否定する「純粋な暴力」の競演。レーサーがどれだけ自らのマブイを機体に溶かし込み、エンジンを限界を超えて「爆発」させられるかを問う、文字通りのスプリント特化型デス・ゲームである。

「誠、あおい。積もる話は後だ。水面が呼んでるぜ」

静かに現れたのは、瓜生俊樹だ。彼の傍らには、山口支部のマスコット(?)であるゴールデンレトリバーのパスタが控えている。

パスタはあおいの姿を見つけると、尾をちぎれんばかりに振り、「バフッ!」と短く歓迎の咆哮を上げた。それに応えるように、あおいのパートナーであるシロも鼻先を寄せ、魂の旧友との再会を祝した。

「パスタも言ってる。新しい山口の形を、大村の神様に見せつけてやろうってな」

俊樹の言葉に、誠は頷いた。

彼の39号機には、上田校長から継承した「真空パーツ」が組み込まれている。それは周囲の空気抵抗を極限まで排除する、禁断のデバイス。

誠の「蒼白の閃光」、俊樹の「無音の加速」、そしてあおいの「天女の鉄風」。

三つの個性が、今、一つに重なろうとしていた。

予選第12レース。

番組が発表された瞬間、大村のスタンドは地鳴りのような歓声に包まれた。

からくり競艇の歴史において、これほど偏った、そして贅沢な番組構成は存在しない。

1コース:瓜生 俊樹(山口)

2コース:守屋 あおい(山口・移籍初戦)

3コース:速水 誠(山口)

山口支部の新世代が、内枠を独占したのだ。ピットのモニターを見つめる重鎮、黒田瑛人や篠田裕美も、言葉を失って画面を凝視している。

「大時計、始動!」

12秒前。

三人のマブイが、共有ネットワークを通じて一つの波長へと収束していく。

「シンクロ率、80……90……100。いくぞ!」

大時計がゼロを刻んだ。

その瞬間、水面で起きたのは「スタート」ではなく「爆発」だった。

誠の機体が先頭で空気を切り裂き、俊樹がその波動を「無」へと中和する。そしてあおいの吉備津彦が、後方から二人の機体を押し上げるように巨大な圧力ダウンフォースを発生させる。

「な、なんだあの加速は!? 3艇が完全に一つの『矢』となっている!」

実況の叫びは、もはや轟音にかき消されていた。

通常、競艇は「他艇をいかに邪魔するか」の競技だ。しかし、彼らは違う。互いの引き起こす引き波や空気抵抗を、自身の加速エネルギーへと変換し合う**「三連高速ライン(アズール・フォーメーション)」**を展開したのだ。

計測モニターの数値が狂ったように跳ね上がる。

時速180km……190km……。

ついに大台の時速200kmを突破。

水面という不安定なフィールドにおいて、物理法則を無視したその速度域に、観客は恐怖すら覚えた。

「ここよ、誠! 私たちの『風』を繋いで!」

あおいの叫びが通信機を震わせる。

時速200km。第1ターンマーク。

この速度で旋回を試みれば、機体は遠心力に耐えきれず木っ端微塵に砕け散るか、あるいは水面を跳ねて観客席まで飛んでいくだろう。

だが、彼らは止まらない。

誠が「スカイ・ハイ」を起動させ、機体を水面から数ミリ浮かせることで摩擦をゼロにする。

そのわずかな浮き上がりを、あおいが精密な気流制御で抑え込み、強制的にグリップを発生させる。

さらに俊樹が、旋回半径のノイズを完全に消去し、氷の上を滑るような「理想の軌道」を空間に固定した。

それは「競走」ではなく「儀式」だった。

三つの蒼い炎が一つの巨大な渦となり、大村の1マークを最短距離で、一点の淀みもなく突き抜けた。

「確定……! 速水、瓜生、守屋、三艇同時通過! 最高時速、計測不能オーバーレンジ!」

バックストレッチ。

三人のマブイが完全に融け合い、一つの神話へと昇華した瞬間だった。

ピットに戻った三人を迎えたのは、静寂の後の、割れんばかりの喝采だった。

山口支部の仲間たちが、涙を流しながら彼らを抱きしめる。

誠はヘルメットを脱ぎ、額の汗を拭った。隣では、あおいが肩で息をしながら、真っ赤な顔で笑っていた。

「あおい。最高の『風』だった。お前がいなきゃ、あの速度で曲がることはできなかった」

「……ふん、あったり前でしょ。あんたがもっと速くなるって言うなら、私はその一歩先まで道を繋いであげるわよ。それが『同じ支部』の務めだしね」

あおいは照れ隠しに、誠の胸をポカポカと叩いた。その様子を、俊樹がいつもの無表情に、わずかな慈しみを浮かべて見守っている。

足元では、シロとパスタが誇らしげに胸を張り、互いの健闘を称え合うようにじゃれ合っていた。

からくり競艇の歴史は、今日、明確に塗り替えられた。

山口支部。

かつて「辺境」と呼ばれたその場所から、世界を呑み込む蒼い嵐が吹き荒れようとしている。

誠、俊樹、あおい。

彼ら「蒼き三連星」の伝説は、この大村の海から、真の幕を開けたのである。


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