特等席のツインカム
二〇二九年、三月十六日。ボートレース丸亀のピット裏に、瀬戸内の冷気とは明らかに質の異なる、南国の陽気と底知れぬ狂気を含んだマブイが乱入してきた。
「名前の響きが同じ『マコト』なんだから運命だよね!? 誠君、うちが大外から完璧にロックオンしちゃうさー!」
「ちょ、顔が近いですって!」
長崎支部の若き超新星、沖縄出身の女子レーサー・神田真琴だった。マブイ出力一五〇〇、熱浪属性。鼻先が触れ合うほどの超至近距離に詰め寄るその瞳には、南国の太陽のような無邪気で狂暴な破壊衝動がギラギラと宿っていた。
俺――速水誠が真っ赤になって後退りしたその瞬間、背後から大気そのものを凍らせるほどの絶対零度の冷気が爆発した。
「……私の誠に向かって、何安売りして触ろうとしてんのよ。丸亀の満潮の海底に、プロペラごとバラバラに沈めるわよ?」
守屋あおいが「維新の赤」の勝負服で、足元のスーを従えながら、仁王立ちで立っていた。スーが「フガッ!」と短く鼻息を鳴らし、あおいのインカムへと同期する。
「わっ、あおい! これは違うんだ、事故で……!」
「事故? なら明日のレースでも同じような事故が起きないよう、せいぜい気をつけることね」
なお、このレースで瓜生は五号艇として別組に出走しており、ピットへの戻りは少し遅れていた。
三月十七日夕刻。予選二日目、第十二レース。瀬戸内の鋭い夕映えが、丸亀の水面を溶岩色のオレンジに染め上げていた。
「――大時計、始動ッ!!」
巨大な白針がゼロへと突き刺さる。一コースの安貞雄一のマブイが臨界点を超えて白熱し、スタートラインを通過した。その外側から、三コースの俺と四コースのあおいが猛烈に追いすがった。インカム回線を通じてスーの生身の脈動を安全弁にしながら、互いのマブイ周波数を完全ループさせて出力を掛け算で倍加し合う、山口の新生走法だ。
「誠くーん! 一緒に全速で走りたいさー!」
二コースの真琴が、第一マーク手前で獰猛に牙を剥いた。一五〇〇の熱浪が島原仕込みの重厚な波動となって、俺のジャイロを外側へと激しく押し流しにかかる。三十九号機の蒼白のエッジがわずかに浮き上がったその瞬間、隣から絶対零度の氷の波動が最短距離の線へと真っ直ぐに突き刺さった。
「――そこの沖縄娘。誠のすぐ隣の線の真ん中は……私の、山口の特等席なのよぉぉぉーーーッッ!!」
あおいが「吉備津彦」の氷属性を逆噴射させ、真琴の熱風波動を第一マーク手前で真っ向から相殺した。俺の進路が切り開かれる。
「誠、今よ! 迷わず行きなさい!」
「了解、あおい!!」
安貞の旋回軸の、さらに数ミリ最内へ、俺の蒼白の閃光が音もなく滑り込んだ。あおいの強制ダウンフォースが俺のステップをホールドし、最内のグリップ力を爆発的に発生させる。二つの维新の赤が一つのアズール・ツインカムとなって、世界の超高速領域へと一気に突き抜けた。
「時速二一五km/h! 守屋あおい、時速二一二km/h! からくり機艇史上の最高速を完全に更新だぁぁーーーッッ!!」
チェッカーフラッグ。一着・速水誠。二着・守屋あおい。三着・安貞雄一。
ゴールした瞬間、俺はしばらく声が出なかった。一着だ。あおいと二人で、この水面で一着だ。それだけで、胸の奥から何かが溢れてきた。
ピットへ帰投したあおいは依然として般若の顔のまま真琴を冷酷に威嚇し続けている。大峰さんがそのモニターの電算波形を見ながら独り言を漏らした。
「およよ……あおいちゃんが山口に入ったことで、誠くんの最大の弱点だったハイドロの不安定さが完璧に消えとる。二人のマブイの血が重なって、水上で一つの巨大な生き物へと化けとるばい」
足元でスーが「ワン!」と声を響かせた。あおいが俺の隣で腕を組んで、まだ少し頬が赤いまま前を向いていた。
「次は優勝戦よ。気合入れなさい」
「言われなくても」
丸亀の夜空に、山口の蒼き双星が刻んだ最高速の航跡が、どこまでも熱く伸びていた。




