不壊の魂
二〇二九年、二月二十一日。SG「衆望万魂祭」――最終優勝戦の開幕を前に、閉鎖された下関ピットの片隅で、俺――速水誠と瓜生俊樹は静かに向かい合っていた。海峡からの乾いた寒風が、防護服を激しく叩きつける。
「俊樹。準優勝戦でまた一歩先を越されたな」
「お前が初日に大内の全神経を引き付けてくれなきゃ、僕の無響の透過は届かなかった。……だが誠、今日の優勝戦、僕は一コースから最短距離の線を完璧に逃げ切るよ」
「上等だ。死ぬ気でその最内を追い越してやるからな、相棒」
俺が差し出した右手を、瓜生は鉄のクランプのような強靭さで握り返した。山口の黒田一門の血の系譜、岡山のあおいから無線で託された満潮流体平滑データ、そしてスーのフガフガとした温かい鼓動が、二人の脳内で完璧な限界同期を果たした。
三十九号機の右舷ハイドロエッジから漏れ出る波動の色彩が、一点の曇りもない純白へと完全変質を遂げていく。一千という数値は変わらない。だが、一点に凝縮された硬度の密度は、広大な大洋の質量を真珠一粒に極限圧縮したような究極の分子硬度へと結晶化していた。大内の十万の圧力に晒されても砕け散らず、逆にその圧力を爆発的な推進力へと反転させる凡人の究極の刃――「不壊の魂」への進化だ。
一方、三号艇へ叩き落とされた大内胤賢のピット周囲は、光の一条すらも返さない闇に包まれていた。
「ありえない……僕の十万の数式は完璧なはずだ……! あんな端数の連中に、負けるはずが……!!」
大内のガラスの瞳から人間のハイライトが消失し、十万の氷極属性が制御弁を内側から吹き飛ばして溢れ出した。彼は深夜の整備室で、愛機「虚無」のすべてのリミッターを解除していたのだ。機体の金属寿命を一瞬で消し飛ばし、乗り手自身の精神の境界線を崩壊させかねない、プロとしての禁忌の自滅処置。
「壊してやる。山口の偽善者たちも、この関門の水面も……すべてを僕の虚無の底へ沈めてやる……!!」
「――大時計、始動ッ!!」
黒大時計の白針がゼロを刻む。スリットラインを全艇が時速百キロを超えて突き抜けた瞬間、大内の「虚無」から黒い炎のダーク・フィールドが爆発し、周囲の電子制御系へ猛烈な共振ノイズを叩き込んだ。しかし、瓜生には共振すべきマブイが元から存在しないため完璧に透過し、俺はダイヤモンド構造の純白の硬度で、その異常振動を真正面から力ずくで捩じ伏せた。
俺はあおいの精密ペラデータを限界まで駆動させ、大内の氷極凍結旋回が作り出した摩擦マイナスの真空の道へ、純白の楔を真っ正面からブチ込んだ。大内自身が放つ漆黒のエネルギー圧の反動を、引き算のロジックで前方への絶対推進力へと鮮やかに反転させ、水面スレスレの超高速潜航を仕掛ける。その真下の死角から、瓜生の一号艇が大内のノイズの極小のブレイクポイントを突き、最短距離のインを無音で差し進む。
水面を這う不壊の純白。水底を滑る完璧な無音の白。二つの持たざる凡人の光が、第一ターンマークの最短距離の線で、大内の漆黒を完璧に挟み撃ちにした。
三艇が極限のGの中で激しく交叉したその瞬間だった。全リミッターを解除して神経系を機体と直結させていた大内の、過負荷によって焼き切れかけた精神が、関門の夜空を引き裂いて俺たちに届いた。
声ではなかった。叫びだった。
『僕は、僕は絶対に完璧なSSでなきゃいけないんだ……っ! そうじゃなきゃ……世界の誰も、僕のことなんて見てくれないんだからぁぁぁーーーッッ!!』
十万マブイという最高位の重すぎる期待と孤独に押し潰され、ただ世界の誰かに自分という存在を認めてほしかっただけの、一人の孤独な少年の、血を吐くような泣き声だった。
その悲痛な慟哭が、俺たちの魂のコアを真正面から撃ち抜いた。




