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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2章:駆け出し編

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第34話:時を導く「パスタ」の瞳、そして山口の「0(ゼロ)」が神を超える

 岡山県倉敷市児島。瀬戸大橋のたもとに位置するこの水面は、からくり競艇界において「最も計算を狂わせる知略の戦場」として恐れられている。

 最大の特徴は、瀬戸内海特有の強烈な干満差にある。満潮時には海水が勢いよく流れ込み、水面に複雑な「うねり」を発生させる。このうねりは機体の安定を奪い、マブイの出力を物理的な振動へと変換してしまうため、制御を誤れば即座に転覆の危機を招く。逆に干潮時には穏やかな平水面へと姿を変え、純粋なスピードと「プロペラの切れ」が勝負を決する。

 また、児島は「風」の読みが勝敗を分ける。瀬戸大橋を吹き抜けるビル風のような突風が、スタートライン直前でレーサーの体感を狂わせるのだ。「守屋グループ」がこの地を拠点とするのは、その過酷な条件下で培われた精密なエンジン整備と、一切の無駄を排したスタート技術を磨くためである。岡山のレーサーにとって、水面は征服する対象ではなく、呼吸を合わせて「利用する」対象なのだ。

 2028年8月21日。山口県・下関競艇場。

 SG「衆望万魂祭オールスター」は、運命の準優勝戦の日を迎えていた。極限の静寂に包まれていた準優勝戦第11レースの控え室。そこには、山口支部の「亡霊」と呼ばれた男、瓜生俊樹の姿があった。

 かつて宮島の悲劇で父を亡くし、自らのマブイすらも喪失した瓜生。彼の孤独な戦いを、足元から見つめる小さな瞳があった。

 「……パスタ、行くぞ」

 瓜生の呼びかけに応えたのは、新しく彼のパートナーとなったパグのパスタである。パスタはただの愛玩犬ではない。絶望の底にいた瓜生の前に現れた、「時を超えた導き手」の宿命を持つ犬であった。

 からくり競艇の世界において、パグという犬種は不思議な術式や、死者の記憶を宿しやすい触媒とされている。パスタがその大きな瞳で瓜生を見つめる時、そこには不思議な光景が映し出された。それは、瓜生が「奪われた」と思い込み、憎み続けていた過去――。父が笑いながら機体を操り、幼い自分を抱き上げていた幸福な記憶の断片であった。

 「……父さんは、俺のマブイを奪ったんじゃない。あの事故の瞬間、俺を助けるために、自分のマブイを全部……この海に預けたんだ。俺がいつか、この真実に気づく日まで」

 パスタの存在が、瓜生の中で氷結していた「0」の概念を変質させていく。それは、何もない欠落ではない。あらゆる悪意や干渉を透過させ、世界の真実だけを映し出すための、曇りなき「純白の空白」であった。瓜生俊樹は今、失った過去を最強の武器に変え、君臨するSSへ挑む準備を整えた。

 「準優勝戦、第11レース。大時計、始動まで残り1分です」

 下関の水面に戦慄が走った。1コースに陣取るのは、絶対王者・大内胤賢。予選での不覚を拭い去るべく、大内はレース開始前から周囲を威圧する漆黒の波動を放っていた。

 「大内、お前のマブイは……重すぎるんだ」

 瓜生は3コースから、静かにスロットルを握る。

 スタートラインを越えた瞬間、大内が禁断の奥義を発動した。「魂剥ぎ(ソウル・ドレイン)」。10万を超える圧倒的なマブイが磁場を狂わせ、周囲のレーサーたちに「異常振動症」を引き起こす。

 「ぐわぁぁっ!? 腕が震えて、舵が効かない!」

 他のA級レーサーたちがマブイの共振によって操縦不能に陥り、次々とコースを外れていく。大内の領域に立ち入る者は、その魂ごと機体を粉砕されるのだ。

 しかし、その地獄のような振動の中を、一筋の銀光が走り抜ける。瓜生俊樹の2号艇だ。

 「なぜだ!? なぜ、僕の波動の中で平然としていられる……!」

 大内が戦慄する。瓜生には、共振させるべきマブイが存在しない。彼の身体を通り抜ける大内の悪意は、ただの空気を揺らす風に過ぎなかった。

 ピットで見守るパスタが、その時、短く一度だけ吠えた。

 「ワンッ!」

 その瞬間、瓜生の脳内に未来の航跡が青い光となって浮かび上がった。それはパスタが示した、大内の防御網が唯一途切れるコンマ数秒の「時空の隙間」であった。

 「そこだ……」

 瓜生はマブイを1ミリも使わず、ただ機体の重心移動と水の抵抗の利用だけで、大内の懐へと滑り込んだ。大内がどれだけマブイを吸引しようとしても、そこに奪うべき魂は存在しない。

 「消えた!? いや、そこにいるのに……認識ができない!」

 大内胤賢は、生まれて初めて「恐怖」を感じた。瓜生の機体は、パスタの導きによって現在という刹那からわずかに位相をずらし、大内の鉄壁の旋回を「透過」して抜き去ったのである。

 「1着、瓜生俊樹。2着、大内胤賢」

 下関のスタンドが、一瞬の静寂の後に爆発した。山口のダークホースが、ついにSSを二度までも破った。そして、明日の優勝戦、絶好枠である1号艇の権利を、自らの「空白」でもぎ取ったのだ。

 レース後のピット。誠はパスタを抱きかかえる瓜生のもとへ駆け寄った。

 「俊樹、凄かった。あの大内のマブイを、あんな風に受け流すなんて……」

 「……俺一人の力じゃない。パスタが、父さんの想いを見せてくれた。誠、お前も守屋の連中から何か受け取ったんだろ?」

 誠はポケットに入ったあおいの設計図を握りしめた。山口、福岡、大分、岡山。多くのレーサーたちの想いが、この優勝戦に託されている。

 そこに、ピットの影から黒田瑛人が現れた。「誠、俊樹。明日の1号艇は俊樹、2号艇がお前だ。SSの大内は、負けてさらに化け物になるぞ。あいつはもう、人であることを捨てて勝ちに来る」

 黒田の言葉通り、敗れた大内胤賢は、誰もいない整備室で自らの機体「虚無」の封印を解こうとしていた。

 「……理解しました。僕に必要なのは、慈悲ではない。この水面ごと、彼らを消し去るための……真の『絶無』だ」

 大内の瞳から光が消え、漆黒のマブイが彼の神経系と直接融合を始める。

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