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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2章:駆け出し編

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第30話:黒き凶星、若きSS大内胤賢(おおうちたねかた)の来襲

 からくり競艇の世界において、レーサーの格付けは単なる勝率だけでなく、その身に宿す「マブイ」の総量と、それを操る制御技術によって厳格に定められている。

* SSスペシャル・スター: 競艇界の頂点。全国でわずか6名しか存在を許されない神域のレーサー。10万単位のマブイを完璧に制御し、気象や水面状況すらも自身の「領域フィールド」に書き換える絶大なる力を持つ。

* S級: トップレーサーの主戦場。誠や瓜生が現在位置するのがここ。高度なマブイ制御が必須となり、SGスペシャルグレードへの出場権を争うエリート集団である。

* A級(A1・A2): 中堅の実力者層。野田あかりが現在到達し、更なる飛躍を目指す領域。

* B級(B1・B2): 新人や、マブイの適応に苦しむレーサーが所属する。

 誠が挑もうとしているのは、かつて自身の負傷の原因となった女王・鎌倉明奈すらも「候補」に過ぎないという、絶望的なまでの高み――SS級の怪物であった。

 2028年7月28日。山口県・下関競艇場。

 黒田グループによる「地獄の洗礼」と称された合宿は、最終日を迎えていた。海野田の剛腕、寺田親子の精密連携、塩田の魔術的な差し。それらを浴び続けた速水誠の39号機は、ボロボロになりながらも、その奥底に黒田瑛人が説いた「血管」のようなマブイの通り道が形成されつつあった。

 しかし、その合宿の熱気を一瞬で凍りつかせるような、不穏な「重圧」がピットに押し寄せた。

 それは、黒田瑛人の「白鯨」が放つ荒々しくも温かい威圧感とは正反対の性質であった。すべてを飲み込み、光すらも返さない、底なしの「黒いマブイの穴」が近づいてくるような感覚。ピットの入り口に、一人の若者が立っていた。

 「……ここが、山口の『持たざる者』が集う場所ですか。意外と賑やかですね。もっと、お通夜のような場所かと思っていました」

 その場にいた全員の動きが止まった。

 漆黒のレーシングスーツに身を包んだその男こそ、現代からくり競艇界において「最も神に近い」と称される若き怪物、大内胤賢(25歳)である。

 福岡支部所属。わずか6名しか存在しない最高位「SS」に、史上最年少で上り詰めた天才。コアマブイ50,000、外付け50,000、計100,000という桁外れの出力を誇るが、その本質は「静寂」にあった。彼が歩くたびに、周囲のマブイの熱量が吸い取られ、ピットの気温が物理的に下がっていく。

 「胤賢……。福岡からわざわざ、何の用や。ここは貴様のような王様が来る場所やないぞ」

 師匠・黒田瑛人が、誠を背にかばうように一歩前へ出る。SSに最も近い男である黒田と、すでにSSの玉座に君臨する大内。二人のマブイが激突した瞬間、ピットの照明が明滅し、バチバチと空気が放電を始めた。

 「黒田さん。あなたが下関のドブ板で育てているという『1,000の奇跡』……それを確認しに来ただけですよ。……ですが、期待外れだ。話になりませんね」

 大内は誠に視線すら向けない。ただ、空間全体を支配する圧倒的な「個」の力が、誠の心臓を鷲掴みにしていた。誠の1,000のマブイが、大内の100,000という絶対的な質量の前で、まるで嵐の中のロウソクのように今にも消えそうに震えている。

 「僕の影すら踏ませないと言おうと思いましたが、訂正します。彼には、僕の影を見ることすら叶わない」

 「なんやと……っ!」

 海野田が激昂して一歩踏み出そうとしたが、黒田が手でそれを制した。

 「よせ、海野田。こいつの言葉は挑発やない。こいつにとっては、これが『事実』なんや」

 大内は無機質な瞳で、自らの愛機へと乗り込んだ。それは塗装すらされていないかのような、深い闇の色をした機体であった。

 「見ておきなさい。君たちが一生をかけて積み上げた『努力』という名の塵が、いかに無力かを」

 大内が水面へ出た。たった一周。それも全力疾走ではない、確認のための旋回である。しかし、それを見た誠の眼球は、驚愕で裏返りそうになった。

 第1マーク。大内の機体は、誠が目指していた「一点凝縮」の完成形、いや、その遥か先を行く「空間そのものを削り取る旋回」を見せた。

 旋回した瞬間、機体の周囲数メートルから水飛沫が消えた。大内のマブイが水面の分子を完全に静止させ、摩擦をゼロどころか「マイナス」に書き換えている。彼の機体が通った跡には、波紋すら残らない。ただ、そこにあったマブイの粒子がすべて喰らい尽くされたような「マブイの真空状態」だけが取り残された。

 「……消えた。波も、音も、全部……」

 瓜生俊樹が呟く。瓜生の「無」が相手から認識されなくなる隠密技術なら、大内のそれは「世界そのものから抵抗を消し去る」神の業であった。

 大内は一周でピットに戻ると、誠に一瞥もくれず、淡々と整備記録を書き込み始めた。

4.打ち砕かれた自負

 「誠……。あれが、今のお前が一生をかけても届かないと言われる『SS』の世界や。お前がチルト3.5で空を飛び、一点凝縮で水面を切り裂く。それらすべてを、あいつは『最初から持っている前提』で走っとる」

 黒田の言葉が、誠の心に鉛のように重く突き刺さる。今まで必死に積み上げてきた、坂田の教え、大峰との死闘、そして黒田グループでの地獄の合宿。それらすべてを、大内はたった一周の旋回で「無意味」だと断じたのだ。

 誠の傍らで、霊獣シロがかつてないほど激しく大内に向かって吠え立てた。その声は恐怖からではない。大内の中にある「マブイの深淵」に対する、本能的な警告であった。

 「シロ、いいんだ……。俺、分かってる。今の俺じゃ、あの人のマブイの冷気に触れただけで機体が砕ける」

 誠の拳は、悔しさで白く震えていた。SSという存在。それは、努力の延長線上にあるのではない。

 大内が去った後、ピットには長い静寂が流れた。夏の日差しは相変わらず強かったが、誠の体温は冷え切ったまま、動くことができなかった。

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