第3話:卒業試験「不死鳥の背中」
2027年3月。
琵琶湖の朝は、これまでで最も激しい「比叡おろし」が吹き荒れていた。
水面は1800mのフルコース設定。地上500mのセクションを含む、この教習所最大の難関コースだ。
「いいか、貴様ら。条件は平等だ」
上田校長が、自身の愛機とともにピットに立つ。その機体は、最新鋭の不死鳥モデルのホバークラフト型からくり。
「貴様ら5名は0mスタート。私は最後方、60mハンデラインから出る。私が1マークを回るまでに、一人でも前にいれば合格だ。私に飲み込まれた者は……即刻、退所届を書いてもらう」
山崎征也が息を呑む。60mという距離は、ホバーが最高速に乗るために必要な「助走距離」を完璧に確保できる距離だ。上田校長の超絶的なマブイコントロールがあれば、1マークに到達する頃には時速100kmを超え、マブイの衝撃波だけで他艇を転覆させるだろう。
「誠、本当にそれでいくのか?」
同部屋の瓜生が、誠の機体のセッティングを見て驚愕する。
誠が選んだのは、これまで誰も卒業試験で使わなかった「チルト3.0」。
「ああ。0.5の精密な旋回じゃ、校長のダッシュには勝てない。ならば、チルトを極限まで上げて直線での伸びで勝負する。……地上500mの直線、あそこだけで校長より前に出る!」
誠は1000しかないコアマブイを、機体のスカートではなく、後方の噴射口一点に集中させた。
「瓜生。お前は0mラインから、機体の重さを消すことだけを考えろ。お前が道を作れば、俺が突き抜ける」
マブイ0の瓜生は静かに頷き、整備したばかりのペラを握りしめた。
「大時計、始動!」
針が頂点を指した瞬間、琵琶湖の水面が爆発した。
山崎の10000マブイ、守屋の精密な立ち上がり。だが、それらすべてを後方から襲う「暴力的な風」が飲み込んでいく。
上田通彦、60mダッシュ。
縫合痕のある指でハンドルを固定した上田は、機体をあえて数センチ浮かせ、水面抵抗をゼロにした。
「……甘いな、雛ども」
上田の機体が、音速に近い加速で1マークへ向かう。
先行する山崎たちが、そのマブイ圧に押されて旋回を膨らませたその瞬間。
「今だ……開け、道ッ!!」
誠の「チルト3.0」が火を噴いた。地上セクション500mを、誠は滑走ではなく「跳躍」に近い形で突破。
着水と同時に、瓜生が作った「マブイの真空(引き波を消した跡)」に誠が飛び込む。
「今村さんの全速旋回、毒島さんの調整、菅さんの伸び……全部乗せだぁぁ!!」
誠の39号機が、上田校長の竜騎士と、1マークで肉薄する。
顔が剥がれるような重力。金属耳鳴りが脳を焼く。
その時、誠は見た。
並走する上田校長の、傷だらけの顔が、わずかに口角を上げたのを。
試験終了後。
結果は、誠と山崎、守屋、そして驚異的な粘りを見せた瓜生と實森の5名全員が、コンマ数秒差で上田より先に1マークを通過した。
「……合格だ」
上田は機体から降りると、誠の前に立った。
「速水。お前のチルト3.0は、ただの暴走ではない。瓜生が作ったわずかな隙間を見極めた、精密な『暴走』だった」
上田は、縫合痕のある大きな手で、誠たちの肩を叩いた。
「明日からはプロだ。だが忘れるな。今日私を抜けたのは、私が『教官』として走ったからだ。……プロの舞台で待っている『化物』たちは、私の比ではないぞ」
誠の手には、新品のプロライセンスと、24箇所のレース場が記された地図が握られていた。




