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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2部:神域打破編

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血管の感覚(2)

二〇二九年、二月下旬。ボートレース下関。

 ピットに漂うのは、住之江とは質の異なる、山口支部の熟練の勝負師たちだけが醸し出す、冬の氷のような殺気だった。


「速水誠、瓜生俊樹……。まだエンジンを甘やかしてんな。金属性の意思を、クランクケースの奥まで血管のように叩き込めと、何度言えば分かる」


 海野田八雲、四十五歳。黒田瑛人の右腕であり、剛鉄属性の圧倒的な質量ですべての機艇を水面にねじ伏せる男だ。その隣で寺田明、四十七歳が穏やかに笑いながら


「若さと勢いだけで走れるのは、ここまでだよ」

と告げる。娘の詩が不敵に笑い、スリットの魔術師・塩田まなみが凍てつく視線を突き刺してくる。


 黒田瑛人が腕を組んで立つ。周囲の大気だけが、数万の血流の熱圧によって陽炎のように歪んでいた。


「今日こそ、グループ全員の総力で、お前らの未熟な牙を叩き折ってやる。スーの温もりに甘えるな。お前自身の剥き出しの血とマブイで、この鉄の包囲網に答えを出してみろ」


 模擬レースが始まった瞬間、俺は全身の血の気が氷点下まで下がった。塩田が俺の起こしのタイミングをミリ単位で潰し、海野田の剛鉄の引き波が三十九号機を暴力的に震わせ、寺田親子の連携が意思を持った鉄の鎖のように左右の航路を塞ぐ。俺の一千の金属性マブイが今どのボルトに集中しているかを、エンジンの微細な金属音だけで先輩たちはすべて感知し、先回りしてくるのだ。


 黒田さんの「白鯨」が、冷たい海水をコンマ一ミリの誤差もなく抉り抜く絶対的な王道で、音もなく俺を抜き去った。


「……血管の感覚が、まだ揺れている」


 あの日掴みかけたあの感覚が、実戦の圧力の前では一瞬だけ外側へ逃げていた。掴んだだけでは足りない。骨の髄まで刻み込まなければ、この包囲網には答えが出せない。


 翌日、西野貴志さんが下関まで来ていた。そして、見知らぬ男を連れていた。


「最年少のSS様のご到着か」


 西野さんが忌々しげに吐き捨てる。大内胤賢、二十二歳。コアマブイ十万。史上最年少でSS(スペシャル・スター――コアマブイ十万超えのみが辿り着ける、別格の頂き)に登り詰めた怪物だ。彼の放つ「氷極属性」のせいで、周囲の冬の空気が絶対零度まで凍りつく。


「速水誠も瓜生俊樹も、僕から見れば出力不足の欠陥品に過ぎません」


 大内は一切の感情を排した瞳で俺を見下した。


「勝負において、心という不確定要素は不要です。僕はただ、計算された最短のラインを、最速で通り過ぎる完璧な装置であり続けるだけです」


「……胤賢、お前がその冷たい椅子にいつまで座っていられるか、楽しみにさせてもらうで」


 西野さんが背後で不敵に笑う。


「あいつらは地獄のドブ水をすすって、無いところから自分の道を作り上げてきた連中や。お前が一度でも躓いたその瞬間……あの十万の隙間に、あいつらの金属性の一撃が、心臓を抉り抜くぞ」


 模擬レースを終え、俺は三十九号機のカウルに額を押し付けて座り込んでいた。「心は不確定要素」という大内の言葉が、脳内でぐるぐると回っている。だが、俺には分かっていた。心を排した装置では、三十九号機の「鉄の声」は聴こえない。あの機体は、人間のノイズを嫌いながら、人間の情念を燃料として走ってきたのだから。


 黒田さんの連れてきた老犬のドーベルマンが、スーの隣で静かに凪いでいる。 「血管の感覚」が、今日の実戦での圧力でまだ揺れていた。だが、あの凪の体温を感じた瞬間、何かが定まった。


 揺れていた金属性マブイが、クランクケースの内部へと完璧に高密度収束していく。実戦の圧力の中でも、血管の感覚が揺れなくなった。これが、「定着」だ。


「……定着した。大内が何を言おうと、俺の心が三十九号機の血になる。それが、俺たちの答えだ」


「――大時計、始動ッ!!」


 白針が狂おしく回り出す。スーが静かに、しかし地響きのような力強さで「ワン!」と声を響かせた。


 一千の凡人が、十万のSS怪物を内側から喰い破るための血管の感覚が、今、完全に定着した。大内胤賢という「心なき完璧な装置」との決戦に向けて、持たざる者たちの鉄の心臓が、関門の凍てつく夜空の下で、力強く鼓動し始めた。

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