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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2部:神域打破編

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血管の感覚(1)

二〇二九年、二月。

 聖地・住之江でのSGグランプリ制覇という衝撃波は、日本全国のからくり機艇界の因果律を、今もなお激しく揺らし続けていた。マブイゼロの凡人が世界の頂点を極めたという冷徹な事実が、各地の名門たちが築き上げてきた「出力の絶対神話」を根底から覆したのだ。


 真冬の下関競艇場のピット裏に、凄まじい佐賀弁の咆哮が響き渡った。 


「速水誠さん! 瓜生俊樹さん! グランプリ王者の山口支部に、佐賀支部から殴り込みさせてもらいますッ!!」


 大峰さんの秘蔵っ子、宮地明と安貞雄一だ。突然の強襲に俺が目を白黒させる横で、防寒着の野田あかりがタピオカのストローを咥えながら煽りを入れた。


「住之江G3であたしに負けた安貞クンもわざわざ来てるじゃん! 極寒の修行、最高にエモいんだけど!」


「うるさいッ! 今日こそ、下関の真冬の水面で、お前らの無をまとめて置き去りにしてやる!」


 だが極寒の水面へ移ると、宮地と安貞の放つ高出力のマブイこそが、俺たちの精密に研ぎ澄まされた「無の制御」の格好の餌食となった。ヘルメットの通信機越しに、瓜生が冷徹に告げる。


「お前たちのマブイは出力こそ高いが、人間のエゴによるノイズが多すぎる。一度、その無駄な出力を完全にオフにして走ってみろ」


「そんな走りができるかッ!」


 反発する宮地に、俺はチルトマイナス〇・五の三十九号機を、硝子の鏡の上を滑るようにして、音もなく漕ぎ出してみせた。


「マブイを功名心や恐怖で力任せに出すんじゃねえよ。水面の声を聴くんだ。この傷だらけの鉄の機体が、今どこの水の隙間を曲がりたがっているか……俺たちは、ただその声に指先をそっと添えて応えるだけでいいんだよ」


 佐賀の二人は、ハナ差で置き去りにされ、言葉を完全に失った。

 二月二十日。俺はかつて平野さんが何度か名前を出していた男のことを思い出していた。長期の世界遠征から山口の海へと帰還した、黒田瑛人。彼がピットに立ったというだけで、宮地も安貞も背筋に冷たい戦慄を走らせ、直立不動になった。


 SS級――コアマブイ十万超えのみが到達できる特別の頂に最も近いと謳われる、山口支部の伝説の男だ。周囲の大気だけが、数万の血流の熱圧によって陽炎のように歪み、真冬のピットの寒気を物理的に蒸発させている。


「住之江で坂田のババアに、最低限のイロハは教わってきたようやな、誠。……だが、甘い」


 黒田さんの目が、獰猛に光る。


「一点に絞り込んだはずのお前の金属性マブイが、第一マークの着水の瞬間に、恐怖で一瞬だけ外側へ逃げとる。金属性の一点凝縮は万物を断つ刃になるがな、魂の熱量が冷めれば、その硬さゆえに一瞬で脆く砕け散るぞ」


 黒田さんの愛機「白鯨」がスリットラインを抜けたその瞬間、下関の極寒の水面上のあらゆる流体粒子が、真っ白な「氷のフロスト」となって弾け飛んだ。第一マーク、漆黒の機体は波の乱れすら完全に凍りつかせる圧倒的な質量のまま、最短距離の最内の一線を、コンマ一ミリの狂いもなく冷酷に抉り抜いていった。


「速水。……一千しかない極小のマブイをな、旋回中の数秒間、機体の隅々まで『血管』のように循環させ続けろ。お前自身の魂の血の熱量で、この冷たい鉄の塊を、水を、一コースのワシを、力ずくでねじ伏せてみい」


 二月二十二日。黒田さんの帰還を聞きつけた大峰さんが、プライベートヘリで極寒の下関ピットへと強行着陸した。時速百キロを超える並走練習の中で、黒田さんは俺の脳髄へ「血管の感覚ブラッド・サーキット」を泥臭く叩き込んでいく。


 一方、瓜生には、下関の病院から通信越しに、平野一貴さんが次の隠密の段階を伝授していた。


『マブイをただ消すのではない、俊樹。相手の引き波の流れそのものに自らを完全同化させ、水面の一部になるんや。それこそが、真の無響の走りや』


 ピット裏のベンチで、黒田さんが連れてきた老犬のドーベルマンが、スーの隣に静かに座り込んだ。余計な動きが一切ない、凪の体温。これが「無駄なノイズを削ぎ落とした状態」か、と俺は思った。その理解が、引き金を引いた。


 これまで三十九号機から漏れ出していた金属性マブイの霧が、クランクケースの内部へと、恐ろしい密度で高密度収束していったのだ。


「……視えた。師匠の言っていた、血管の感覚だ。この冷たい鉄の塊が、俺の肉体の一部として脈打っている!」


「――大時計、始動ッ!!」


 白針が地獄の開門を告げるように回り出す。スーが静かに、しかし地響きのような力強さで「ワン!」と声を響かせた。


 山口の一千の凡人が、SS級の化け物たちをブチ抜くための真のプロへと覚醒する、本当の逆襲の号砲が、今、関門の凍てつく海の上で、凶悪に鳴り響いた。

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