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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2章:駆け出し編

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第26話:浪速の意地、一閃での「差し返し」

 2028年7月11日。下関の空は、西日に焼かれた茜色の雲が低く垂れ込め、水面はまるで熱せられた鉄板のように熱気を含んでいた。SG『マブイ開花賞』準優勝戦。頂点を決める優勝戦へと進めるのは、各組上位2名のみ。

 ピット裏では、出走を控えたレーサーたちのマブイが激しく火花を散らし、大時計の針が動く前から、目に見えない「前付け」の応酬が始まっていた。

 「誠、ええか。これが『大阪の競艇』や。骨の髄まで叩き込んだる!」

 坂田結衣が放つマブイは、昨日までの穏やかな「流れ」とは一変し、まるで獲物を追い詰める捕食者のような鋭利な光を放っていた。51歳という年齢を感じさせない機敏な動き。彼女は待機行動の段階から、格下の若手たちをマブイの威圧感だけでねじ伏せ、絶好の位置を主張する。

 対する3号艇・速水誠の表情は、これまでの「空を飛ぶ少年」のそれではない。彼は坂田から授かった言葉を、祈りのように繰り返していた。

 (一点に、凝縮。1,000のマブイを広げるな。右舷のエッジ、水面と激突するその一線だけに、俺の命を注ぎ込む……!)

 誠の傍らでは、霊獣シロが静かに座り、誠の荒ぶる呼吸を整えるように清浄な波動を放っている。39号機のチルトは3.5。だが、その翼はもはや逃げるためのものではなかった。

 「大時計、始動!」

 12秒計の針が回り始めた。ファンファーレが鳴り響く中、6艇の咆哮が下関の静寂を切り裂く。1号艇・鎌倉明奈は、女王の貫禄を見せる完璧なスタートを切った。

 だが、その外側から誠の39号機が、かつてない挙動を見せた。これまでの誠なら、チルト3.5の揚力を生かし、大外から水面を飛んで捲り、あるいは捲り差しを狙っただろう。しかし、今の誠は違う。彼は教わったばかりの「飛ばない旋回」を繰り出した。

 第1マーク。誠は1,000という少ないマブイを、機体後部のノズルではなく、右舷のエッジ部分――水面と激突し、本来なら弾き飛ばされるはずの接地面の一点にのみ、針の先のように尖らせて凝縮させた。

 「……一点突破!!」

 その瞬間、39号機はボートではなく、巨大な「レーザーメス」へと変貌した。通常、高チルトの機体は旋回時に水面を叩き、激しく暴れる。だが、一点に集中した誠のマブイが水の抵抗を分子レベルで切り裂き、機体は磁石が鉄板に吸い付くような超常的な安定感で、鎌倉明奈の懐へと突き刺さった。

 「入った……! 完璧な差しだ!」

 実況の絶叫がスタンドを揺らす。女王・明奈の背中を捉え、誠の39号機が先頭へ踊り出る――。山口のファンが勝利を確信し、総立ちとなったそのコンマ数秒後であった。誠の機体のすぐ真後ろ。誠が切り裂き、まだ波すら立っていない「最短の航跡」に、吸い込まれるように滑り込んできた影があった。

 「甘いな、誠くん! 差しを教えたんは、私がそれを『差し返す』ためや!!」

 坂田結衣の絶叫が、水飛沫の向こうから響いた。誠が一点集中で機体を安定させ、最短距離を切り裂いた結果、水面には一瞬だけ、空気抵抗も波の乱れもない「完璧な真空の道」が生まれた。

 坂田はその道が生まれることを、誠がその技術を成功させることを、確信していたのである。若き天才が命を削って作り上げた最短のライン。坂田はそのラインを、30年以上のキャリアの中で誰よりも熟知していた。

 誠の機体が旋回を終え、直線での加速に移る瞬間に生じる、ほんのわずかな「マブイの再充填リロード」による隙。坂田はその刹那を逃さなかった。誠が切り開いた道の、さらに数ミリ内側。1ミリの狂いもなく、坂田の4号艇が「無駄」を一切削ぎ落とした旋回で、誠の懐を逆に抉り抜いたのである。

 二段差しならぬ「重層じゅうそう差し」。

 「これが……浪速の、坂田結衣……!」

 誠は愕然とした。教わった技術を完璧に遂行し、人生で最高のターンを繰り出した自負があった。だが、その「完璧」すらも利用され、踏み台にされる。これが、命を懸けて水面を走り続けてきたベテランの「意地」という名の暴力であった。

 坂田はバックストレッチで誠を力強く突き放し、圧倒的なトップへ躍り出た。ヘルメット越しでもわかる、獰猛で、しかし誇らしげな不敵な笑み。

 「教えた技術を即座にモノにするあんたは天才や。でもな、その上を行くのが『大人の意地』ってもんやねん! 簡単に勝たせてたまるか、この若造が!」

 レース結果:1着 坂田結衣、2着 速水誠。

 誠は2着でゴールし、辛うじて翌日の優勝戦への切符を手にした。だが、ピットに戻った彼の心は、晴れやかなものではなかった。坂田の圧倒的なキャリア、そして「技術を教え、それを実戦で利用する」という勝負師としての苛烈さに、完全に打ちのめされていた。

 「……誠、大丈夫か」

 瓜生俊樹が駆け寄る。瓜生もまた、別レースで「無」の走りを貫き、優勝戦進出を決めていた。

 「……俊樹。俺、坂田さんの手のひらの上で踊ってただけだ。教わったことができたのに、それですら勝てなかった」

 「……落ち込むな、誠くん。あんた、あの坂田さんに『自分の引き波を盗ませた』んやで」

 悔しそうにしながらも、3着で敗退した鎌倉明奈が、誠の背中を叩いた。

 「師匠があそこまで本気で、後輩に牙を剥いたのは何年ぶりかしら。あんた、もう『若手』扱いはされてへん。師匠にとって、倒すべき一人のライバルになったんや」

 誠は顔を上げ、ピットの中央で勝利を祝う坂田を見つめた。

 「速水誠、泣いても笑っても明日が最後や。あんたの『一点凝縮』、次はどう化けさせてくるんか……楽しみにしてるで!」

 坂田の言葉を受け、誠は自分の震える拳を見つめた。坂田結衣に叩き込まれた「一点凝縮」。そして彼女が見せつけた「意地」。今の誠には、1,000のマブイしかない。だが、その1,000をどう使うか――坂田の想像すらも超える「究極の一点」を見つけ出さなければ、優勝戦の栄冠を掴むことはできない。

 「シロ……明日、俺はもっと深く、水面へ潜るよ」

 シロは誠の覚悟を汲み取るように、優しく寄り添った。

優勝戦 進出メンバー

| 枠 | 選手名 | 支部 | 特徴・戦略 |

|---|---|---|---|

| 1 | 坂田 結衣 | 大阪 | 伝説の女傑。1コースからの「絶対防御」で完全復活を狙う。 |

| 2 | 速水 誠 | 山口 | 一点凝縮の刃。坂田の壁を突破する「究極の一点」を模索。 |

| 3 | 瓜生 俊樹 | 山口 | マブイ0の「ステルス」。激突の隙間を狙う死神の差し。 |

| 4 | 大峰 幸太郎 | 大分 | 45,000マブイの怪物。中枠からの破壊的捲りを狙う。 |

| 5 | 堀尾 大輔 | 広島 | 剛腕旋回。広島の意地を懸け、大外から「名門」の意地を見せる。 |

| 6 | 鎌倉 明奈 | 大阪 | ※繰り上がり。女王の再起を賭け、大外から展開を突く。 |

 2028年7月12日。下関の水面が、伝説となる。

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