表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第1章:駆け出し編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/185

プロローグの終わり

五月下旬、大阪・住之江競艇場。

 プレミアムG1「ヤングダービー」最終優勝戦、第一ターンマーク。黒大時計の白針が天を突き刺した瞬間、六〇〇馬力の咆哮が難波のコンクリート壁に乱反射して、初夏の夜気を切り裂いた。


 全艇がスリットラインを超えた瞬間、一コース最内――鎌倉明奈さんの放つ七万の真空が、住之江の水面全体へと冷酷に満ち溢れた。広がるのではない。世界の音と光を丸ごと飲み込む絶対的な捕食圏。大外から他の艇が放つ超剛性波が内側へと迫り、後続のすべての航路を圧殺する水の要塞が、絶望となって眼前に立ち塞がった。退路は完全に断たれていた。


 三十九号機のダッシュボードのモニターは闇のまま。計算も、ロジックも、超電算も、そこには何一つない。あるのは俺の剥き出しの肉体と、ゆえが泣きながら走らせた溶接痕の走る鉄の骨格だけだ。


(怖さを力に変えて押し込むな。……命のすべてを三十九号機へ委ねろ)


 俺は肺腑の空気をすべて吐き出し、一千のマブイ出力を完全にゼロへと還した。勝ちたいという欲望も、持たざる恐怖も、すべてを住之江の底へと深く沈め、機械の慣性へと己の肉体を明け渡す。


 その瞬間だった。

 三十九号機が、自分で跳んだ。


 俺は何も指示していなかった。チルトマイナス〇・五の底板が、鎌倉さんの真空の強烈な反転流を逆に「揚力」として爆発的に吸い込み、機首が劇的に浮き上がった。艇体の下に強烈な空気のクッションが滑り込む。この機体は、人間が消えた時に初めて本当のことを言う。 


「走れ……三十九号機ぃぃぃッ!! その城門、跳び越えてやるよォ!!」


 叫びは制御じゃない。解放だ。三年間抱えてきた怒りと無念が、最後の燃料として全部燃えていく。

 紅い機艇が住之江の水面を蹴り飛ばし、鎌倉さんの水の城門の頭上へ向かって、超低空を弾丸のように滑空した。その直下の死角へ、音もなく気配もなく、四号艇が滑り込んでいくのを感じた。気配がないのにそこにいる。瓜生俊樹だ。


 二艇が水面上わずか数十センチの空間で、立体的に交差した。俺は頭上からの飛翔で、瓜生は足元からの潜航で、鎌倉さんの水平方向の真空包囲網を同時に無効化したのだ。


 落下の瞬間、瓜生が遺した引き波のクッションに三十九号機が吸い付くようにして着水し、衝撃のすべてが前方への推進力へと転換した。純白の過熱蒸気を噴き上げて、バックストレッチで爆発的に再加速する。


 激しいチェッカーフラッグが夜空に翻った。一着、瓜生俊樹。二着、速水誠。

 三着、守屋あおい。四着、實森ゆえ。

 大宮機艇教習所の掃き溜めから来た四人が、世界の女王を囲んで、そのまま終わった。それだけで十分だった。


 夜のピット裏で、スーが短い尾を激しく振りながら俺の足元へ飛びついてきた。俺は腰を下ろし、その温かい身体を右手で強く抱きしめた。三年前に水底へ沈めたあいつへの借りを、今夜ようやく水面に置いてこれた気がした。菜奈が涙を流して俺の防護服を掴んだ。勝ったのに泣いているのが、なんだかおかしかった。


 黒いレースーツを肩にかけた鎌倉明奈さんが、夜霧の向こうから静かに歩み寄ってきた。その顔に敗北への悔しさはなく、本物の怪物への冷徹なリスペクトだけがあった。


「一千の火を完全に消し去って、からくりの真実に命のすべてを明け渡すなんてね。私の真空を、丸ごと飛翔の足場にされるとは思わなかったわ。……最高にイカれてるわ」


 鎌倉さんは、金色の漆印が押された革封筒を俺の胸元へパチンと叩きつけた。


「SG『プレミアム賞金王決定戦』への正式な招待状よ。世界の最前線でたっぷりともてなしてあげるわ」


 一度も振り返らずに、夜霧の中へ消えた。その背中に次なる決戦の灯が脈打っていた。


「ついに、本当の修羅の幕が開くな、誠」


 瓜生が口角をニヤリと動かした。


「ああ。俺の一千の火が完全に消えた瞬間にこそ、三十九号機は世界で最も強固な牙に変わる。それが分かった。待ってろ、十万超えの修羅ども。次こそ頂点をすべて毟り取ってやる」


 住之江の東から、鋭い夜明けの光がピットを黄金色に染めていく。

 俺は三十九号機のカウルを、最後にもう一度だけ、静かに撫でた。

 持たざる者の、本当の戦いはここから始まる。

タイトル:速水誠(登録番号:4XXX / 山口支部 / B2級)第1部・全戦績記録

■ 主要戦績概況(二〇二六年五月〜二〇二七年二月)

所属級別: B2級(施行者推薦枠および禁忌の『特別代打ち条文』による特別出場)

勝率: 7.63

主要レース着順内訳: 1着:5回 / 2着:3回 / 3着:1回 / 着順無効(失格・転覆・緊急停止):2回

■ 主要決戦・時系列整流リポート(※全ての地方レースを住之江SGへの布石として再定義)

話数 舞台 / レース 着順 備考(整流後の論理的帰結)

第2話 下関 / プロ試走会 失格 山崎との初接触。限界突破による機体爆散で失格。

第4話 下関 / プロデビュー 1着 桐島の壁を『叩き差し』で撃破。プロ初勝利。

第7話 住之江 / 予選初日 2着 対・平田千夏。絶対的なマブイの質量差に敗北。

第8話 住之江 / 予選2日目 1着 対・西野貴志。マブイを消す『無への跳躍』を成功。

第9話 住之江 / 予選3日目 2着 対・森由美子。慢心による『ハイジャック』で自滅。

第11話 住之江 / 前検 大転覆 対・鎌倉明奈。七万の真空に圧倒され、恐怖で落水。

第15話 住之江 / 予選特選 緊急停止 鎌倉の真空に触れ、右手の凍傷と機体の拒絶により防波堤手前で停止。

第16話 住之江 / 準優勝戦 1着 対・大峰幸太郎。『潜水旋回・重き無』で絶対王者を撃破。

第17話 住之江 / 優勝戦 2着 対・瓜生俊樹。瓜生の電算を外れた『水の声』に敗れる。

第19話 住之江 / SG・GP前夜 3着 対・堀尾大輔。執念の激突で3着。この直後に平野さんテロ事件発生。

第21話 住之江 / SG・GP決勝 2着 **【第1部・クライマックス】**鎌倉明奈との立体交差旋回。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ