氷煙を裂くダイヤモンド
2030年12月24日。クリスマスイブ。
香川県、高松競艇場。瀬戸内海の東端に位置するこの場所は、冬になると重い海風が牙を剥く、競艇界屈指の苛烈な難所として知られている。カクテル光線に照らされた漆黒の水面は、冷酷なまでに深く沈み込んでいた。
「誠。冬の高松の風は、湿気を含んで鉛のように重い。お前のマブイを少しでも冷やしすぎたら、出力の芯が凍りついて一瞬で落ちる。死ぬ気で、マブイを燃やし続けなさい」
出走直前の緊迫したピット。防寒着に身を包んだ守屋あおいが、俺の首元に厚手のマフラーを、壊れ物を扱うように丁寧に巻き直した。彼女の美しい瞳には、恋人としての狂おしいほどの慈しみと、同じ優勝戦を戦う容赦なきライバルとしての鋭い殺気が、確かに同居していた。
「わかってる、あおい。だが、俺の39号機は、もう寒さに震えるようなヤワなタマじゃねえ。お前をぶち抜いて、俺は必ず六冠を掴む」
俺が闘志を剥き出しにして視線を向けた先では、天才メカニックの野田あかりが、文字通り「不眠不休の結晶」であるエンジンを、狂気的な執念で最終調整していた。備前の激闘で木っ端微塵に粉砕したシリンダーブロックをベースに、彼女が血の滲むような解析の果てに導き出した答えは、からくり工学の常識を根底から覆すものだった。
「師匠! 見てほしいっす! 壊れたシリンダー内壁に、人工ダイヤモンドの皮膜を蒸着させて極限まで補強したっす! さらに、スーの属性を逆探知して見つけた『サイベリアン冷却技術』を完全応用! このエンジンは、ナイターの殺人的な冷気を吸い込めば吸い込むほど、それを『超圧縮エネルギー』に強制変換して爆発力を無限に高める……究客の寒冷地仕様『ダイヤモンド・スカイ』っす!!」
俺の足元では、すっかり黄金の毛並みが定着し、神々しいまでの王者の威厳を放つようになったスーが、凍てつく寒風の中でも一点の曇りなく輝いていた。スーのマブイは、凍てつく高松の夜気を逆に最高のご馳走として喰らい尽くし、39号機の心臓部へとドクドクと熱い命の波動を送り込み続けている。
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】
> 【歴史が動く聖夜】速水誠、前人未到の「六冠」へ王手! 怪物たちが集う高松グランプリ優勝戦、世界同時視聴者数は驚異の3000万人を突破!!
電光掲示板に映し出された優勝戦のメンバー表に、高松に集った数万の群衆が完全に息を呑んだ。そこに並ぶのは、俺がこの一年間、命を削って切り拓いてきた「時代」の怪物たちだ。
* 1号艇:新武 友哉(長崎) ―― 「大村の龍」。この俺に勝負の絶対的な厳しさを叩き込んだ生ける伝説。
* 2号艇:大内 胤賢(山口) ―― 「蒼い閃光」。備前での屈辱を胸に、最新の超高速演算装置を積み込みリベンジを誓う。
* 3号艇:石田 健太郎(東京) ―― 「ナイトサイレンサー」。無音の加速、ナイター勝率日本一。この闇夜は彼の絶対領土だ。
* 4号艇:速水 誠(山口) ―― 「五冠の主」。年間全冠制覇「六冠」へ王手をかけた、黄金の挑戦者。俺だ。
* 5号艇:平野 菜奈(山口/香川出身) ―― 「讃岐の暴風」。凱旋となる地元の海を前に、封印していた荒々しい讃岐弁を完全解禁。
* 6号艇:守屋 あおい(山口) ―― 「氷の女王」。俺のすべてを知り、愛ゆえにその歩みを限界で止めようとする最強にして最後の守護者。
「まさにオールスター! からくり競艇の百年を超える歴史そのものが、今、この高松の第1マークに集結しました!!」
実況の、喉を引き裂くような絶叫が、冷たい夜気を激しく震わせる。
「第12レース、グランプリ優勝戦! 潮は満潮へ向かい、海面が不規則にうねり始める! 進入隊形……4号艇・誠、あえて4カドを選択! ダッシュ勝負だ!!」
漆黒の水面に、ナイター照明が何本もの巨大な光の剣となって突き刺さる。
3号艇の石田健太郎が、独自のマブイ消音技術で完全に気配を消し、闇に忍び寄る暗殺者のように恐るべき加速を開始した。その「無音の加速」が先頭を捉えようとした瞬間、俺はあかりが組み上げたエンジンのリミッターを力まかせに引きちぎった。
「スー! 高松の冷たいクソ風を、全部巻き込めッ! 俺たちの旅、ここで最高のゴールへ突っ走るぞ!!」
ガルゥゥゥゥォォォォンッ!!
スーが夜空を引き裂くような猛々しい咆哮をあげ、ダイヤモンドコーティングされたシリンダーが超高圧の爆発を繰り返す。冬の重い空気が過給機に力ずくで吸い込まれ、純白の閃光となって排気口から凄まじい勢いで噴き出した。「ダイヤモンド・ブースト」。39号機は物理的な重力を置き去りにし、漆黒の水面を激しく跳ねる黄金の光球と化した。
「スタートしました!! 全艇、命を削り落とすようなゼロ台スタート!! 4号艇・誠、コンマ01! 3号艇・石田、驚愕のコンマ00!!」
石田健太郎の「ナイトサイレンサー」が、闇に紛れて1マークへ最短距離で容赦なく突き刺さる。
しかし、俺の39号機は、冬の冷気を吸い込むほどにパワーが増殖する異常なまでの「伸び」を見せた。1マーク直前、俺はハンドルをこれまでにない深い角度――機体が転覆し、肉体が水面に叩きつけられる寸前の極限の角度で強引に切り込んだ。遠心力で俺の全身の血管がちぎれかける。だが、視界は極限の集中の中で逆に冴え渡っていた。
「石田のインを、誠の黄金が削り取る!! しかし外からは守屋あおい! 誠の進路を封じるための『愛の鉄槌』が飛ぶ!!」
大外6コースから、信じがたい速度の全速ツケマイで襲いかかってきたのはあおいだった。彼女の機体から放たれた、絶対零度の氷のマブイが、俺の視界を真っ白に染め上げる。俺がこれまでに見せてきた「捲り」も「空中旋回」も、彼女にはすべて読まれている。
「あおい……お前が相手でも、俺は絶対に止まらねえ!! 全てを、この一瞬に賭ける!!」
俺は1マーク、満潮に向かって盛り上がる狂った潮の頂点、その「うねり」の破壊的なエネルギーを逆に利用し、機体をさらに深く傾けた。
ダイヤモンドのプロペラが潮の壁を粉砕し、五つのSGを勝ち抜いてきた俺の全マブイが、あおいの氷の障壁を、そして宿敵たちの熱き想いを巻き込んで、限界を超えて融解する。その瞬間、39号機から放たれた六色の排気光が一本の巨大な黄金の光柱へと変わり、讃岐の夜空へと爆発的に昇りゆいた。
「いくぞ、39号機ッ! 俺たちの、本当の力を見せてやる!! Fly High!!!」
いま、からくり競艇史の頂点が、俺たちの黄金の輝きの中に、完全に書き換えられようとしていた。




