黄金の航路、果てなきターン
2030年12月24日、午後8時45分。
高松競艇場のカクテル光線が、冷たい海風を切り裂き、漆黒の水面を獰猛に照らし出していた。年間全冠制覇「六冠」――からくり競艇百年の歴史において、あの大宮機艇教習所の上田校長しか成し遂げ得なかった、神の領域の絶対的偉業。今、そのゴールラインを俺のボートが突き抜けた瞬間、競艇場を埋め尽くした3万人の観衆から、地鳴りのような咆哮が巻き起こった。
「速水誠、やったぁぁぁ! 前人未到、空前絶後の六冠制覇!! 39号機『ダイヤモンド・スカイ』は、チェッカーを受けると同時にその心臓部を真っ白な蒸気に変え、今、力尽きました! まさに命を賭した、黄金の疾走だ!!」
実況の声がスピーカーを震わせる中、俺の愛機は完全にマブイを燃やし尽くし、救助艇に引かれてゆっくりとピットへ帰還していく。ボートを揚げ、ヘルメットを脱いだ。俺の顔は汗とオイル、そしてエンジンの逆流で浴びた煤で真っ黒だったが、視界の先にある仲間の姿だけは、どんな光よりも鮮明に見えていた。
「……師匠ォォッ!!」
駆け寄ってきた野田あかりは、顔をぐしゃぐしゃにして号泣していた。その小さな手には、最後まで俺の背中を押し続けた「白銀のプロペラ」の破片が握りしめられている。極限の摩擦と、俺が注ぎ込んだ全マブイの負荷により、それは美しくも猛々しく砕け散っていた。
「あかり……やったぞ。お前が作ったエンジンは、間違いなく世界一だった」
俺があかりの頭を激しく撫で回した瞬間、背後から地響きのような足音が迫る。
山口支部の熱い先輩、平野一貴。死闘を繰り広げた大内胤賢。そして大村の龍・新武友哉。敗者たちの顔には、一点の曇りもない清々しい笑みが浮かんでいた。彼らが一斉に俺の両脇を抱え上げる。
「おい、速水! 六冠王のお通りだ! 讃岐の海をテメェの金ピカのマブイで染めてこい!!」
「ちょっ……平野さん、待ってください! スーも一緒だ!」
俺の腕の中には、すべての役目を終えて満足そうに目を細める黄金の犬、俺の最高の相棒であるスーがいた。
「せーのっ!!」
男たちの野太い咆哮が夜空に響き、俺とスーの身体が宙を舞う。水神祭。競艇界に伝わる、王者にのみ許された最高の祝福だ。高松の、凍りつくような冬の海面へと、俺たちは真っ逆さまに放り込まれた。
バシャァァァァァッ!!
凄まじい水しぶきが上がる。だが、着水した瞬間、冷気は感じなかった。ダイヤモンド・スカイが最後に排出した超高温の残気と、俺の身体から溢れ出す六冠分の熱いマブイ、そしてスーの体内に宿る黄金の生命力が水面で爆発的に融合したのだ。極寒の海水が一瞬にして、黄金の光を放つぬくもりへと変貌したかのように、俺の全身を優しく包み込んだ。
「温かい……。みんな、本当に、ありがとう!!」
水面に浮かび上がった俺がガッツポーズを突き上げると、スタンドからは「マコト!」「六冠王!」という地を揺らすシュプレヒコールが巻き起こる。その光景をピットの端で見つめていた守屋あおいは、自身の青いマフラーを強く握りしめ、誰よりも熱く、そして誇らしげに微笑んでいた。
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】
> 【歴史が止まった夜】速水誠、高松にて激熱の水神祭! 極寒の海を黄金に染め抜いた伝説の映像は、世界同時視聴者数3500万人を突破し、歴史にその名を刻む!!
歴史的な夜から三ヶ月が経った、2031年3月。
舞台は再び、俺を育ててくれた絶対の聖地――山口県、下関競艇場。
今日の水面は、激しいレースの場ではない。全国から集結した豪華客船や漁船、そして色とりどりのからくりボートがひしめき合い、色鮮やかな大漁旗が春の荒々しい潮風にたなびいている。
「速水誠・守屋あおい 船上結婚披露宴」。
競艇界のみならず、世界中のからくり工学関係者が度肝を抜かれた、前代未聞のウエディングが幕を開けた。
披露宴のメインステージは、特注の巨大な浮きドックの上。タキシードに身を包んだ俺は、SGの優勝戦よりも心臓をバクバクさせながら立っていた。その足元には、真っ白な蝶ネクタイをバシッと締めたスーが、俺以上の威厳で胸を張って座っている。
「新婦、入場ォォォッ!!」
あかりの、感極まったアナウンスと共に、遥か大滝の向こうから一艘の純白のからくりボートが水面を滑ってきた。
観衆からどよめきが上がる。操舵席に座っているのは、他の誰でもない、純白のウェディングドレスを纏った守屋あおい自身だった。彼女の代名詞である「氷」をイメージしたクリスタルがドレスの裾で七色に輝く中、あおいは豪快にスロットルを開けた。
凄まじいモーター音。あおいは純白のドレスを翻し、水面へ鋭く身体を投げ出した。完璧な、そして苛烈なまでのモンキーターン。彼女は花嫁である前に、俺の生涯最高のライバルだった。その誇りを示すかのような見事な旋回で、ボートは浮きドックのステージへと寸分の狂いもなく接岸した。
「……綺麗だ」
俺の口から、魂からの本音が漏れた。あおいが不敵に笑い、操舵輪から手を離して俺に右手を差し出す。俺はその手をがっしりと握り返し、彼女をステージへと引き上げた。その瞬間、会場を埋め尽くした数千艘のボートが一斉に咆哮のような汽笛を轟かせ、山口の空に六色のスモークがぶち上げられた。
披露宴の中盤、目の前に現れたウェディングケーキは、なんと俺の愛機「39号機」を等身大で完全再現した、凄まじい迫力のシュガークラフトだった。
「さあ、二人で最初の共同作業、ケーキ入刀です!」
あかりの声に促され、俺たちが手にしたのは――ナイフなんかじゃねえ。黄金と白銀に輝く「特製プロペラ型カッター」だ。
「誠くん、覚悟はいい? 私のターンに遅れないで」
あおいが、かつて水面で俺を極限まで追い詰めたあの不敵な笑みを浮かべる。
「当たり前だ。あおい、お前と一緒に、これからの人生という荒波を全員ぶっちぎって進むぞ!」
二人がプロペラをケーキに突き立て、一気に引き裂いた瞬間、足元にいたスーが天を仰いで雄叫びをあげた。
バグォォォォンッ!!
ケーキの中から数千、数万の「黄金のバブル」が爆発的に飛び出し、会場全体を眩耀する。備前で見せた『黄金・バブルバースト』を、この日のためにあかりが平和的かつ超ド派手に改造した特大の演出だ。参列していた新武友哉さんが、シャンパングラスを天に突き上げて豪快に笑う。
「速水くん、六冠王の次は『子だくさん王』のタイトル奪取を期待しとるばい!!」
「ちょっと、新武さん! 気が早すぎますって!」
顔を真っ赤にする俺を見て、あおいが嬉しそうに俺の腕に組みついてきた。だが、その時、あおいは俺の耳元で小さく囁いた。
「……ふふ、でも新武さんの言う通りになるかもね、誠くん」
「えっ?」
あおいが優しく自分の腹部に手を当てる。その瞳には、かつてないほど深く、温かいマブイの光が宿っていた。俺の心臓が、今日一番の激しさで跳ね上がる。気が早いどころじゃない。俺たちの未来のレーサーは、もうここにいるんだ。会場はち切れんばかりの歓声と笑いに包まれる中、俺はあおいの肩を強く抱き寄せた。
披露宴の締めくくり。俺はあおいの手を引き、新しく建造された二人乗りの新型からくりボート「39号機・エターナル」のシートに飛び乗った。スーが真っ先にボートの舳先へ飛び乗り、ヘラもその背中にしっかりと掴まる。
「みんな、今日は本当にありがとう! 俺たちのレースは、ここからが本番だ!!」
俺がスロットルを限界まで引き絞ると、エターナルのエンジンは「断末魔」を遥かに超えた、どこまでも力強く、どこまでも祝福に満ちた、爆発的な凱歌を轟かせた。黄金の凄まじい航跡を水面に刻み付け、俺たちのボートは夕暮れの下関の海へと弾け飛ぶように滑り出していく。
速水誠。かつて野球を諦め、どん底の闇の中で燻っていた男は、今、世界で最も速く、そして最も熱い相棒たちと共に、黄金の海の向こう側へと突き進む。俺の背中には、俺を支えてくれたすべての仲間の魂と、世界中から注がれる無限の夢が、最強の追い風となって吹き荒れていた。




