黄金の鷲、王路の夜明け
2030年8月31日。長崎県大村市。
「ボートレース発祥の地」として競艇史にその名を刻む大村競艇場は、いまや一競艇場の枠を完全に飛び越え、世界中のすべてのからくり競艇ファンの熱き視線が集まる絶対の聖域と化していた。
夕刻、大村湾の果てなき水平線に沈みゆく巨大な太陽が、静かな水面を燃え盛るような強烈なオレンジ色に染め上げていく。カクテル光線が灯り、夕闇と眩い光が狂おしく混ざり合う、運命のマジックアワー。この幻想的かつ残酷な光景の中で、俺は競艇の歴史を数百年分一気に進めるための戦いに挑もうとしていた。
「大村モーターボート記念杯、最終12レース……優勝戦。いま、前人未到の伝説へのカウントダウンが始まろうとしています!!」
実況の、喉を引き裂くような声が、異常なまでの緊迫感を含んで激しく震えている。
注目は、2号艇でありながら予選2位、そして準優勝戦で見せた狂気のアウト戦術をさらに凶暴に研ぎ澄ませてきた、この俺――速水誠だ。
「優勝戦スタート展示……なっ、何ということだァァ!! 2号艇・速水誠、またしても艇を限界まで引いた!! 1号艇・新武友哉がインに絶対の王者の如く鎮座する中、誠は迷うことなく大外、6コースへと愛機を向けたぁぁ!!」
スタンドを埋め尽くした1万人を超える観衆が、一斉に肺の空気を吐き出して息を呑む音が、ピットの奥まで地鳴りのように響いてくる。
優勝戦における、まさかのダッシュ引っぱり。さらに、俺の愛機39号機のプロペラは、水面に対して垂直に近い異常な角度――「チルト3度」にセットされている。それは、直線スピードのみを極限まで追求し、旋回時の安定性を完全にドブに捨て去った狂気の翼の角度だ。
競艇の常識では、優勝戦の絶好の枠番を自ら捨てて6コースへ回るなど、敗北を無様に宣言するに等しい。だが、俺の瞳に宿る黄金の輝きは、これこそが地元の総帥をぶち抜いて勝利へ駆け上がる唯一の航路であることを、獰猛に物語っていた。
「……スー。新武さんの駆るあの獰猛な龍を越えるには、海と正面から喧嘩しちゃダメだ。大村の狂った風になって、あの空を飛ぶしかねえんだよ!!」
ガルゥゥゥゥォォォォンッ!!!
コクピットの足元で、最高の戦友である黄金の犬・スーが、夜空を引き裂くような猛々しい咆哮をあげた。スーの瞳は今や純金のようにギラギラと輝き、俺の放つ鋭く研ぎ澄まされたマブイの波動と、波長の1ミクロンに至るまで完全にシンクロを完了している。
あかりが自らの指の皮を削りながら命懸けで整備し、あおいの生涯の祈りが込められたこの39号機は、もはや単なる鉄とカーボンの無機質な塊ではない。黄金の鷲の如き絶対の威厳を放ちながら、60メートルラインの遥か後方で、静かに逆襲の牙を研ぎ澄ませていた。
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV最終報告】
> 【歴史が変わる大村の夜】速水誠、チルト3度で大外6コースを完全選択! 前人未到の「四冠」を懸けた世紀の決戦に、世界中のタイムラインがサーバーダウン寸前の大狂熱!!
「大時計の針が回る! 三秒前、二秒前……スタートォォォッ!!」
号砲と共に、全艇がコンマゼロ台という人間の細胞の限界を超えた神がかり的なタイミングで、スリットラインを一斉に通過した。
しかし、その直後、大村の水面で物理法則が完全に捻じ曲がった。
「なっ……6コース、速水誠の伸びが異常だ!! 一艇だけ時速の次元が違う! 時速がさらに爆発的に伸びていく!?」
チルト3度。あかりが軽量化し、剛性を極限まで高め抜いた39号機は、水面を叩く無駄な抵抗を一切受けていなかった。機体は水面から数センチ浮き上がり、空気の層を滑るように滑走する『空間航法』へと強制移行。内側の5艇が必死にスロットルを握り締める中、俺の黄金の残像だけが、まるで周囲の時間を完全に停止させたかのように、一瞬で彼らを遥か後方へと置き去りにした。
「一気に絞る!! 1コース、地元の総帥・新武友哉に、誠の鷲の爪が今、届くか!?」
第1マーク。インで鬼の形相で待ち構える新武友哉が、顔を歪ませて叫んだ。
「来い、速水くん! 大村の海が、その不遜な翼を容赦なく叩き落とすバイ!!」
新武のマブイが最大出力で大爆発する。大村湾の海水を何十トンと巻き上げ、高さ数メートルに及ぶ絶対の水の城壁を作り出す、長崎支部最強の防御奥義『島原絞り・改』。この巨大な渦潮の壁に接触すれば、いかなる高速艇も一瞬で木っ端微塵に圧砕される。
だが、俺はヘルメットの中で、獰猛に激しく笑った。
「新武さん。悪いが、俺はもう、そんな低い場所にはいねえんだよ!!」
俺は、新武が作り出した水の渦の、最も高く、最も圧力の狂った頂点を獣の目で完璧に見定めた。そこに、39号機のカーボン翼の先端を、針の穴を通すような精密さで力ずくで突き立てる。渦の破壊的なエネルギーを衝撃として受けるんじゃない、天へと昇る最強の上昇気流として利用したのだ。
バグォォォォンッ!!!
39号機は新武の龍の壁を、さらにその上空から完全に飛び越えた。大村湾の激しい潮風を巨大なカーボン翼でガッチリと捉え、夜空に眩い黄金の航跡を描きながら旋回。驚愕する新武の頭上を遥かに越え、誰もいないバックストレッチへと鮮やかに、そして猛烈に着水した。
「抜けたぁぁぁぁ!!! 1号艇・新武を、6コースから一撃で葬り去ったぁぁ!! 速水誠、空を飛んだ! 大村の空を本当に翔けたんだぁぁぁ!!!」
実況の声はもはや興奮で悲鳴と化し、スタンドからは競艇場全体をひっくり返すような、凄まじい地鳴りの咆哮が沸き上がった。
独走。二番手以下を絶望的に引き離し、俺は孤独な絶対の王者として、大村の夜を爆進する。
第2マークを静かに旋回し、ホームストレッチへ戻ってきた俺の視界には、涙で歪んだ不思議な光景が広がっていた。ピットの端で、不器用そうに何度も拳を空に突き上げている師匠・黒田瑛人の姿。野球を諦め、どん底の闇の中にいた俺を競艇の世界へ引っ張り上げてくれたあの師匠が、男泣きに暮れている。
そして、ヘルメットを脱ぎ捨て、子供のようにボロ泣きしながら両手を上げて万歳を繰り返す瓜生俊樹の姿。さらに、マブイの感応を通じて、遠く離れたレディース会場からモニターを壊れるほど抱きしめるように叫ぶ、あおいの熱い声が俺の脳髄にダイレクトに響き渡った。
『誠、やった……!! 凄かった、世界で一番格好いいよ!! 愛してる、誠ーーーっ!!』
「ああ……聞こえてるぞ、あおい! 俺も、お前を心の底から愛してる!! すぐに、お前の元へ行くから待ってろ!!」
俺は最後の一周を、一秒一秒、胸の熱さを噛み締めるようにスロットルを握り続けた。これまで出会った全ての強敵たち、俺を支えてくれた整備士の少女、そして、このからくりという過酷で最高な世界。そのすべてが、愛おしい黄金の光の中に激しく溶けていく。
「速水誠、いまゴールイン!! 史上最年少、年間四冠達成!! 伝説の黄金の王が、この発祥の地・大村で、今完全に誕生した瞬間です!!」
ちなみに、今回の優勝賞金は全額、守屋あおいさんとの披露宴費用へ充てられることが、野田あかり氏への独占取材で判明。現在あかり氏はネットの片隅で「特大のプロペラ型カッターを作るっす!」と狂喜乱舞中である。
ピットに戻った俺を、真っ先に迎えてくれたのは、敗れた新武友哉さんだった。
「……完敗バイ。速水くん、君は海ば捨てて、空ば選んだ。そん不敵な翼、一生大切にせんとよ」
新武さんの、分厚く熱い手が俺の肩をがっしりと叩く。俺は深く、深く、魂を込めて頭を下げた。
「あかり、あおい、スー……! 俺たち、ついにやったぞ!! これが、俺たちの掴み取った、栄光の四冠だ!!」
夜空を仰げば、大村の空に祝福として放たれた数万の整備蛍が、満天の星々のように美しく煌めいていた。その眩い光は、黄金の王として完全に覚醒した俺と、俺の足元で世界一の相棒として誇らしげに雄叫びをあげるスーの姿を、いつまでも温かく、そして熱く照らし続けていた。
速水誠の伝説は、ここからまた、さらなる神話のページを刻み始める。だが、この発祥の地の熱い風を感じながら、最愛の人への変わらぬ誓いを胸に、俺は次の決戦の地、岡山の水面を見据えて静かに不敵な笑みを浮かべた。




