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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第5部:グランプリへの道

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ガラスの魔鏡、カーボン翼の産声


 2030年8月29日。長崎県大村市、大村競艇場。

 予選最終日のメインレースを前に、大村湾はその表情を劇的に変えていた。

 この日の夕刻、大村は大干潮の時刻を迎えていた。海水面は刻一刻と下がり続け、普段は水面下に隠れている消波装置の基部や、太古からこの地を見守ってきた岩肌が、牙を剥くようにその鋭い姿を現している。そして、潮の流れが完全に停止する「潮止まり」。かつてガラスの水面と称えられた大村の海は、風の一筋さえも拒絶するような、皮膚がヒリつくほどの静寂に包まれていた。それは、見る者の魂を吸い込む絶対の魔鏡。1号艇に座る地元長崎の絶対的支配者、新武友哉の静かなる怒りを映し出しているかのようだった。

「……良か水面たい」

 新武さんは、漆黒のヘルメット越しに、燃えるような水平線を冷徹に睨みつけた。彼の背後には、島原の雲仙普賢岳を源流とすると伝えられる、重厚なる「龍のマブイ」が圧倒的な威圧感と共に立ち昇っている。その出力は今節最高値を記録。大村の海水そのものを自らの神経系の一部として支配する新武さんにとって、この干潮の静寂は、己の機獣を完全に解き放つための最高の祭壇だった。

 対する4号艇、速水誠。三冠王者としてこの地に乗り込み、初戦の惨敗から這い上がってきた若き挑戦者――それは俺だ。俺はピットで静かに愛機・39号機の熱き心音を聞いていた。

「あかりが……あいつが残してくれた最後のピース、ここで使わせてもらうぞ」

 俺の手元には、あかりがレディースクラシックの会場へ向かう直前、ピットの工具箱の底に隠すように置いていった最後の贈り物があった。最新鋭の超高密度カーボンを用いた「軽量化カーボン翼(ウイング)」。

 これまでの39号機は、尼崎で組み込んだ蔵野家伝来の金属性パーツにより、圧倒的な剛性と破壊力を得ていた。しかし、その代償として機体重量が増し、大村の強い浮力と喧嘩をしてしまうという弱点を抱えていたんだ。あかりが残したカーボン翼は、その重さを、前に進むための絶対の揚力へと強制変換するための魔法の杖だった。

「うちの計算に狂いはないっす。金属性の重みで水面をブチ叩き、カーボンの軽さで風をがっしり掴む。これこそが、39号機の完全体っすからね!」

 あかりの、あの職人としての誇りに満ちた声が脳裏に鮮烈に蘇る。俺はその翼を、39号機のサイドカウルにしっかりとボルトオンした。剛(蔵野家の鉄)と、柔(あかりのカーボン)。相反する二つの力が、足元のスーの黄金マブイを触媒として一つに溶け合っていく。39号機は夕闇の中で、日本刀のような鋭さと、神鳥の羽根のようなしなやかさを併せ持つ、狂暴なる異形の機体へと進化を遂げていた。

 ガルゥゥゥゥォォォォンッ!!!

 コクピットの足元でスーが夜空を引き裂くように力強く吠え、大村の鏡面を激しく震わせる。

「さあ、予選最終日、第12レース! ピット離れから、火花が散るようなマブイの激突です!!」

 実況のボルテージが限界を突破する。

 1号艇・新武友哉さんのピット離れは、もはや瞬間移動の領域だった。マブイを水面に強烈に叩きつけ、その圧倒的な反動で一気に1コースを強奪する。新武さんから放たれた島原の龍の波動が、青白い不気味な燐光となって大村湾を這い回り、後続の艇を容赦なく威圧した。

「速水くん、昨日のは良かレースだったバイ。ばってん、ここからが本当の大村の怖さバイ。俺が潮目を完全に支配するけん」

 新武さんの放つ重苦しい念波が、俺の脳内に直接響き渡る。新武さんは1コースに機体をピタリと固定し、微動だにしない。俺は無駄な進入争いを避け、ゆっくりとボートを後退させた。

「新武さんのインは、正面からぶつかっても絶対に崩せねえ。なら……俺は風になってお前をぶち抜く!!」

 俺が選んだのは、4コース。ダッシュを限界まで乗せるための「4カド」だ。スタンドのファンからも地鳴りのような大どよめきが上がる。大村のイン絶対有利という不滅の神話に対し、あえて大外からの捲り勝負を挑む。それは三冠王者としての誇りと、新武という巨大な壁を乗り越えるための、俺の魂の解答だった。

 【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】

 > 【龍虎相搏】三冠王者・速水誠、あえて4カドを選択! 地元の絶対支配者・新武友哉の鉄壁インに、黄金の滑空加速で真っ向勝負を挑む!!

「大時計、始動!! 3、2、1……スタートォォォッ!!」

 号砲と共に、6隻の機体が一斉にスリットラインへ向かって爆音を上げ加速する。

「全艇ゼロ台!! 究極の同速スタートだぁぁ!!」

 1号艇の新武さん、4号艇の俺、共にコンマ05。一寸の狂いもない完璧なタイミング。しかし、加速の質が全く違っていた。

 俺の39号機は、あらかじめ跳ね上げたチルトの角度と、あかりのカーボン翼が風をガッチリと捉え、水面から数ミリ浮き上がるような異次元の滑空加速を見せる。対する新武さんは、大村の海水を自らの重圧でガチガチに固め、水面そのものを強固な道路に変えるような、圧倒的な剛力加速だ。

 第1マーク。新武さんが完全に先行してハンドルを切った。その瞬間、彼の機体から放たれた漆黒のマブイが、第1マーク周辺の水面を幾何学的な「龍の鱗」のように結晶化させた。

「……何だ、これはァッ!?」

 俺はコクピットで戦慄した。新武さんの作り出した引き波は、マブイによって高密度に圧縮された、海水のコンクリート壁だ。後続のボートがその引き波に乗れば、機体は粉々に砕け散るか、遥か彼方へと大きく弾き飛ばされる。

「これが『島原の龍』の奥義、『水龍・鱗壁』!! 速水誠の黄金の進路を、完全に封じ込めたぁぁ!!」

 外から捲ろうとするが、龍の鱗に接触した瞬間、39号機のカウルが悲鳴を上げ、機体が出鱈目なほどに激しく跳ね上がった。

「くっ……重い……ッ! 新武さんの引き波、水なんかじゃねえ! まるで巨大な山が動いて、俺の進路を塞いでやがるみたいだ!!」

 絶体絶命。新武さんのイン速攻が完全に完成しようとしたその時、足元で踏ん張るスーが鋭く鼻を荒く鳴らした。

 ガルゥ、ウォォッ!!

 スーの黄金の瞳が指し示したのは、干潮によって露出した消波装置と、新武さんの鱗壁との間に生まれた、わずか数センチの「真空の通り道」だった。干潮により水深が極限まで浅くなったことで、海底の地形が海風を複雑に屈折させている。その微かな、しかし鋭い風が、龍の鱗の継ぎ目を激しく叩いていたんだ。

「そこか、スー……ッ! 浮かせるんじゃねえ……『切り裂く』んだよ!!」

 俺は、カーボン翼のフラップを強引に絞り込み、海底から吹き上がる猛烈な上昇気流へと機体を滑り込ませた。

 奥義――『黄金・旋風スカイハイ』ッ!!!

 俺は新武さんの鱗壁の継ぎ目を狙い、機体を転覆寸前まで極限に傾けた。金属性の鋭利なエッジが、マブイの結晶を物理的に真っ二つに両断する。旋風のごとき超高速回転を伴った旋回が、龍の守りを内側から粉々に引き裂いた。

「バッ……馬鹿な!! 俺の鱗壁を、力技で斬り裂いたとや!?」

 新武さんが驚愕に目を見開く。黄金の閃光を纏った39号機は、砕け散る水の鱗を突き抜け、新武さんの1号艇のイン懐、最短航路へとその舳先を猛烈にねじ込んだ。水面スレスレを滑空しながら、新武さんのインを差し切る。空中と水面を同時に支配する第四の走法だ。

「新武の鉄壁を、誠の旋風が切り裂いたぁぁぁ!! 地元の神話が、三冠王の黄金によって今、粉々に塗り替えられるのか!!」

 バックストレッチに向いたその瞬間、二艇は凄まじい並走状態となった。右に新武さんの黒い圧倒的な重圧、左に俺の黄金の旋風。二つの巨大なマブイが激しく激突し、大村湾に雷鳴のような衝撃波が吹き荒れる。

 その時、俺のイヤーモニターに、ノイズ混じりの熱い絶叫が飛び込んできた。

『誠くん、そのまま差し切って!! 私の氷のマブイが、誠くんの進む道を絶対に滑らせてみせるから!!』

 それは、レディースクラシックの準決勝を終えたばかりの、守屋あおいの魂の声だった。彼女もまた、自らのレースでボロボロになりながら俺の戦いを見守ってくれていた。そして、その隣からはあかりの叫び声も響く。

「うちのパーツ、あの衝撃に耐えきったっすね……! 師匠、最高の波切りだったっす!!」

 二人の、そして山口支部の仲間たちの絶対の想いが、39号機のエンジンを限界を超えて狂暴に吠えさせる。

「新武さん……俺はここで立ち止まるわけにはいかねえんだよ! 四冠、その先の景色を、あいつらに見せるって魂に誓ったんだ!!」

 俺の放つ黄金マブイが、大村の夕闇を真昼のような輝きで真っ赤に照らし出した。

 新武さんのベテランの絶対的なハンドル捌きか、俺の若きマブイの爆発的な瞬発力か。右に新武の漆黒、左に俺の黄金。二つのマブイが激しく火花を散らし、互いのカウルが擦れ合う極限の状態で、俺たちは運命の第2マークへ最高速度のまま突っ込んでいく!

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