第165話:メカニックの誇り、見えない虫との闘い ― 舞台裏の攻防 ―
2030年8月1日。兵庫県・尼崎競艇場。
予選第6レース、速水誠が見せた「空中結界粉砕」の余韻は、スタンドの地鳴りのような歓声となって未だ収まる気配がなかった。空中で大宮忠志の『盾甲虫』を突き破り、黄金の尾を引いてトップゴールを決めたその姿は、尼崎の「静水面」に新たなる伝説を刻んだといえる。
しかし、戦場から帰還した速水誠を待っていたのは、手放しの賞賛ではなかった。
ピットで待機していた誠の弟子にして、今節は選手としての出走を辞退し**「専属メカニック」**に徹している野田あかりが、眉間に深い皺を寄せて仁王立ちしていたからだ。
「師匠! お疲れさまっす! でも、喜びの舞を踊ってる暇なんて1秒もないっすよ! 今すぐ、そこどいてくださいっす。39号機を全バラ(全解体)にするっす!!」
誠がコクピットから降りるよりも早く、あかりは手慣れた手つきでメインカウルに外部接続端子を叩き込み、愛用のタブレットで機体のログをスキャンし始めた。
「あ、あかり……そんなに酷い状態なのか?」
誠はヘルメットを脱ぎ、機体の惨状を改めて見渡した。
黄金のマブイを纏っているため一見輝いてはいるが、カウルの一部は盾甲虫との激突で拉げ、関節部からは不自然な蒸気が漏れ出している。
「『盾甲虫』にぶつかった時の衝撃、G(重力加速度)換算で通常の旋回の3倍はかかってるっす。そのせいで、ボイラーの主蒸気配管にマイクロクラック(目に見えないひび割れ)が走りまくってるっすよ。このまま走ってたら、次の1マークで機体が空中分解してたっす。……でも、一番ヤバいのは物理的な破損じゃないっす。これっすよ」
あかりは防護用のピンセットを使い、駆動系の隙間に深く食い込んでいた「何か」を慎重に引き抜いた。
それは、大宮忠志が放った**『寄生蜂』の針の残骸**だった。
驚くべきことに、その針は機体の金属を腐食させ、周囲からは不気味な紫色の煙が微かに、しかし絶え間なく立ち昇っていた。
「なっ……まだ残ってたのか」
「大宮の連中、マジでエグいっす。ただマブイを吸い取るだけならまだしも、吸い取った後の『空』になったエネルギー回路に、マブイの流れを物理的に阻害する特殊な『呪詛ワックス』を流し込んでやがるっす……。これ、人間の血管で言えばドロドロの血栓が詰まってるような状態っすよ。放っておけば、39号機は明日には動かないただの鉄屑っす」
あかりの言葉に、誠は背筋が凍る思いがした。三連覇の覇者として、また「黄金のマブイ」の持ち主として、自分がいかに狙われていたかを痛感した瞬間だった。
「……ギャル的に、マジで、一生許せないっす!!」
あかりはツナギの袖を捲り上げ、工具箱の奥底から、自らが開発した秘蔵のケミカル剤を取り出した。
「師匠の純粋な黄金マブイを、こんなドロドロの毒で汚すなんて……。あかりが全部、ピカピカに洗浄して、元通りどころか『超絶美肌仕様』にしてやるっす!!」
誠が医務室で仮眠を取るように促される中、あかりの一晩に及ぶ孤独な闘いが始まった。
ピットの照明が落とされ、夜の静寂が尼崎を包む。その中で、あかりのブースだけが火花と蒸気、そして彼女自身の放つ、機械への愛情に満ちたマブイで輝いていた。
あかりは、紫色の腐食毒が回ったパイプの一本一本を、自作の**「対虫属性用・高周波洗浄剤」**に浸し、超音波で毒素を弾き飛ばしていく。
その作業は、かつて阿蘇の山奥で、地熱と蒸気を操りながら「地熱蜂」と共生した伝説の松井一族の姿を彷彿とさせた。あかりの指先は、まるで機械と会話しているかのように滑らかに、そして正確に動く。
「……ここも、ここも……師匠が空を飛ぶための大事なパーツっす。絶対に、虫なんかに負けさせないっすよ……」
煤とグリスで顔を汚し、髪を乱しながらも、あかりの瞳はかつてないほど澄んでいた。
翌朝。東の空が白み始めた頃。
誠がピットに戻ると、そこには昨夜のボロボロな姿からは想像もつかないほど、神々しい光を放つ39号機が鎮座していた。
「……終わったっすよ、師匠」
あかりは、真っ黒になったウエスで手を拭きながら、ふらつきながら立ち上がった。
「見てください。ただ毒を抜くだけじゃ、あかりのプライドが許さなかったっす。最新のログを解析して、機体のマブイ伝導率を20%引き上げた上で、装甲の表面に特製の**『黄金の防虫コーティング』**を焼成しておいたっす! これでもう、大宮の汚い蜂も、お前のインコースは地獄だと言わんばかりの威圧感っすよ!」
誠がコクピットに座り、レバーを軽く握る。
その瞬間、機体から放たれるマブイの波動が、以前よりも遥かにクリアで、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持っていることを感じ取った。
「あかり……本当に、ありがとう。俺一人じゃ、昨日で終わってた。お前がいてくれて、本当によかった」
誠の心の底からの言葉に、あかりは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに「……へへ、師匠にそう言われるのが、メカニック冥利に尽きるっす」と、煤で汚れた顔に最高の笑顔を浮かべた。
4. カササギPV更新:五億八千万の共感
からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新
> 【支える力】野田あかり、執念の徹夜オーバーホール! 大宮の放った『腐食毒』を完全クレンジング! 誠の三冠への道、その黄金の翼を研ぎ澄ますのは、この若き天才メカニックの愛と技術だ!! 累計PVは5億8,000万!! 世界中の整備士がこの『神整備』に涙した。
一方、大宮家の陣営。
大宮忠志は、自身のモニターに映し出された誠の機体数値を信じられない面持ちで凝視していた。
「……私の毒を、わずか数時間で無効化したというのか? それどころか、マブイの純度が上がっている……。あの『野田あかり』とかいう小娘、まさか大宮橋右衛門の再来、いや、それを超える天性のメカニックなのか……?」
忠志の隣で、艶やかな着物に身を包んだ一人の女性が、扇子を優雅に広げた。
大宮家の長女、**大宮蝶子**である。
「忠志、焦ることはありませんわ。力で勝てぬなら、心を絡め取ればよいだけのこと。私の『蝶』の舞からは、如何なる名工の機械も、如何なる黄金の龍も、逃れることはできませんから……」
彼女の周囲を、極彩色の光を放つ小さなからくり蝶が舞い踊る。
予選2日目。尼崎の静水面は、力と技術のぶつかり合いから、精神を揺るがす「幻惑」の戦場へと姿を変えようとしていた。
「師匠……勝ってこいっす! あかりが直した39号機は、世界一っすから!」
「ああ、行ってくる、あかり!」
シロが「フゴッ!(やるぞ!)」と吠え、黄金の機体が再び水面へと滑り出した。




