炎の滑走路、黄金の翼
2030年8月1日、午後20時30分。兵庫県・尼崎競艇場。
大宮橋右衛門杯、初日、最終12レース。全国のからくり競艇ファンが、そして世界中の視聴者が固唾を飲んで見守る中、その瞬間は訪れようとしていた。
カクテル光線が、鏡のような尼崎の静水面を白く照らし出す。だが、その滑らかな水面下には、大宮家が仕掛けた無数のマブイ糸が、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
「これより、初日ドリーム戦に出場する6艇がピットアウトいたします。……まさに神々の激突。三冠を狙う若き龍、迎え撃つ絶対王者、焼き尽くす爆炎、そして暗躍する虫の王。今、歴史が動きます!」
実況の絶叫と共に、爆音を響かせて6隻の機体が水面へと滑り出した。
ピット離れ。その瞬間から火花が飛び散る。
「12レース、ドリーム戦! 1号艇は佐賀の絶対王者・大峰幸太郎! 2号艇、下関の英雄・速水誠! 3号艇、大宮家の矜持を賭けて復讐に燃える大宮忠志! そして4号艇、カドから全てを焼き尽くす福岡の爆炎・西野貴志!!」
俺の39号機は、カクテル光線を浴びて、以前とは違う瑞々しい輝きを放っていた。
昨夜、野田あかりが不眠不休で施した『黄金の防虫コーティング』。それは単なる装甲の強化ではない。大宮家の虫たちの付着を防ぎ、同時に敵のマブイ干渉を撥ね除ける、あかりの執念が結晶化した絶縁層だ。
「師匠……聞こえるか? コーティングの定着率は100%、マブイ伝導率も理論値通り。西野さんの炎も、大宮さんの虫も、今の師匠には指一本触れさせないから!」
無線越しに届くあかりの声は、極度の疲労を感じさせながらも、確固たる自信に満ちていた。
俺はコクピットで深く頷き、隣の3号艇・忠志を、そして4カドに構える西野を鋭い眼光で捉えた。
(あかり……信じている。お前の磨き上げたこの翼で、俺は空を支配する!)
「大時計、始動! 全艇、凄まじいマブイの集束! ……3、2、1、スタートォ!!」
号砲と共に、1マークへと向かう6艇が横一線に並ぶ。だが、その均衡を破ったのは4コース、福岡の会長・西野貴志だった。
「若造共がちょこまかと……纏めて地獄の業火で消毒バイ!!」
西野の機体がコンマ01という、針の穴を通すような弾丸スタートを決める。そのまま内側の艇を飲み込むように、強烈な絞り捲りを仕掛けた。西野の放つ『奥義:爆炎・業火絨毯』が水面を覆い尽くし、尼崎の静水面は一瞬にして沸騰した地獄へと変貌する。
吹き荒れる熱風と、視界を遮る赤い炎。本来ならば、この熱量だけで機体の冷却系はパンクし、俺は意識を失うはずだった。しかし、俺の39号機は違う。あかりが施したコーティングの表面が鏡のように炎を反射し、機体内部の温度を一定に保つ。俺は炎の渦中でも、冷静にスロットルを握り続けていた。
「させるかよ、速水誠! コーティングごと、バラバラにしてあげましょう!」
そこへ、炎の隙間を縫うように、大宮忠志が3号艇から禁忌の戦術を放つ。
『寄生蜂・自爆特攻』。数百匹のからくり蜂が、熱を遮断された俺の機体を目がけて一斉に突撃。接触と同時に爆発し、コーティングに物理的な亀裂を入れようと試みる。
炎と虫、そして内側で踏ん張る絶対王者。1マークは、もはや競艇ではなく、マブイと技術が交錯する異次元の戦場となっていた。
「佐賀の意地、見せちゃるバイ!!」
1号艇・大峰幸太郎が、沸騰する水面をものともせず、超人的な体幹で機体を抑え込み、インから強引な先マイを放つ。しかし、水面は西野の爆炎によって水蒸気が爆発的に発生し、機体の姿勢を維持するための浮力が失われる「キャビテーション」が発生。大峰の艇さえも、わずかに外側へ流される。
全艇がバランスを崩し、沈没の危機に直面したその瞬間――。
「……スー、今だ!! この『熱』を喰うぞ!!」
フゴォォォォォォォォォン!!!!!
膝の上で、スーが天を仰いで咆哮した。黄金のマブイが最大出力で解放される。だが、俺はそれをただの推進力にはしなかった。俺は西野が作り出した猛烈な上昇気流と、水蒸気が生み出す気圧の差を瞬時に計算。翼がその気流を完璧に捉えた。
奥義――『黄金・陽炎スカイハイ』!!
39号機は、沸騰する水面を力強く蹴り、これまでにない超高度へと舞い上がった。西野の爆炎を上昇気流という追い風に変え。大宮の虫を眼下に置き。大峰の絶対的なイン戦を、その頭上から。カクテル光線の下、黄金の残光が夜空に一筋の虹を描く。
「誠、出たぁぁぁ!! 地獄の1マークを飛び越え、黄金の陽炎となって独走態勢!! これが、これが山口の、そして世界の速水誠だぁぁ!!」
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】
> 【神・ドリーム戦】速水誠、爆炎と虫の群れを逆手に取った『陽炎』で全艇を圧倒! 驚異の三冠ロード、尼崎にて本格始動!!
レース後、ピットに戻ってきた俺を待っていたのは、涙で顔をくしゃくしゃにした野田あかりだった。
「師匠!! 10,000点満点の陽炎だったよ!! あかりの整備、間違ってなかった……歴史変えちゃったね!!」
俺はコクピットから降りると、あかりの煤けた右手に力強くハイタッチを返した。
「あかり、ありがとう。お前が磨いてくれたから、俺は炎を熱いと思わずに飛べた」
師弟の絆が尼崎の夜に温かく灯る一方で。ピットの隅、闇に沈む大宮家のブースでは、忠志が自らのタブレットに表示された、俺の機体の防御データを忌々しげに眺めていた。
「……いいでしょう。通常の虫が効かぬというのなら、こちらも家門の誇りを捨て、古の封印を解かざるを得ませんね」
忠志の背後で、巨大な、それこそ機体一つを丸呑みできそうなほどの影が蠢いた。それは、かつて大宮橋右衛門が制御不能として封印した、伝説のからくり機獣。
「明日は、からくり機獣『大ムカデ』を解禁します。速水誠、あなたの黄金、その百足の足ですべてバラバラにして差し上げましょう」
闇の中から、無数の節足が擦れ合う不気味な金属音が響き渡る。三冠への道。俺の前に、真の絶望が鎌首をもたげようとしていた。
「スー……明日も、頼むぞ」
フゴッ!!
俺は夜空に光る月を見上げ、明日のさらなる死闘を覚悟した。尼崎の夜はまだ終わらない。伝説は、ここから最大の危機を迎えようとしている。




