第159話:黄昏の備前、恋とマブイの十字風 ― 万衆衆魂祭・優勝戦 ―
2030年5月14日、午後17時25分。岡山・備前競艇場。
「万衆衆魂祭」のフィナーレを飾る、最終12レース・優勝戦。
水面は、沈みゆく巨いなる夕陽を反射し、まるで龍の血を流したような、あるいは燃え盛る溶岩のような深い朱色に染まっていた。視界の端々には、瀬戸内の島々が黒い影となって浮かび上がり、カクテル光線がその輪郭を鋭く縁取っている。
しかし、その絶景の裏側には、レーサーたちを震え上がらせる「魔物」が潜んでいた。
「スタンドから2マーク」方向へと吹き抜ける、風速4メートルの斜め追い風。
通常、追い風はインコースに有利とされるが、これほどの強風、しかも旋回地点で複雑に渦巻く斜めからの風は、ボートをコーナーの外側へと容赦なく押し流す。
一瞬の判断ミスが、そのまま消波装置への衝突や転覆へと繋がる、極限の死地。
観客動員数は過去最高を記録し、全世界が固唾を飲んでモニターを見つめる中、運命の大時計が回り始めた。
「最終12レース、優勝戦! スタンドからの魔風がボートを押し出す、凄まじいイン受難の水面状況となりました!!」
1号艇・大峰幸太郎は、百戦錬磨の技術で自艇を水面に「張り付かせて」いた。佐賀の絶対王者たる彼は、低重心の姿勢を保ち、風に煽られるのを最小限に抑えながら、虎視眈々と1マークを見据えている。彼が放つ漆黒のマブイは、風さえも押し止めるような質量を持って、1コースの守護神となっていた。
対するは、2号艇・守屋あおいと3号艇・速水誠。
昨夜、愛犬シロとヘラの共鳴から生まれた「氷金のオーラ」は、今や二人の機体を優しく、かつ強固に包み込んでいた。誠の黄金色に輝く39号機と、あおいの氷青色に澄み渡る機体が、ピットを離れた瞬間からひとつの生命体のようにシンクロしている。
「誠くん、風が強いっす! 2マークで流されないように、私の氷の航跡をガイドにするっすよ!」
「分かってる、あおい! シロ、準備はいいか。風を斬って、光の道を作るぞ!!」
(フゴッ!!)
シロは誠の膝の上で、黄金の瞳を爛々と輝かせ、風の「揺らぎ」を敏感に察知していた。
4コースのカドに構えるのは、大阪の女王・鎌倉明奈。その後ろ、5コースには「デート」の四文字が脳内を埋め尽くし、マブイが爆発寸前の岡野銀太。そして大外6コース、夜の帷が降りるのを待つ死神、石田健太郎。
六者六様の情念が、朱色の水面で激しく火花を散らす。
「スタートしました!! ほぼ全艇、ゼロ台の超絶スタート! 誰一人として引いていない!!」
追い風4メートルというブーストを得た6艇は、通常のレースではあり得ない体感速度で、1マークという名の断頭台へ突っ込んでいく。
「……逃がさんバイ!!」
1号艇・大峰が、インから凄まじいプレッシャーで先マイを狙う。しかし、ここで「魔物」が動いた。旋回を開始しようとした大峰の艇を、スタンドからの突風が真横から叩いたのだ。王者の機体といえども、自然の猛威には抗えず、ターンがわずかに、しかし決定的に外側へと膨らんだ。
「今だ!! あおい、合わせるぞ!!」
誠の声に応じ、二人のマブイが極限まで高鳴る。
『奥義:氷金・双龍旋』!!
誠の39号機から放たれる爆発的な黄金マブイと、あおいの放つ冷徹な氷のマブイ。二つの相反するエネルギーが水面で激しく螺旋を描き、周囲の荒れ狂う風を吸い込み、中和する。その中心には、風の影響を受けない完全な「真空の道」が出現した。
誠がチルト3.5の特性を活かし、黄金の翼で空へと跳ねる。
あおいが氷の刃のごとき旋回で、最短距離を突く。
山口支部の双龍が、絶対王者の懐を、阿吽の呼吸で同時にえぐり抜いた!!
「抜けたぁぁぁ!! 誠とあおい、二人が大峰を置いてバックストレッチへ!!」
バックストレッチ。誠とあおいの艇は、互いのマブイを増幅し合いながら、鼻先を完全に並べて併走。もはや一騎打ちかと思われたその時、さらなる混沌が牙を剥いた。
魔の2マーク。
追い風に背中を猛烈に押され、二人の艇は旋回半径を維持できず、外側の消波装置へと押し流されそうになる。
「なっ、風が……重すぎる!!」
「誠、踏ん張って!! ヘラ、もっと冷気を!!」
二人が姿勢を立て直そうと必死にもがく、その一瞬の「隙」。
そこへ、5コースから死に物狂いで展開を突いた岡野銀太が、異形の咆哮と共に突っ込んできた。
「鎌倉さぁぁん!! 僕は……僕は、あなたと……デートに行きたいんだぁぁ!!」
鎌倉に(ある種、脅迫的に)叩き込まれた全速旋回の真髄。岡野は転覆を恐れぬ突進で、誠とあおいの僅かな「間」を割る、**『執念の全速差し』**を敢行!
「【史上最大の混戦】誠、あおい、大峰、そして岡野! 2マークで全員が『愛の暴走』!! 誰が勝つか、もはやAIにも予測不能!!」
からくり競艇公式YouTube『カササギ』の累計PVは、ついに4億8,000万を突破。サーバーは世界中で悲鳴を上げ、備前のボルテージは宇宙空間に届くほどの熱を放っていた。
激動の2マークを抜け、ホームストレッチに戻ってきた順位は、未だにカオスの中にある。
わずかに前に出ているのは、速水誠。しかし、内側から虎視眈々とあおいが差し返しを狙う。あおいの瞳は、勝負師としての冷徹さと、誠への想いが混じり合い、これまでにない美しさを湛えていた。
「誠! どっちが勝っても……明日は、最高の日にするよ!!」
「あおい……っ、最高だ!! 最後まで、全力でいくぞ!!」
二人の間に、言葉はいらない。ただ、互いの機体から発せられるマブイの鼓動が、愛の告白のように水面を震わせている。
その後方では、大峰幸太郎が王者の意地を見せ、驚異的なリカバリーで岡野銀太を猛追。
「若造……愛だけじゃ、この大峰は超えられんばい!!」
3位争いもまた、恋の力か王者の風格か、一寸先も見えないデッドヒート。
石田健太郎が背後でニヤリと笑い、闇の粒子を撒き散らしながら一角崩しを狙う中、運命のチェッカーフラッグが振られようとしていた。
黄金の飛翔か。
氷の抱擁か。
それとも、王者の帰還か。
備前「万衆衆魂祭」、その伝説のゴールまで、あと数秒。




