第152話:残照の備前、パグの誘い ― 12R・ナイトサイレンサー ―
2030年5月10日、午後5時45分。
岡山支部が誇る「備前競艇場」は、一日のうちで最も残酷かつ美しい時間帯を迎えていた。
瀬戸内海に沈みゆく夕日が、備前の重い濁流を燃えるような茜色に染め上げ、対岸の島々のシルエットが巨大な獣の背中のように浮き上がる。だが、その光も長くは続かない。空の端から、インクを零したような群青色の帳が降り始め、カクテル光線が水面に鋭い光の杭を打ち込み始めた。
「万衆衆魂祭」初日、最終第12レース。
ピットには、予選初戦を制した速水誠、絶対王者・石神正広、そして東京から来た「異質の風」石田健太郎の名が並んでいた。
観客の熱狂は最高潮に達し、累計PVは瞬く間に2億の壁を突破。しかし、1号艇のピットに漂う空気は、熱狂とは無縁の、底知れない「静寂」であった。
「……ミヤビ、準備はいいか。朝の勝率3.00なんてのは、今この時のために『夜』の濃度を高めるための、ただの布石に過ぎないんだ」
1号艇、石田健太郎。
昼間の彼は、どこか気怠げで、精彩を欠いた走りに見えることが多い。だが、太陽が沈み、光と影の境界が曖昧になるナイターの時間帯、彼は別の生き物へと変質する。
愛犬のパグ・ミヤビの頭を優しく撫でると、ミヤビは「フガッ」と短く鼻を鳴らし、暗視ゴーグルのような鈍い光を放つ特殊デバイスを装着した。
「あおいさん、誠くん……気をつけて。石田さんの『夜』は、単なる視界の悪さじゃない。それは、対戦相手の五感そのものを、内側から狂わせる迷宮よ」
ピットのモニターを見つめる山口支部の塩田まなみが、震える声で警鐘を鳴らす。彼女の予感は、この後、的中することとなる。
「さあ、初日のメインイベント! 第12レース、発走です! 1号艇・石田、2号艇・誠、3号艇・石神! 備前の水面が、今、神々の戦場に変わります!!」
大時計の針が回転し、白熱したスタートが切られた。
速水誠は、愛弟子あかりが魂を削って整備した39号機と共に、コンマ05の弾丸スタートを決める。黄金のマブイがカクテル光線を反射し、誠の艇は光の塊となって1マークへ突っ込んだ。
しかし、1マークに差し掛かり、ハンドルを入れようとしたその瞬間、誠は「異常」に気づいた。
「っ!? ……石田さんが、いないっす!?」
目の前にいたはずの1号艇の「影」が、突如として視界から消え失せた。
『奥義:ナイトサイレンサー(夜の消音器)』
石田の機体は、カクテル光線の乱反射を自らのマブイで完全に吸収。艇体そのものが闇と化し、群青色の水面に溶け込んだ。
さらに、パグのミヤビが喉の奥で鳴らす低周波の「いびき波動」が、水面を通じて誠の39号機に伝播する。それが誠の持病である「金属耳鳴り」を誘発させ、平衡感覚を奪い去った。
「なっ……エンジンの音が聞こえないっす!? 石田さんが、どこを走っているのか、全く分からないっす!!」
誠の耳には、自分の鼓動の音だけが不自然に大きく響き、周囲の音は真空に放り出されたように消滅した。
旋回のリズムがコンマ数秒、決定的に狂う。
その「一瞬の空白」を、闇の中から物質化したかのように現れた石田の1号艇が、カミソリのような最短距離で抉り抜いた。
「抜けたぁぁぁ! 石田健太郎、まさに夜の帝王!! 誠の黄金マブイを漆黒の闇で包み込み、バックストレッチで独走態勢だ!!」
実況の絶叫と共に、カササギPVは石田のミステリアスな走りに沸き立ち、2億2,000万を突破。
石田の1号艇は、航跡さえも音を立てない。まるで幽霊船のように2マークを旋回する。
そこへ、3号艇の石神正広が、強引な「ダンプ(体当たり旋回)」を仕掛けようと突っ込んできた。石神の放つ圧倒的な「神の重力」が、石田の闇を暴こうとする。
しかし、石田は機体を微かに振るわせ、空間に「虚像の闇」を配置。石神のダンプは、実体のない影を突き抜け、むなしく水面を叩いた。
「……面白い。闇に隠れる奴に、物理的な質量をぶつけるのは、存外骨が折れるな」
不敵に笑う石神を置き去りにし、石田はそのまま悠々とゴール板を駆け抜けた。
からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新
> 【闇の刺客】石田健太郎、奥義『ナイトサイレンサー』で誠を圧倒! 朝の弱さは全て演技か!? 夜の備前を完全に支配し、漆黒の玉座に君臨!! 累計PVは2億2,000万を突破!!
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【第12R:リザルト】
| 順位 | レーサー | 状態・マブイ残量 | 備考 |
| 1着 | 石田 健太郎 | 闇の覚醒、マブイ95% | 夜の競走では無敵。五感を断つ支配者。 |
| 2着 | 速水 誠 | 五感麻痺、マブイ20% | 翻弄されるも、シロの「フゴッ」という野生の勘でなんとか2着。 |
| 3着 | 石神 正広 | 余裕の追従 | 「闇の攻略法……見え始めたな」 |
| 4着 | 西野 貴志 | 爆炎鎮火 | 闇に熱量を吸い取られ、不発。 |
ピットに戻ってきた誠は、ヘルメットを脱ぐこともできず、耳を塞ぎながらふらふらと膝をついた。
「……石田さん、マジで忍者みたいだった。音が消えるなんて、卑怯だ……頭の中がずっと、キーンって鳴ってる……」
「誠、しっかりして!!」
そこへ駆け寄ったのは、守屋あおいだった。彼女は誠のヘルメットを脱がせると、その耳元に自分の手を添え、優しく、しかし強烈なマブイを流し込んだ。
『奥義:氷の耳成』
あおいの冷徹なマブイが、石田の残した闇のノイズを物理的に凍らせて粉砕する。
「あ……聞こえる。あおいの声が……」
誠が意識を取り戻したその時、背後で石田のパグ・ミヤビが、一瞬だけ「ニヤリ」と不敵な笑みを浮かべたのを、誠の足元で警戒していたシロだけは見逃さなかった。
(……フゴ。あのパグ……ただのパグじゃねぇ。石田の闇をコントロールしてるのは、あっちだ)
シロは低く唸り、闇の中に消えていくミヤビの背中を睨みつけた。
山口の龍、速水誠。
備前の「祭り」は、まだ始まったばかり。
闇を抜けた先に待つのは、53,000のマブイを持つ「神」石神正広との直接対決だった。
「……次は、耳を塞いでも、影の中にいても……光をぶち込んでやるぞ!!」
誠の瞳に、再び黄金の炎が宿った。




