潜水の鎌、泥中の黄金
2030年5月12日、夕刻。岡山・備前競艇場。
準優勝戦第11レースは、誰もが予想しなかった衝撃的な展開を迎えていた。
絶対王者・大峰幸太郎が放った『不知火噴煙』は、1コースの速水誠を物理的にも精神的にも完全に粉砕し、大峰はもはや独走態勢を築いて霧の彼方へと消えていた。しかし、この『万衆衆魂祭』において、優勝戦への切符を掴めるのは上位2名のみ。
俺の目の前には、霧散した黄金のマブイの残香を嘲笑うかのように、巨大な漆黒の壁が立ちはだかっていた。愛知の老練なるベテラン、児玉大学である。俺にとって、この2着争いは単なるレースの着順以上の意味を持っていた。それは、師匠としての矜持、三連覇への野望、 Alexander そして何より――昨夜、守屋あおいと交わしたデートの約束という、一人の男としての重い誓いを繋ぎ止めるための死闘であった。
「若いの、色恋に現を抜かすのは勝手だが……この備前の水面は、そんなに甘くないぞ。魂が浮ついていては、瀬戸内の泥に呑まれるだけだ」
児玉大学の駆る機体が、内側から鋭い角度で俺の39号機を圧迫する。児玉は最新型の外付け高出力マブイ・デバイスを搭載しており、そのカタログスペックは「70,000」という圧倒的な出力を誇る。俺の純粋なコアマブイ数値は、測定上わずか「1,000」。技術で補おうにも、バックストレッチの直線ではエンジンの地力が如実に現れる。70倍のパワー差に、39号機は喘ぎ、じりじりと引き離されていく。
「くっ……パワーが違いすぎる……! 直線で並ぶことすらできないなんて……!」
俺の焦りが、ステアリングを握る指先から機体へと伝わる。同調が乱れ、39号機が「やめてくれ」と悲鳴を上げるように激しく振動した。焦れば焦るほど、機体は水面を叩き、失速する。前方を行く児玉の引き波が、俺の視界を泥色に塗りつぶしていく。
(……このままじゃ、あおいに顔向けできない。約束したんだ……勝って美味しいものを食べるって、あんなに格好つけて言ったんだ!!)
俺の脳裏に、夕焼けの中で顔を真っ赤に染めながら自分を見つめたあおいの瞳が浮かぶ。その瞬間、コクピットの足元で、これまで沈黙を守っていた相棒が動いた。
「1位は大峰、独走! 問題は歴史に残る2位争いだ、児玉か、誠か!? 誠、ここで勝負に出た! チルト3.5の浮遊特性を捨て、児玉の猛烈な引き波のど真ん中に突っ込んでいく!!」
実況の声が裏返る。俺は自らのアイデンティティである空を捨てた。高く飛べば、児玉のマブイ出力が放つ風圧で場外まで吹き飛ばされる。ならば、泥にまみれ、水底ギリギリの最短距離を征くしかない。
「フゴォォッ!!」
パグのスーが、かつてないほど鋭く、鼓膜を震わせる声で叫んだ。スーは俺の耳元に濡れた鼻を押し付け、テレパシーを介して児玉の機体が発するマブイの周期を伝えた。70,000の出力は強大だが、それゆえに一定のリズムで出力の谷間が生じている。児玉自身も制御しきれていない、極微細な揺らぎ。
「……見えた。スー、あそこだな!!」
二周目、最終コーナー。児玉が勝利を確信し、最短航跡をなぞろうとした一瞬。強大すぎるマブイの影響で、児玉のターンがわずか数センチ、外側へ膨らんだ。
俺は39号機の全エネルギーを、左側の噴射口から右側へ一気にバイパスさせた。黄金の光を機体全体に纏わせるのではなく、プロペラの翼端だけに超高密度で圧縮する。
奥義――『潜水・スカイハイ』!!
高く飛ぶための翼を、水面を深く切り裂くための鎌へと変える。俺の39号機は、児玉が作り出した巨大なマブイの激流の隙間へ、針の穴を通すような精度で潜り込んだ。水面下数センチの、気泡さえ立たない絶対静寂のライン。児玉がハッとした時には、泥の中から飛び出した黄金のトビウオのように、俺の鼻先が児玉の機体の前に突き出ていた。
「速水誠が、出た!! 泥の中から黄金が舞い上がったぁぁ!! 児玉大学の猛追を、スーとの絆による精密旋回で振り切ったぁぁ!!」
最後の直線。俺は残されたマブイを振り絞り、児玉の再加速を抑え込む。1着、大峰幸太郎。 Alexander そして、そのわずか1秒後。
「2着……滑り込んだのは、速水誠だぁぁ!!」
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】
> 【薄氷の進出】速水誠、児玉とのパワー差を「潜水の鎌」で覆し執念の2着をもぎ取る! 運命の優勝戦へ向けて、世界中のタイムラインが完全大絶賛!!
ピットに戻ってきた俺は、エンジンを切ると同時に、極度の緊張とマブイの過剰消費により、そのままコクピットの計器類の上に突っ伏した。ヘルメットの中で、荒い呼吸音が響く。
「……勝った……勝ったぞ、スー……。これで……デートに……」
スーが「フゴッ」と安堵の吐息を漏らし、俺の頬を舐める。ピットでは、競技委員に止められながらも最前列まで駆け出した守屋あおいが、安堵のあまり膝から崩れ落ち、涙を浮かべていた。
「誠……バカ。あんな無茶して……心臓が止まるかと思ったよ……!」
夕闇が備前を包み込み、カクテル光線が灯る。ピットボードには、明日の優勝戦、全宇宙が注目する六人の戦士の名が掲出された。
【万衆衆魂祭・優勝戦、枠順確定】
1号艇:大峰 幸太郎(佐賀) ―― 佐賀の龍王。盤石のイン逃げを狙う。
2号艇:守屋 あおい(山口) ―― 氷の女王。誠への想いを力に変える。
3号艇:速水 誠(山口) ―― 黄金の新人。三連覇とデートの二冠を狙う。
4号艇:鎌倉 明奈(大阪) ―― 浪速の猛女。岡野を射止めるための旋回。
5号艇:岡野 銀太(愛知) ―― 恋の新人。女王の誘いに応えるための覚醒。
6号艇:石田 健太郎(東京) ―― 夜の帝王。不気味な無音の旋回で全てを奪う。
あおい、誠、岡野、鎌倉……四人の愛と執念を、絶対王者の大峰と夜王の石田がどう裁くのか。
ピットの隅では、あかりが「これ、ギャル的に世紀の対決っす。サーバーが物理的に爆発しても知らないっすよ!」と、モニターを四つ並べて叫んでいた。
夕闇に灯るカクテル光線を見つめながら、俺はスーを強く抱きしめた。歴史が動く、運命の優勝戦まで、あと24時間。俺たちの本当の王路は、ここからさらなる異次元の奇跡を紡ぎ出すんだ。




