第150話:整備士の意地、ギャルの咆哮 ― 3R・二足の草鞋の限界突破 ―
2030年5月10日、正午。
岡山・備前競艇場は、初夏の照りつける陽光と、瀬戸内特有のねっとりとした海風に包まれていた。
この「万衆衆魂祭」は、ただのボートレースではない。マブイ(魂)を極限まで削り、整備力と操縦技術の両輪を最高速度で回転させなければ、備前の複雑な二枚潮に飲み込まれてしまう過酷な戦いである。
ピットの片隅、山口支部の整備ブース。
そこには、華やかなギャルファッションをメカニック用のツナギで隠し、額に大量の汗を浮かべながら狂ったようにレンチを振るう一人の少女がいた。山口の次世代を担うレーサーにして、速水誠の唯一の弟子、野田あかりである。
「あーもう! 師匠の39号機、さっきの『スカイ・ハイ・Vモンキー』でピストンリングに微細な歪みが出てるっす! プロペラの翼端にも、空気の断層でついた微細なクラック(ひび)が……! でも、私の機体も、備前のこの『粘る潮』に合わせなきゃ、第3レースでボコボコにされるし……ギャル的にマジで、マジで詰んでるっす!!」
あかりは自分のヘルメットを被ったまま(視界を限定して集中力を高める彼女なりの整備スタイルだ)、両手にスパナを持ち、隣り合った二つの機体を交互に整備していた。本来、誠の専属メカニックとして同行している彼女だが、今大会は選手としてもエントリーしている。
自分の調整時間を削り、睡眠を削り、魂の欠片を削ってでも、師匠の機体を完璧な状態に戻そうとするその姿に、山口支部のベテラン・海野田八雲も「あかり、あんまり無茶しなさんな。壊れるんは機体じゃなくて、お前の方じゃ」と苦笑いしながら心配するほどであった。
「……あかりちゃん、そんなに余裕なかと? 整備もレースも、中途半端なマブイじゃ俺と毅には勝てんばい!」
背後からかけられた鋭い声。そこには、佐賀支部の若き実力者、宮地明が立っていた。大峰幸太郎の愛弟子であり、誠をライバル視する彼は、愛犬のビーグル・毅を傍らに連れ、冷徹な視線をあかりに注いでいた。
「バウッ!」
毅が、あかりの疲労と焦りを見透かすように、鋭く短く吠える。
「宮地さん……。余裕なんて、最初から一ミリもないっすよ。でもね、師匠の足を引っ張るような整備なんて、死んでもできないっす。それが『誠の弟子』のギャル魂っすから!」
あかりは顔を上げ、オイルの付いた手で前髪をかき上げた。その瞳には、肉体の限界を超えた「分析の光」が宿っている。彼女は自分の機体のセッティングをコンマ数秒で決断し、再び39号機の心臓部へと潜り込んでいった。
「3レース、予選! 2コースから大峰の愛弟子・宮地明! そして4コース、カド位置には速水誠の愛弟子・野田あかり! まさしく師弟代理戦争、次世代の意地がぶつかり合います!!」
ピット離れから、空気は張り詰めていた。
あかりの機体は、本来なら備前の重い潮に合わせた重厚なセッティングにするべきだった。しかし、彼女が選んだのは、整備時間の短縮をカバーするための「極限の瞬発力」重視の構成だった。
連日の不眠不休の整備。スタート展示の瞬間、あかりの視界は一瞬ぐらりと揺らいだ。疲労がピークに達し、指先の感覚が麻痺しそうになる。
(……あ、やば、暗転しそう……)
その時だった。
ハンドルを握りしめた彼女の指先に、かすかな温もりが伝わってきた。それは、さっきまで彼女が必死に整備していた39号機から移った、**「速水誠の黄金マブイの残香」**だった。
静かで、熱く、どこまでも真っ直ぐな、あの師匠の魂。
「……師匠の機体を直すのは、私のプライドっす。でも、ここで負けたら『誠の弟子』の名が廃るっすよ!! 師匠の整備をしてた私の手は、このエンジンの『一番おいしいところ』を知ってるっす!!」
『奥義:ギャル流・超突貫』!!
あかりは、整備士としての「機体の限界点を見極める眼」を解放した。
燃料噴射のタイミング、プラグの点火、空気の吸入量。その全てを、エンジンの耐久力を無視してコンマ数秒早める「オーバー・クロック」を敢行!
機体は悲鳴を上げるような凄まじい排気音を響かせ、スリットラインを閃光のように駆け抜けた。
「なっ、なんちゅう無茶な設定バイ! エンジンが壊れるのを恐れとらんとか!?」
内側から絞り込もうとした宮地明の3号艇。しかし、あかりの4号艇は、物理的な質量さえも凌駕する「マブイの熱量」で宮地を外側へ跳ね飛ばした。
「行けぇぇぇ!! 私の指先、私のエンジン!!」
1マーク。あかりは宮地の懐に、自身の機体から立ち昇る「執念の熱」を物理的な質量として叩きつけるような捲り差しを敢行。
引き波を切り裂き、泥の飛沫を黄金の火花に変えて、彼女の機体はバックストレッチで単独先頭に躍り出た。
エンジンカウルからは、高熱によって陽炎が立ち昇り、計器類は全てレッドゾーンを指している。
「壊れたら、私が直すだけっす!!」
その叫びは、実況の絶叫をかき消すほどに力強かった。
そのままトップでゴールラインを駆け抜けた瞬間、あかりの機体からはプスンという音と共に、激しい白煙が上がった。文字通りの限界突破。機体は、彼女の意思を運びきった直後に眠りについたのだ。
からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新
> 【二刀流の奇跡】野田あかり、師匠の整備と自身のレースを完全両立! 限界を超えた『ハイパー・バースト』で佐賀の宮地を圧倒!! 累計PVは1億8,000万を突破! 彼女もまた、山口の怪物の一人だ!!
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ピットに戻ってきたあかりは、機体が接舷するや否や、フラフラの足取りで飛び降りた。
駆け寄る競技委員や山口支部のメンバーの制止を振り切り、彼女が向かったのは自分の休養場所ではなく、速水誠の待つ39号機のそばだった。
「も、ももちゃん……師匠の39号機、さっきの増し締め、終わったっすか……? 私は大丈夫、エンジンが少し焼けただけ……早く続きをやらなきゃ、第5レースに間に合わないっす……」
「あかり、もういい、もういいから!」
同期の原田ももが泣き出しそうな声で支えようとするが、あかりの意識は混濁し、視界が白く染まっていく。
そのまま膝から崩れ落ちそうになった彼女の体。それを、整備を終えたばかりの速水誠が、力強く、そして優しく受け止めた。
「師匠……ごめん、なさい……。私の整備、まだ完璧じゃ……」
「あかり、もういい。お前は、最高の弟子で、最高のメカニックだ。お前がここまで守ってくれたこの39号機……俺の魂の一部になってる」
誠の声は、震えていた。
自分を支えるために、ここまで身を削る少女。誠は、あかりのオイルで汚れた小さな手を握りしめ、静かに、しかし備前の全空を揺るがすような決意を瞳に宿した。
「あとは俺が……お前の執念を、この備前の空で証明してくる。……ゆっくり休めよ、あかり」
あかりは師匠の腕の中で、安堵したように小さな寝息を立て始めた。
その顔には、オイルの汚れを拭う暇もなかったが、何よりも美しい、山口のレーサーとしての誇りが輝いていた。




