桜嵐の魔窟(サクラ・サージ)
からくり競艇公式YouTubeチャンネル『カササギ』。それは、水面に舞い散るソメイヨシノの桜嵐をハイドロカウルの下に巻き込んで、新たなる勝負師たちの神話を電脳空間へと配信する巨大な触媒であった。
二〇三〇年四月後半。プレミアムG1において江戸川の闇を完全制覇した俺(誠)が再びその足跡を刻むために再臨したボートレース江戸川は、満開のソメイヨシノによってピンク色の流体絨毯へと美しく染まっていた。
「……また戻ってきたな、この魔境に」
三十九号機『白銀黒影・改』のコックピットに深く腰掛け、俺はピンクの水面を冷徹に見据えた。今回の開催は、最高峰の絶対聖域――SG『江戸川王座特区戦』。
「誠師匠! 江戸川の泥、今日も最高に煮え繰り返ってるっすよ!」
ピットで最も大きなハミング音を上げているのは、今節プロデビュー初参戦を果たす山口の新星・野田あかり。誠直伝の『金剛錨打』の原理を、自らのギャル・パルスで爆回しする独自の変則旋回へと昇華させ、既に水面で異彩を放っていた。
「あかり、油断するな。SGに集まる連中はマブイの工学質量がまるで違う」
俺が冷徹に釘を刺すが、背後からは背筋を凍らせるような山口の新女王・守屋あおいの『氷結サージ』が漂う。あおいは弟子として俺に全速で懐くあかりに対し、苛烈なる独占欲を燃え上がらせていた。
「……誠。弟子への生緩い指導もいいけれど、己のレースの数式を忘れるなよ。もし少しでもジャイロを緩めていたら、俺が『天衣』の全速ダンプで、江戸川の底のヘドロまで力ずくで沈めてやるからな」
「あ、あおい……そんなにマブイの出力を尖らせないでくれ」
俺が冷や汗を流していると、相棒のパグ機獣・スーが、あおいの愛機に宿る『ヘラ』の紅い瞳に射抜かれた。ヘラが『ワン!(誠を甘やかすな!)』と威嚇し、スーは(チッ、この天女の飼い主は、江戸川の下げ潮より何倍も怖ぇな……)と白銀のパグ耳を小さく伏せた。
現在、瓜生俊樹らも含めた山口支部は、世界中から「平野グループの鉄壁の要塞」と畏怖される最大最強の派閥と化していた。
『第一レース、予選スタート!!! 一号艇は山口の新星・野田あかり!』
ピットアウト! あかりは俺から受け継いだ衝撃吸収サスペンションを限界まで過負荷駆動させ、三角波の頂点をポップに飛び跳ねる限界結合旋回を仕掛けた!
【固有変則旋回:『奥義・ピーチ・バウンス』】
『野田あかり、泥杭の原理を応用しつつマブイ出力を爆発的にハック!!! 泥を力ずくで爆破して、その反動で一気に対戦相手のイン枠を鋭利に抉り取ったぁぁ!!!』
デビュー初戦にして東都の魔窟の最悪の洗礼を跳ね返し、あかりが1着快勝!
堤防の上では、俺の相棒・スーが、大峰さんの『ムネリン(フレブル)』と宮地の『毅』の前に威風堂々と座り込んでいた。
(……おい。佐賀だろうが福岡だろうが、俺様の許可なく江戸川の泥を啜るんじゃねぇぞ)
スーの放つ白銀黒影のマブイパルスに、他県の神獣たちは本能的なエラーを起こして身を縮める。
モニターに「警告:氷結オブジェクト接近中」という赤いアラートパケットが明滅する。ドックの奥からあおいがヘルメットを小脇に抱え、俺の網膜を射抜くような冷徹な視線を送ってきた。
「誠。次の十二レース予選特選は、俺とお前が同じ番組だな。第一ターンマークの座標で、どっちのマブイの純度が本物か、その身体にじっくりと叩き込んでやる」
「……ああ。手加減は無用だ、あおい。俺も、王者の席を簡単に明け渡すつもりはない」
俺の受信端末に、競輪バンクの弟・健吾からの不敵な暗号パケットが滑り込む。
『(兄貴、頑張れよ。あおいさんの逆鱗引き波から、全速で逃げ切ってみせろよな)』
最高峰の聖域――SGの運命の歯車は、一億四千万パケットの熱狂を吸い込んで、今、狂暴な速度で回転を始めるのであった。




