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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第2章:駆け出し編

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第12話:福岡の洗礼、崩れた同期の絆

 ピット離れとは、ピットに待機しているボートが出走のブザーで一斉に発進すること。

 素早く離れることができた場合ピット離れが良いと一般に言われる。

 係留機とは、ボートを停めるピットとボートの連結部分。自動で外れるタイプと選手が紐を引いて外すタイプがある


2027年8月13日。福岡県、福岡競艇場。

 全国24場の中でも、ここほど異質な威圧感を放つ場所はない。「都市高速の下をくぐり抜ける」という特異なレイアウト。頭上を走る巨大なコンクリートの構造物が視界を圧迫し、轟音は高速道路の裏側に反響して逃げ場を失う。さらに那珂川の河口に位置するため、海水と淡水が混ざり合い、発生するうねりは不規則かつ凶暴だ。レーサーたちは、物理的な波だけでなく、精神を削り取るような閉塞感とも戦わなければならない。

 お盆特選レース、初日。

 ピットで39号機を始動させた速水誠は、かつてないほどの違和感に背筋を凍らせていた。

 「……何だ、この感覚は。機体が、俺の言葉を理解していない」

 前日に群馬の天才、横西茜が施した「神調整」。それは間違いなくエンジンの限界出力を数段階引き上げ、39号機を教習所レベルのからくり機艇から、プロのトップ戦線で戦える怪物へと変貌させていた。しかし、出力が跳ね上がった代償として、誠の1000しかないコアマブイでは、エンジンの爆発的な「呼吸」を制御しきれない。

 アクセルを開ければ、マブイが吸い込まれるのではなく、逆に弾き返されるような拒絶感。誠のマブイとエンジンの同期シンクロ率は、危険水準まで低下していた。

 「大時計、始動!」

 1号艇には、大阪の絶対女王・鎌倉明奈。彼女が放つ70,000マブイの波動は、福岡の狭い水面と都市高速の壁に乱反射し、もはやオーラというよりは物理的な「重力」となって周囲の艇を押し潰さんとしていた。

 「誠くん。借り物の力では、私の前を走ることはできないわ」

 鎌倉の冷徹な声が、通信機を通さず、誠の脳内に直接ジャミングのように響く。第1ターンマーク。誠は勝負を賭けて「チルト3.0」のレバーを引こうとした。しかし、横西の調整で鋭敏になりすぎた39号機のエンジンは、誠の焦燥から漏れた不安定なマブイに過剰反応を起こした。

 「……ぐっ、止まれ! 暴走するなッ!」

 制御を失ったピストンが不規則な爆発を起こし、機体は鎌倉が作り出した巨大な引き波の谷に捕らわれた。いつもなら足元のシロの吠え声に合わせてリズムを修正できるはずだった。だが、今の誠の耳には、エンジンの悲鳴と、上空を走る車の走行音しか聞こえない。機首が凶暴に跳ね上がる。

 「あ……っ!」

 ドォォォォォン!!

 激しい水柱と共に、39号機は真夏の福岡の海へと叩きつけられ、仰向けに転覆した。視界が青から黒へ変わる。肺の中の空気が吐き出され、誠の意識は冷たい海の下へと沈んでいった。

 2027年8月14日。福岡市内の病院。

 誠が目を覚ました時、最初に目に入ったのは、白く無機質な天井と、窓の外にそびえ立つ入道雲だった。左腕に走る鈍い痛み。医師の診断は、全身の激しい打撲と左腕のヒビ。肉体の損傷以上に、誠の心を苛んでいたのは「無様にひっくり返った」という屈辱と、自分に合わない力に縋ろうとした自責の念だった。

 「……誠くん、気がついた?」

 傍らには、一晩中付き添っていたのであろう、憔悴しきった守屋あおいの姿があった。彼女の瞳は赤く腫れ、ベッドの縁を握る指先が白く震えている。

 「あおい……。俺、負けたんだな。あんなに、かっこ悪く」

 「負けたんじゃないわ、落水よ。……でも、怖かった。誠くんのマブイサインが消えた時、私、心臓が止まるかと思ったんだから……」

 あおいは言葉を詰まらせ、視線を落とした。彼女にとって、誠はもう倒すべきライバルという枠を遥かに超えていた。彼がいない世界を想像しただけで、自分のマブイが凍りつくほど、失いたくない存在だった。

 そこへ、ノックもせずに勢いよくドアが開いた。

 「あんたの……あんたの器を考えずに、あたしが勝手にエンジンをいじったせいよ! あたしが、あんたを殺しかけた……!」

 入ってきたのは横西茜だった。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、いつもの自信家な面影はどこにもない。「違うよ、横西。それを受け止めきれなかった、俺の技術が……」

 「いいえ! エンジンは、レーサーの魂に寄り添わなきゃ意味がないの。あんたのマブイはたった1000しかないけど、その1000で必死に戦ってきた輝きがあった。あたしはそれを無視して、ただ『強いエンジン』を作ればいいと思い上がってた……。大事なことを忘れてたのよ、整備士として!」

 群馬の天才少女は、病室の床に膝をつき、絞り出すように泣いた。


 「……クゥーン」

 静まり返った病室に、微かな鳴き声が響いた。病院側の特別な配慮により「セラピー犬」として同席を許されたシロが、ベッドの足元から這い上がってきた。シロは、誠のギプスで固定された左腕に、そっと湿った鼻先を押し当てた。

 その瞬間、誠は不思議な温かさを感じた。

 シロの体から、黄金色の柔らかな波動が溢れ出し、誠の体内に淀んでいた「恐怖」や「自責」という濁ったマブイを、ゆっくりと、しかし確実に吸い取っていく。シロの瞳は深く、静かだった。かつて機獣を鎮めたとされるペキニーズの真価。シロは誠のマブイを浄化し、その「1000の核」を再び透明な輝きへと戻していたのだ。

 誠は、動く方の右手でシロの頭を撫で、横西とあおいを見据えた。

 「みんな、ごめん。……でも、今回の転覆で分かった。俺は名門のやり方でも、天才の調整でもない……自分なりの、山口の『持たざる者』の走りを見つけなきゃいけないんだ。1000のマブイでしか見えない景色が、きっとあるはずだから」

 誠の瞳に、再び光が宿る。自分に合わない借り物の翼は捨てた。左腕のヒビが癒える頃、誠は再び39号機を、自分の魂のサイズに合うように「デチューン」することを決意していた。

 「あおい、見ててくれ。次は、俺の1000マブイで、あの女王の静寂をぶち破ってみせる」

 その宣言に応えるように、シロが力強く「ワン!」と吠えた。福岡の夏空は、嵐の後のような鮮やかな青に染まっていた。

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