二億の聖域(リミット・オーバー)
二〇二九年七月二十三日、十六時五十分。ボートレース宮島――プレミアムG1「宮島レディースダービー」五日目・第十一レース準優勝戦。
公式チャンネル「カササギ」の累計PVカウンターは、発走直前にして一億九千八百五十万を指し示していた。
一号艇には、予選トップ通過の滋賀の怪物――近間伊織。彼女の放つ「紫金」のマブイが重厚な引力となって水面を支配する。
対する四コースのカド位置には、チルト一・五度の極限戦闘仕様を選択した四号艇――守屋あおい。
ピット裏の誠の足元でスーが一度だけ短く鼻を鳴らした。
「あかりちゃん、誠、莉々華ちゃん。俺に、みんなの想いを全部、翼として貸してくれ。……もう二度と、俺はあの泥の底へは落ちない!!」
その瞬間、画面上のカウンターがネットワークの限界処理速度を突破し、爆発した。
【累計PV:二億突破!!!】
宮島の上空に、二億人の観測者が生み出した実体化マブイが七色のオーラとなって降り注ぎ、六艇の出力リミッターを力ずくで引き剥がす。
「全速……全速、全速、トップエンドまで跳ね上がれぇぇぇ!!!」
あおいがハンドルレバーを根元まで握り込み、ヘラが力強く一吠えした。
電子大時計の針が垂直に重なる、絶対死線。
「四号艇・守屋あおい――ST【.〇一】!!!」
チルト一・五度の異常な伸び足が向かい風を揚力に変え、スリット通過からわずか数秒で、近間伊織の紫金の重力障壁を力ずくで切り裂いた。
第一ターンマーク。あおいは誠から受け継いだ空中戦の数式を、自らの不屈の意志でさらに苛烈に解釈していた。
「風が……俺の、道だ!!! 空中旋回・逆風翔――っ!!」
機体の重心を強引に跳ね上げる。二億人の熱狂パケットをカウルの下に巻き込んで、宮島の荒波を蹴り上げる狂気の跳躍。機体が水面から浮き上がる感覚が、チルト三・五度を初めて試した整備室の夜の記憶と重なった。これが、俺だけの空だ。
「守屋あおい、近間伊織の鉄壁の頭上を文字通り飛び越えていったぁぁぁ!!!」
空中で完璧な旋回放物線を描き、近間さんの「絶対重力」を完全無効化。誰よりも早く二マークの直線へと向かって着水した。
一位、四号艇・守屋あおい。
だが、二番手へと沈められた滋賀の怪物・近間伊織の瞳から、未だ闘志のコードは消え去ってはいない。
彼女の「湖国の覇王」のボイラーが、あおいの白銀の背中に向けて、さらなる紫金の引力サージを排気口から噴射し始める――!




