ピンポン旋回(ステップ・ジャンプ)
二〇二九年七月二十二日、午後十四時三十分。ボートレース宮島――G1「宮島レディースダービー」四日目、予選最終日・第十レース。
公式チャンネル「カササギ」のPVは一億二千五百万を突破。その視線の先には、兵庫の「転覆女王」こと六号艇・竹下莉々華の姿があった。
予選突破ボーダーラインは【五・八三】。大外から二着以内が絶対条件。一コースには、愛機を黄金色に研ぎ澄ませた大阪の女王・鎌倉明奈。
「莉々華。あんたの粘り、本物かどうかこの一マークで見せてもらうわよ」
鎌倉さんの放つ十二万五千マブイの重圧が莉々華の華奢な肩を圧殺せんとするが、彼女は鼻水をすすりながら叫び返した。
「あおいさんが、あんなに格好よく立ち上がろうとしてるんだもん! 莉々華だって、一回くらい格好いいところを誠師匠やあおいさんに見せたいですぅぅ!!」
大時計の針が動き出す。一号艇の鎌倉さんがコンマ〇七の完璧なトップスタート。一マークで地獄のような流体乱気流が発生する中、六コースから莉々華は目を剥き出しにして絶叫した。
「もりもりもりやぁぁぁーーー!!!」
(※守屋あおいへの最大のリスペクトを込めた、彼女独自の起動コードだ)
ブレーキを捨て全速で突っ込む六号艇! 鎌倉さんの引き波に直撃し、プレーン艇の機首が垂直に近い角度で空へ跳ね上がった。パニックを起こした莉々華が踏み込んだ右足が、カウル右端の流体ステップを理想的な角度で押し下げ、重心を完璧な制動位置で固定した。あおいに渡した泥のレンチの記憶が、暴走するマブイを機体に繋ぎ止めていた。
「落ちない……莉々華は、今日こそ絶対に水底に落ちないんだからぁぁ!!」
水面を滑るのではなく、荒波の頂点を激しくバウンドしながら無理やり進む。荒波に叩きつけられる反動そのものを前進への旋回推進力へと電算反転する「ピンポン旋回」が炸裂した。内側が引き波に足を取られるのを尻目に、莉々華は独走する鎌倉さんのすぐ背後――奇跡の二番手の座標をもぎ取ってみせたのだ。
「二着は、六号艇の竹下莉々華だぁぁ!!! プレミアムG1準優勝戦への進出が完全確定ぇぇぇ!!!」
カウルに突っ伏し「わぁぁぁん!」と大号泣する莉々華。
ピットへ戻り、カウルから這い出してきた莉々華の元へ、あおい、誠、あかりが真っ先に駆け寄った。誠の足元でスーが、莉々華の大号泣を静かに見つめていた。莉々華はヘルメットを脱ぐと、あおいの胸へと飛び込んだ。
「あおいさん……! 俺、落ちなかったです! ちゃんと準優勝戦の席、獲ってきたっすよぉぉ!」
あおいは泥と油にまみれた莉々華の頭を優しく抱き寄せ、その瞳に熱い涙を浮かべながら、力強く微笑んだ。
「ああ……見てたよ、莉々華ちゃん。最高の走りだった。私に、泥を啜ってでも生き残る本当の勇気を教えてくれたのは、莉々華ちゃん、お前だよ」
誠は二人の背中を見ながら、静かに呟いた。「よくやった、竹下」と。




