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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第6章:ダービー編

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第107話:古都の静寂、厳島を呑む ― 藤島武士、点茶の旋回 ―

電子の深淵「カササギ」が映し出す、静かなる絶対

2029年7月8日、16時30分。

広島・宮島ボートレース場の空は、安芸の夕陽に焼かれ、朱色から深い藍色へと移ろう「逢魔が時」を迎えようとしていた。一億八千万。公式YouTubeチャンネル**『カササギ』**のPVカウンターが刻むその数字は、もはや一つの国家の総人口を遥かに凌駕し、地球規模の「視線の重圧」となって水面に降り注いでいた。

これまでのレースは、大峰の龍が散り、安貞の咆哮が響き、和久田親子が鉄壁の絆を見せるという、いわば「なま」の感情と「剛」の技術がぶつかり合う、剥き出しの戦場であった。しかし、第11レースの予選特選。**藤島武士ふじしま たけし**という男がピットに姿を現した瞬間、その狂騒は、まるで冷水を浴びせられたかのように一変した。

『カササギ』の多角的なカメラワークが捉えるのは、荒ぶる機兵たちの姿ではない。静寂そのものを纏った、一人の「茶人」の姿であった。視聴者たちは、画面越しに伝わるその異様な「整い」に、言葉を失い、ただただ固唾を呑んで、電子の海に現れた「ことわり」の顕現を見守っていた。


発走10分前。ボートレース場の喧騒とは完全に隔絶された展示待機室で、その儀式は執り行われていた。

京都支部、藤島武士。51歳。

彼は、からくり競艇界において「歩く精密機械」と称され、同時に「水上の茶人」として畏怖される絶対的な存在である。カササギの超高感度カメラが、彼の繊細な指先をクローズアップする。藤島は、戦いの直前だというのに、静かに抹茶を点てていた。

彼のマブイ(精神エネルギー)数値は、合計80,000(コア38,000 / 外付42,000)。

数値だけを見れば、10万を超える「化け物」たちに劣るように見えるかもしれない。しかし、藤島の真の恐ろしさは、その「純度」と「制御能力」にある。彼は8万のマブイを、爆発的な推力として浪費することはない。一滴の茶を点てるように、極限まで濾過し、抽出し、洗練された「秩序」として愛機へと注ぎ込むのだ。

「藤島さん……。あの人の周りだけ、マブイの揺らぎが一切ないっす。まるで、空間そのものが結晶化しているみたいで……怖いっす」

ピットのモニターを見つめる野田あかりが、震える声で呟いた。隣に立つ速水誠も、その異様な光景に背筋が凍るような感覚を覚えていた。誠の「チルト3.5」が、膨大な衆望とマブイを燃焼させて空を翔ける「動」の極致であるならば、藤島のボートレースは、宇宙の法則そのものを水面に記述する「静」の極致であった。

「(マブイを戦わせるんじゃない……マブイで、世界を『調律』しているのか……)」

誠は、自らの右手に宿る「楔」の疼きを感じながら、藤島という巨大な「正解」の壁を凝視していた。


大時計の針が動く。一億八千万人の心拍数が同期する中、藤島武士の1号艇がスリットラインを越えた。

【1号艇:藤島武士 ST .12】

それは、速すぎず、遅すぎない、藤島が算出した「その日の潮位と風向における最適解」としてのスタートであった。

センターコースから、若手の有望株たちが「打倒・藤島」を掲げて、強引な捲り差しを敢行する。機体からは黒い煙が上がり、限界を超えたマブイの火花が散る。しかし、藤島は眉一つ動かさない。

「……無駄だ。その軌道、三手先ですでに『詰んで』いるよ」

藤島が軽くハンドルを入れた。その瞬間、信じられない光景が広がった。

通常、ボートが旋回する際には水飛沫が上がり、艇体は波に叩かれて細かく振動する。しかし、藤島の機体は、まるで凍りついた鏡の上を滑るように、あるいは**「水そのものを瞬時に結晶化させて道を作っている」**かのように、一点の乱れもない完璧な弧を描いた。

誠の「飛翔」が破壊的創造であるならば、藤島の旋回は「水面にある唯一の正解をなぞる」作業。

外から攻め寄せた他艇は、藤島が意図的に、かつミリ単位の精度で残した「計算された引き波(殺気なきトラップ)」に吸い込まれ、まるで磁石の同極が反発するように、無慈悲に外側へと弾き飛ばされていった。

そこには、怒りも、憎しみも、焦りもない。ただ、絶対的な「理」による排除があった。


「1号艇、藤島武士! どこまでも美しく、どこまでも冷徹! 宮島の海を、一服の茶を愉しむかのように制圧しました!!」

実況の絶叫が、虚しく響く。バックストレッチに出た時点で、藤島はすでに5艇身の差をつけていた。

後続のレーサーたちがどれほどマブイを燃やし、エンジンの回転数を上げようとも、藤島との距離は一ミリも縮まらない。藤島が刻む航跡は、後続にとっての「通行禁止区域」となり、彼らはその完璧すぎる秩序の前に、ただ平伏するしかなかった。

それは、「持たざる者」から這い上がり、常に「奇跡」を武器にしてきた誠にとって、最も遠く、最も硬い、完成された「プロフェッショナル」の壁であった。

2029年7月8日 16時45分:からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新

> 「【至高】藤島武士、完璧なるイン逃げ! 1億8,000万人の視聴者が、その『静かなる恐怖』を目撃! 誠vs藤島、技術の極限対決への期待が爆発!!」

>

カササギのコメント欄は、驚愕を超えた「畏怖」に支配されていた。

「これが人間業か?」「物理演算がバグってる」「美しすぎて、もはや競艇じゃない」。一億八千万のマブイは、藤島の圧倒的な秩序の前に、静かに沈黙せざるを得なかった。

第11レース:確定結果

| 順位 | 艇番 | レーサー | 状態 | 状況 |

| 1着 | 1 | 藤島 武士 | 理の極致 | 独走。一切の無駄を削ぎ落とした完封劇。 |

| 2着 | 2 | 小林 悠斗 | 忠実なる影 | 師匠である藤島の航跡を正確にトレースし、加点。 |

| 3着 | 4 | 井田 義雄 | 東海の意地 | 三重の壁。荒れる後続を抑え込み、3着死守。 |

4. 誠への「問い」:無線越しの静寂

ゴールラインを駆け抜け、ウィニングランの最中。

藤島はヘルメット越しに、ピットで見つめる誠の視線を正確に捉えていた。

彼は通信機のスイッチを入れる。その声は、ノイズ一つない澄んだ響きで誠の耳元に届いた。

「速水くん。君の『空』は、確かに面白い。衆望を翼に変えるその在り方は、新しい時代の象徴かもしれないね」

藤島は一呼吸置き、さらに静かに続けた。

「だが、その翼は、この『ことわり』を越えられるかな? 秩序のない飛翔は、いつか必ず自重で墜落する。……三日目、君の『正解』を私に見せてほしい」

誠は、拳を白くなるまで握りしめた。

「秩序……。正解……」

藤島の言葉は、呪いのように誠の胸に突き刺さった。鳴門で手にした「絆」も、あかりと作り上げた「39号機」も、この完璧な秩序の前では、単なる「幸運なカオス」に過ぎないと言われた気がした。


夕闇が宮島を完全に包み込み、厳島神社のライトアップが水面に揺れる。

第11レースを終え、引き上げてきた藤島の機体は、激戦の後だというのに傷一つなく、鏡のように磨き上げられていた。

誠は、自らの愛機「39号機」の前に立ち尽くしていた。

「あかり。藤島さんの言った通りかもしれない。俺の走りは、まだ『奇跡』を頼りにしてる」

あかりは、誠の背中に優しく手を置いた。

「師匠……。でも、奇跡を起こし続けるのが、師匠の『理』じゃないっすか。藤島さんが正解を書くなら、私たちはその上から、もっとデカい答えを書き殴ってやるっす!」

シロもまた、誠の足元で勇ましく吠えた。

カササギのPVカウンターは、三日目の直接対決を予感して1億8,500万へと加速を始めた。

一億八千万の沈黙を、誰が最初に破るのか。

「空」を翔ける山口の隼か、それとも「理」を操る京都の茶人か。

安芸の海は、嵐の前の、あまりにも深い静寂に包まれていた。


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