波切・双龍(なみきり・そうりゅう)
二〇二九年七月十一日。ボートレース宮島――G1宮島ダービー、優勝戦。
準優勝戦では蔵野剛さんの「金剛一閃」を波切旋回の逆位相で相殺し、辛うじて一着を確保した。でも正直、手応えは薄かった。あかりが深夜まで「玉ノ井」の数式を叩き直し、スーが整備室の床で丸くなりながら俺を待っていた。その二つの温もりだけが、今日の俺を動かしている。
優勝戦、一号艇・河田元気さん。二号艇・俺の三十九号機。
公式チャンネル「カササギ」のPVカウンターは二億を突破し、地球規模の衆望が水面へと降り注ぐ。
河田さんが放つ「黄金結界」。近づくものすべてを跳ね返し、ハイドロジャイロを狂わせる絶対の要塞。俺はあえて舳先を河田さんの真隣へ固定した。
「ST【.〇一】!!! 両者、神の領域のタッチスタートだぁぁ!!!」
河田さんが完璧な先マイを披露し、巨大な黄金の引き波を撒き散らす。第93話の再現だ。あの時は弾き飛ばされた。でも今は——。
「斬る……。黄金の盾ごと、この海を、運命の数式を!!」
黄金の引き波の最も密度の高い核に突っ込み、そのマブイの流動を逆に推進力へと電算反転。真空の超高速反転を敢行した三十九号機が、二本の白銀の航跡で黄金の盾を左右に真っ二つに引き裂いた——
「波切・双龍」。
「抜けたぁぁぁ!!! 二コースから速水誠! 王者・河田の懐を斬り裂いたぁ!!」
バックストレッチ、並びかける二艇。最終二マーク、河田さんの追撃を波切のダウンフォースで完封した俺は、誰よりも早くゴールラインを駆け抜けた。
「……見事だ、誠くん。君が、新しい時代の「理」だ」
無線のノイズに混じって届いた、王者からの一言。俺はそれへの返事ができなかった。口を開いたら、何か溢れてきそうだったから。
ピットに帰還した瞬間、あかりが駆け寄ってきて、俺の胸に頭をぶつけるようにして飛び込んできた。
「師匠……! やったっすよ……やったっすよぉぉ……!!」
あかりの肩が震えていた。泣いているのか笑っているのか分からない。スーがその足元でフガフガと短い尾を振り続けていた。俺は、二人の温もりをただ受け取った。
「G1宮島ダービー優勝!! 速水誠、宮島の神域でG1初タイトル獲得!!」
実況の声が宮島の夕空に響いた。
夕陽に輝く厳島神社の大鳥居に向かって、静かに一礼する。G1という舞台で初めて一着を取った。でも俺の瞳は、すでにその先にある、さらなる最高峰SGの舞台を見据えていた。
「次は、SGだ。スー」
スーが「フンッ」と一度だけ鼻を鳴らした。




