てのひら
「すみません。僕はまだ、名前をもらっていないので名乗れないんです」
すまなそうな、力の抜けた笑顔になって謝った。
「あっ」
そりゃそっか。赤の日記帳は1年目だもんね。奴隷棒名の儀なんてまだまだ先か。
「ところで、あなたの名前は」
「あっ、私は……」
返される質問に反射で答えようとして、待ったをかける。
「ちぃちゃん?」
首を傾げながら名乗ると、似たように首を傾げ返されてしまった。
だって確か、日記には“ちぃちゃん”って書いてあったもん。たぶん、本名を名乗ってない……はず。
そもそも刹那なんて言ったら混乱させちゃいそうだし。
「ちぃちゃん様、ですか」
あっ、様付けなんだ。何だかムズかゆいな。もし想像が正しかったら、この人私のお父さんなんだし、呼び捨ての方が……あれ?
そういえば、喋り方に違和感があるような。
手をアゴに当てて考え込みたかったんだけど、お父さんが許してくれなかった。
「ソレで、ちぃちゃん様はどうしてここにいるので……」
ぐぅぅ
詰問の途中でおなかの音が鳴った。
そう言えばお昼前だったっけ。こんな時にお父さんの前で、恥ずかしいな……にしてはおなかの音、大きくなかった?
おなかを押さえながらお父さんを見ると、同じようにおなかを押さえてたよ。
そうだよね、お昼が近いのはお父さんも一緒だよね。こんなどうでもいいところが一緒なのにちょっとニヤけてくるのはなんでなんだろ。
「とりあえず、一緒にお昼ご飯でも頂きますか」
「あっ、うん。って、私お金持ってないや。何か代わりになる物は……」
パンパンとポケットを叩くんだけども、何にも出てくるはずがない。そもそも亀夜ちゃんと一緒に出かけたんだから手ぶらだよ。だってアイテムボックスみたいな魔法使えるんだもん。
「ははっ、子供がそんな気を遣わなくても大丈夫ですよ。お金なんて取りませんから、一緒にご飯にしましょう」
穏やかな笑みが、慌てていた心を落ち着かせてくれる。
「なら、ごちそうになっちゃおうかな」
「人に出せるような料理じゃないのですが、許して下さいね。ちぃちゃん様」
言葉は謙遜しているけど、声色から自信を窺える。ずっと知りたかった。伝説の奴隷と言われたお父さんの腕前。お手並み拝見ってヤツだね。
「おなかすいてるからご飯くれるだけでも充分だよ。ソレと、私に様は要らないかな」
そもそも何で様付けなんだろ。日記で様呼びなんて見た事ないのに。そうだ。言葉が丁寧すぎるのも引っかかったんだ。日記ではもっとぶっきら棒だったもん。
考え込んでたらお父さんが近付いてきて、細くて白い手で私の頭を撫でてきた。
「そうですね。わかりました、ちぃちゃん」
「……うん」
わぁ……わぁ。いきなりこんな事するなんてズルいよ。ニヤニヤが止まらなくなっちゃうじゃん。
一生味わう事のない体験が急に身に降りかかってくるんだもん。私、お父さんに変な目で見られてないかな。
覗き込むように見上げると、お父さんはただただ優しい眼差しを送ってくれていたよ。




