9
それから程なくして、父から突然ランタナとの婚約を解消すると言われてダリアンは驚いた。
何でも、ランタナは今まで学んだ薬学の知識を深めるために隣国に行くことを希望しているらしい。話を聞いた両親とブルーベルは恩人の彼女の長年の夢を叶えるために応援すると、ベルガモット家の利益よりも彼女の幸せと活躍を優先して婚約を解消することにしたらしい。
ダリアンは「あまりにも急すぎる」と前に父に行ったことを持ち出して反対したが、父に「だが、おまえもルピナス嬢との婚約を望んでいるだろう。彼女も早くおまえと婚約を結びたいと言っているし、我が家の事情でこれ以上待たせわけにはいかない」と説得され、しぶしぶ受け入れた。
婚約解消の場に現れたランタナはどこかすっきりとした顔をしていて、ダリアンはずっとそのどこまでも自分の幸せだけを追う姿を憎しみをこめてずっとにらみつけていた。
後日、勝手なことをしたランタナに文句を言うべく呼びつけた。ようやくやって来た彼女は露骨に迷惑そうな顔をしていて、思わずカッとなって怒りのまま言葉を投げつける。
そして、ダリアンはすぐに気づいたのに今になってようやっと記憶があることに気づいたと驚く顔に、憎しみが爆発する。
「なぜ、婚約を解消しなかったのかとでも言いたげだな。
父上たちがベルが懐いている君を気に入っているからだ。加えて、今回は君が得意げにその隣国の最先端の医療の知識とやらをひけらかしたせいもある。前も今も家にとって利用価値のある君を手放すなと圧をかけられたんだ。
君だって婚約を続けていたのは、前と同じく世間知らずのベルを利用して我が家に多大な恩を着せるのが目的なのだろう。おかげで、君はルピナスよりもずっと皆に気に入られて、何かにつけて比べられる彼女は肩身が狭い思いをしている。
前も今も散々私とルピナスの邪魔をして、自分の望みだけを叶えて満足か」
自分だけの幸せを追い求めて、ダリアンの幸せを平気で邪魔する残酷なランタナに溜めこんだ鬱憤をぶつける。
そうすれば、何をしても何を言っても、どんなに訴えかけても。頑なに自分を受けいれない彼女が自分に心を向けると思って。
でも、どこまでもダリアンを拒絶し続ける彼女は、なんの後ろめたさもないまっすぐな目でダリアンを否定する。
「ええ。私がやり直したのは、一度目で得た記憶と知識を使ってベル様の身体をこれからも長く外で生きていかれるように治して、ベル様のように病に苦しむ人を助けるために薬師になる夢を叶えるためです。
そのために私はこれまで私にできる精いっぱいの動きをしました。
だから、今度こそ私が望む幸せな未来を掴んで満足ですわ」
そう言ってふわりと微笑んだランタナは幸せと自信に満ち溢れている。
その顔にかつて愛する男と一緒にいた姿が重なる。自分の夢のために生き恋人と愛情を育む彼女は、最愛の女性と結婚して幸せに満ちていたと思っていた自分よりもはるかに輝いていて、一瞬のことなのに心に焼きついて忘れられないぐらい美しかった。
――だから、自分にはその輝きを幸せをついに見せなかった彼女が憎くて。自分のモノだったそれを奪った男と永遠に自分の手の届かないところに逃げたランタナが許せなかった。
そして、今もまたランタナは自分を置いて逃げようとしている。その自分の望む自由しか見ようとしない彼女に、憎しみと執着が湧き上がってくる。ダリアンはランタナを捕らえようと血を吐くような想いをぶつけた。
「何を身勝手なことを……っ。おまえが一度目とは違うことをしなければ、何もかもがうまくいっていたんだっ」
一度目と変わっていなければランタナはまだ自分と婚約していた。そうしたら、何もかもがうまくいった。
憎しみと悲しみがぐちゃぐちゃに混ざった本当の想いにようやくランタナは振り向いた。そして、ダリアンの憤る姿をそのままそっくり映す鏡のような顔をして静かに口を開いた。
「あなただって望んだ幸せが叶ったではないですか」
「何だと?」
「お忘れのようですが、あなたは婚約を結んだ時に『ブルーベルの身体が良くなり次第、この婚約はとりやめる』と言い放ったのです。
だから、私はお父様と公爵様に願ったのです。
『もし、私たち2人が婚約解消を望んだら、願いを叶えてほしい』と。そして、公爵様は約束してくれました」
「それは……。でも、おまえが婚約解消を望まなければこうはならなかったんだ! おまえのせいだろうっ」
どこまでも身勝手なことをするランタナを詰ると、彼女は背筋がぞっとするような冷え切った目を向けてきた。
「それからもあなたはルピナス様との婚約を望んでいると周りに訴え続けた。そして、私を婚約者として認めないといつも態度で示し続けた。
だから、私は公爵様に最初から最後まで信頼関係を築けなかったあなたとの婚約を解消して、かねてからの夢だった隣国への留学を希望しました。
公爵様は約束を守ってくださり、お互いの望みを叶えてくださったのです」
その声はそよ風のように穏やかだったが、その中に深い怒りと拒絶を感じとってダリアンは言葉に詰まった。
――じゃあ、今からやり直せば……。
心の中でランタナを手放したくないと訴える自分の声がするが、どこまでも自分勝手でダリアンを見ないランタナはダリアンがやっと気づいた本音も容赦なく踏みにじる。
「私とこうして婚約を解消して、愛するルピナス様と婚約を結び直す。今の状況は、あなたが望んで掴んだ幸せですわ。
今まで大変お世話になりありがとうございました。二回目の人生は望み通り愛する方といつまでもお幸せに」
そうして笑った彼女はまた自分の幸せしか見ていない。
――そして、その中にはダリアンはいない、今もこれからもずっと。
それに気づいて絶望したダリアンは必死にランタナを引き留めたが、使用人たちに阻まれるうちに彼女は足取り軽く去って行く。ダリアンの手の届かない、はるか彼方に。自分が欲しかった彼女の心を手に入れる恋人の元へ。
ダリアンは絶望の叫びを上げたが、聞いてほしい相手はもうどこにもいなかった。




