10
ランタナと別れた後、ダリアンは調子を崩して寝込んでしまった。
遠出ができるようになってますます小生意気になったブルーベルには「いつも私を叱ってばかりのお兄様が寝込むだなんて、悪い風邪でも流行っているの?」と嫌味を言われた。
ルピナスはせっせと家に来てくれ、密かに勉強していたという医学の知識で助けてくれる。その甲斐あってか、彼女は母やブルーベルと仲良くなり今や3人で良くお茶会を楽しんでいる。でも、その分ダリアンと過ごす時間が少なくなって、何となく距離感を感じる。
幸い、ルピナスのおかげで身体はすぐに元気になったが、手ひどく裏切られた心は傷ついたままで。その傷をえぐるように時々夢に笑顔のランタナが出て来る。でも、声をかけようとすると隣国の男に手を取られて満面の笑顔で走って行ってしまう。そして、目が覚めると彼女がいない現実にひどく胸が痛んだ。
でも、その傷も時間が経ってルピナスと過ごすうちに薄れていき、ダリアンは誰にも言えない痛みがなくなることを喜びつつも、ランタナが消えていくのを寂しく思った。
2年後、前と同じく18歳になったダリアンはルピナスと結婚した。
前の時よりもずっとベルガモット公爵家に溶け込んだ彼女は毎日を楽しそうに過ごしているが、夫となったダリアンには時々壁を作っている気がする。でも、妻として献身的に寄り添ってくれる彼女の態度に気のせいだろうと流す。
それからしばらくしてランタナが結婚したと聞いて、久しぶりに胸が焼けるように痛んだ。
でも、ルピナスとの幸せな時間を得た今はかつてのような心が呑み込まれるような憎しみはなく、ただ薄くはなっても完全に消えない寂しさを感じた。
それからしばらくは遠くに行ってしまった元婚約者のことを思い出し、美しく成長したであろう彼女にもう一度会いたいと願った。
――それをルピナスがじっと見ているとは気づかずに。
そして、その願いは2年後、妹ブルーベルの結婚式で叶った。
親友として隣国から夫婦でやって来たランタナは前よりもずっと美しくなり、人妻となった艶やかさもまとっている。
その華やかな姿を見た瞬間、ダリアンは久しぶりに心が幸せで満たされるのを感じた。
花嫁の兄として挨拶に行こうとするとルピナスがすっと手を掴んだ。思わぬ邪魔に顔をしかめると彼女はそっとささやいた。
「ダリアンは今もランタナ様が好きなのよね?」
「……何をっ、馬鹿なことを言うんじゃないっ。こんなところで人に聞かれて噂になったらどうするつもりだ」
公爵令嬢のブルーベルの結婚式にはたくさんの高位貴族が招かれている。これからも付き合いのある彼らに誤解をされたら大事になる。
「では、なぜランタナ様に会いに行こうとするの? 彼女はとっくにあなたのことを忘れて、最愛の方と結婚して子どももいるのに」
「そんなことはないっ。私はただベルが世話になっているからと兄として挨拶に行くだけだ。当たり前のことだろう」
ルピナスをたしなめると彼女は泣きそうに顔を歪めた。
「嘘よ。あなたはランタナ様に捨てられた時と同じ目をして彼女を見ているわ。本当は彼女が好きで婚約していたかったんでしょう。
あなたはわかっていないと思っているのでしょうけれど、あの時は皆そう言っていたわ。そして、今もそれは変わらない。
……私もこれで良くわかったわ」
ルピナスは涙を1つだけこぼすと、公爵夫人として仮面を被って微笑んだ。
「わかりました。では、夫婦として一緒に挨拶に行きましょう」
「あ、ああ……」
突然の豹変に戸惑いながらもランタナに会える喜びにかき消える。
ランタナは自分の知らないところで手紙をやりとりしているというルピナスに笑顔で話しかけ、自分には挨拶程度の話しかしなかったが。それでも久しぶりに彼女の姿を見られて満足した。
だが、その幸せは一時のことだった。
それからルピナスはダリアンを避けるようになり、顔を会わせてもこちらを突き放すような態度をとる。その反抗的な態度に我慢の限界に達して叱りつけると、彼女はこう言った。
「まあ、そうですか。でも、あなた様は一番の大切な女性との思い出があれば幸せなのでしょう。どうぞ私のことは捨ておいてくださいまし」
その顔はかつての別れた時のランタナを思わせるような冷たいもので。ダリアンはそこで自分がまた何かを失ってしまったことに気づいて必死にあがいたが、ルピナスはますます頑なになっていくばかりだった。
そして、子どもたちが生まれるとルピナスは完全に愛情を子どもたちだけに捧げるようになり、ダリアンとの仲は冷え切っていった。
――私はなぜ幸せを掴めなかったのだろうか。
今日もダリアンは自室で1人、手紙を読む。妻に無視され、古くから仕える使用人たちにも遠巻きにされる今、ダリアンの安らぎは時々隣国の知り合いから来るカモミール家に関する情報だけだ。
ランタナは3人の子どもの母になり、夫とともに薬学の研究者として励んでいるそうだ。きっと今も幸せで満たされているのだろう。
――もし、やり直せたら。今度こそは……。
それからダリアンは忘れないように誰も知らない一度目の人生のことを日記に書き残した。しかし、彼の密かな願いは叶うことなく、先に逝った妻を追うように子どもたちと孫たちに看取られた。




